PERCHの聖月曜日 172日目
ただたしかなのは、この時から彼のなかの「洋画拡張論者」が次第に影を消して、日本美術復興の指導者が生まれて来たということである。そしてそれは、彼にとっては決して「転向」や「裏切り」ではなく、むしろ本来の古典主義者たる彼自身に帰ることであった。彼がバルビゾン派の流れを引くフォンタネージの指導のもとに圧倒的に写実主義的傾向を示していた当時の洋画や、「唐宋の正統な絵画伝統」に反撥して生まれて来た文人画に強く反対して、当時としては不振のどん底にあった狩野派を敢えて選び取ったのも、狩野派のなかに「唐宋の伝統絵画」の正統嫡子を、すなわち古典主義的伝統の継承者を見てとったからにほかならない。フェノロサのこのような美学を正確に反映している芳崖の「悲母観音」が、最終完成図において下絵よりもいっそうはっきりと静謐不動の安定した構図を見せていることも、フェノロサのなかにあった古典主義的美学を裏書きするものと言えよう。
ーーー高階秀爾「フェノロサ」『日本近代美術史論』講談社,1990年,p222

Japan
20th century
