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「動けない」には理由がある 〜作業療法士として見えてきた、“動けなさ”の正体〜



「やらなきゃいけないのに動けない」

そんな自分を、
責めてしまったことはありませんか?

私自身も昔、
「考えすぎて動けない」
ことがよくありました。

頭の中では、
やるべきことも分かっている。

でも、
なぜか身体が動かない。

すると今度は、

「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」

と、さらに自分を追い込んでしまう。

でも、
作業療法士として現場に立つ中で、

私は少しずつ、

「人は、やる気だけでは動けない」

ということを実感するようになりました。

たとえば、
「お箸が使いにくい」という方がいたとします。

一見すると、

「お箸が使えない」

ように見える。

でも実際には、

・お箸を持つ  
・指を開く  
・力を調整する  
・食べ物をつまむ  
・口まで運ぶ  

という、
たくさんの工程があります。

つまり、
「できない」のではなく、

「どこかの工程で止まっている」

ことが多いのです。

これは、
心の動きも同じなのかもしれません。

「動けない」

と言っても、

本当は、

・何から始めればいいかわからない  
・失敗が怖い  
・エネルギーが残っていない  
・完璧にやろうとしてしまう  
・本音がわからなくなっている  

そんなふうに、
どこかの工程で止まっているだけなのかもしれません。

でも私たちは、
その細かい部分を見ずに、

「私はダメだ」
「根性が足りない」

と、
結果だけで自分を責めてしまいやすい。

だから私は、
「動けない人」を見るとき、

無理に背中を押すより、

「どこで止まっているんだろう」

の視点で、一緒に探したくなります。

それは作業療法士としての経験だけではなく、

私自身が、
「動けない自分」を責められてきた感覚を
知っているからかもしれません。

子どもの頃、私は母から、

「根性が足りない」
「そんなんじゃダメだ」

と言われることが、よくありました。

だから私は、

動けない=努力不足  
できない=甘え

のように感じていた時期があります。

でも本当は、喝を入れてほしかったわけではなく、

「しんどかったね」
「どうしたらできそうかな」

と、私のペースで一緒に答えを探してほしかったのだと思います。

不安だったり、
怖かったり、
疲れていたり。

心のどこかが止まっている時、
本当に必要だったのは、

「否定されない安心感」

だったのかもしれません。

だから今、
私は他者と関わる中で、

無理に変えようとするより、

どこで苦しくなっているのかを、一緒に見つめたくなる。

もしかするとそれは、
誰かを支えながら、

過去の自分自身にも、

「そのままで大丈夫だよ」

と、伝え直している時間なのかもしれません。

人は、責められると動けなくなることがある。

でも、理解されると少し呼吸ができるようになる。

そしてその呼吸が、
もう一度動き出す力へ
変わっていくこともあるのだと思います。

私自身も、過労をきっかけに、

「月を満たす」

という生き方へ、
少しずつシフトしてきました。

無理に頑張ることより、

今、
どこで苦しくなっているのか。

何を感じているのか。

まずは、
置いていかないこと。

その積み重ねが、
少しずつ、

「動ける状態」に繋がっていくのかもしれません。

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