親の終活で考えた自分の葬儀 宗教心
高齢の父親の終活を真剣に考え始めた。
賃貸住宅に住む一人暮らしの父、施設の入居を検討中。
そこでネックになるのは、お仏壇。
15年前、息子(私の弟)を亡くし、葬儀屋さん関連の会社から即購入。
葬儀の翌日、セールスの訪問。私がその場は断ったが、私のいない間に
立派なものが鎮座していた。
浄土真宗?キンキンキラキラ金色の装飾が施された仏壇は
小さな公営住宅、質素な暮らしの中でひときわ異彩を放っていた。
それまで、お墓参りも行ったことのないような宗教心がナイ環境。
父の母(私の祖母)も、連れ合い(私の祖父)が亡くなった時に
仏壇を家に置いたが、拝んだところを見たことがない。
それどころか扉が閉まっていたことすらある。
当然、お掃除もされてなかったと思われる。
買っただけ、置いただけ…という方が罰当たりではあるまいか。
ご先祖様があってこそ、わが命、感謝の気持ちがないから
次々と不幸になるのか?
ここは考え方
私は天国も地獄も生きている間に見るもので、死んだら終わりだと考えている。なので、私自身が亡くなった時、私の縁のあるものは何もかも消滅させたい。骨も自然の中に、還るのが理想だなと思っている。
それは海なのか土なのかわからないけど…これも私の終活検討中。
というわけで、宗教って何なんだろう?と考える。
キリスト教徒にとってXmasは特別な日。
私にとってはケーキを食べてプレゼントをもらう日…なんら宗教とは関係がナイ。
一年の終わり、大晦日。今度はお寺、仏様?
除夜の鐘、108つの鐘の音…108つの煩悩を消す?
元旦、初日の出を見て神社に初詣。
この時は神様がいると信じているのか、1年の平穏無事を拝んでみたり。
あとは…『困った時の神頼み』
何かを願う、行き詰まった時、神社に出向いて拝む。
私にとって、神様仏様って生きてる時、心を平穏にしてくれるもの。
だったら、私の葬儀はお坊さんの読経とか要らないなと思ったり。
私が死んだとき、遺体だけ置いてあるのも、気持ち良い風景じゃなさそうなので、キレイなお花沢山飾って、集まりたい人だけ集まって思い出話でもして貰おうかな。
親戚が集まる機会って、我が家は葬儀の時くらい。
弟が亡くなった時、久しぶりに集まる親戚も悪くはなかった。
でも、もう今は要らないかな。生きてる人が負担になることは。
みなさん、信じる宗教はありますか?
ここ2週間続けて、この酷暑の中、自分の信じる宗教のチラシを持って布教する方の訪問が有った。今回は品の良さそうなご婦人2人だったが、子どもを連れて回る人たちも過去に何回かお会いしたことが有る。
小学生と思われる同行の子ども達は白のシャツに黒いズボンで正装?で歩いて回っていて、自分だったらイヤだなと思っていた。
それが、『徳を積む』という行為なのかもしれないが。
良いことを人に広める、人の幸せを願う…
先日、誘われたランチもこういうものだった。
信じる人は否定しない、その人の何らかの拠り所になるのであれば良いと思う。
でも、私はやっぱり、宗教心ないなぁ。
生きてる時が全て。死んだら終わりと思うのは心が歪んでいるのかな。
仏壇に花や美味しいモノ備えられても私はいないと思うので、
生きてる間にお願いします。
