南方熊楠 という「知の怪物」
森と宇宙をつなげた天才
―― 南方熊楠 という「知の怪物」 ――
明治という時代は、忙しい時代であった。
蒸気機関と憲法と軍隊とを一度に抱え込み、国家という器を西洋ふうに鋳直そうとした。
学問もまた、鋳直された。
植物学は植物学へ、民俗は民俗へ、宗教は宗教へ。
知は棚に仕分けられ、ラベルを貼られ、整然と並べられていった。
だが、その棚をひっくり返す男がいた。
熊野の森に住み、粘菌を愛し、宇宙を語った男――
南方熊楠である。
一、百科

事典を食う少年
少年熊楠は、書物を読むのではなかった。
食ったのである。
彼が熱中したのは、江戸期の大百科事典
和漢三才図会。
全百五巻。
庭先や野外でこれを読み、家へ帰ると、記憶を頼りに書き写したという。
挿絵まで再現したというから常人の所業ではない。
全巻完全暗記という話は、いささか伝説めく。
だが、彼の記憶が異様なほど精密であったことは疑いない。
「何巻の、どのあたりに、何がある」
彼は頭の中で頁をめくることができた。
脳髄の中に、索引つきの百科事典があったのである。
この少年は、分類を覚えながら、すでに分類を疑っていた。
書物の中の動物と、庭の虫と、古代神話とが、彼の中では同時に鳴り響いていた。

二、帝国の外で学ぶ
やがて彼は海を渡る。
アメリカへ、さらに英国へ。
ロンドンでは、大英博物館 に通い詰めた。
肩書きも学位もない東洋の青年が、
世界の学術誌 Nature に論文を載せる。
それは明治国家の威光とは無縁の、
ひとりの頭脳の力であった。
だが彼は、専門家になろうとはしなかった。
植物学だけでは足りぬ。
民俗だけでは狭い。
宗教だけでは浅い。
彼は、分野を横断する。
いや、横断というより、そもそも分けなかった。

三、熊野という宇宙
帰国後、彼は熊野に根を下ろす。
森に入り、朽木をひっくり返し、
そこに生まれる微小な生命――粘菌を観察する。
やがて新種が認められる。
Minakatella longifila
(ミナカテラ・ロンギフィラ)
自らの名を冠したその生物は、
在野の日本人が国際分類体系に刻んだ一行であった。
顕微鏡の下でうごめく微細な存在。
だが熊楠にとって、それは宇宙と断絶していない。
小さきものは、孤立しない。
森は森だけで存在しない。
星辰の運行もまた、無縁ではない。
熊野の森は、彼にとって天文学の延長であった。

四、「縛られた巨人」
民俗学を築いた
柳田國男 は、
熊楠を「縛られた巨人」と呼んだ。
巨人とは、知の規模である。
縛られたとは、制度と形式の縄である。
熊楠は学派をつくらなかった。
大学に座らなかった。
体系を書かなかった。
彼は奔流であった。
もし彼が整然たる体系家であったなら、
今日の教科書に整った章を占めていたかもしれぬ。
だが彼は、整わなかった。

五、南方マンダラ
晩年、熊楠は世界を図に描こうとした。
いわゆる「南方マンダラ」である。
円環の中心と周縁。
そこに自然界、宗教、民俗、宇宙観を配する。
仏教の曼荼羅の形式を借りながら、
それは宗教画ではない。
知の構造図である。
粘菌と神話。
星と村落伝承。
時間と森。
それらは放射線のように結びつく。
近代が切り分けた世界を、
彼は再び円に戻そうとした。
六

、小さきものを通して
昭和期、
昭和天皇 にキャラメルの箱に粘菌をいれて持っていきます。
そして昭和天皇に進講した逸話が残る。
帝王の前に差し出されたのは、
森の片隅の微小な生命であった。
だが熊楠は、その小さきものを通して、
世界の連関を語ったに違いない。
彼にとって、粘菌は宇宙の縮図であった。
結び
南方熊楠は、百科事典を暗記した少年であり、
熊野で新種を見出した博物学者であり、
森を守ろうとした思想家であった。
だが、それ以上に――
彼は「つなぐ人」であった。
近代が世界を分けたとき、
彼は世界を円に戻そうとした。
森と宇宙は、離れていない。
神話と科学は、争わない。
小さき粘菌と、天の星は、同じ図の中にある。
もし現代が再び、
分断と専門化の袋小路に迷うならば。
熊楠の描いた円環は、
いまも静かに回り続けているのである。
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