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あなたは本当に変わる必要があるのだろうか?

きっかけは、あるSNS投稿から

最近、ある人のSNS投稿を見て、少し悲しい気持ちになりました。
誰かに「あなたはこういうところがダメだ」と言われたそうで、それを直したと、嬉しそうに綴っていたからです。

その人がそうやって前向きに変わろうとしていることは、きっと良いことなんだろうと思います。

変わらないといけない人もいるとは思います。
でも、ふと「本当にそこ、変える必要あったのかな?」という問いが頭に浮かびました。

できない自分のままではダメなのか?

たとえば、別に困っていないのであれば、できないままでもよくないでしょうか?
周りに迷惑をかけているわけでも、自分が辛くてどうしようもないわけでもないのに、
「直さなきゃ」と思わされてしまう空気って、どこにでもある気がします。

“飾らない自分でいてもいいはずの場所”で、なぜ自分を矯正しなければならないのでしょう。
たとえば、多様性や交流を掲げたような環境でさえ、実際にはひとつの価値観に沿うことを求められる場面があります。

「違っていい」と言いながら、どこかで「でも本当はこうであってほしい」という圧がある。
その圧に応えるように、自分を削る必要があるのかどうか、一度立ち止まって考えてもいいのではないでしょうか。

変化のきっかけと、変化の動機

もちろん、誰かの言葉がきっかけで自分を見つめ直し、変わろうとするのは素敵なことです。
でも、きっかけはきっかけとして、
「本当に自分はそれを変える必要があるのか?」を見極める必要があんじゃないかと思います。

変わるべきかどうかの判断は、最終的には自分の違和感や納得感から出発してほしいのです。


変化は「必要に迫られた時」でいい

できるようになる努力は、仕事や生活の中で、必要に迫られた時にすれば十分だと思います。
全部自分で頑張らなくたっていい。ツールを使っても、人を頼ってもいい。
なんなら転職するでも住む場所を変えるでもいいと思います。

「できない=悪」では決してないはずです。
できないことがあるのは当たり前では?と思います。

「困らない=変えなくていい」でもいいはずです。


「誰かの期待」に振り回されないために

「自分の意志か」「他人の期待か」。
変わろうとしている動機が、もし他人の期待によるものであれば、それは話半分にしていいのではないでしょうか。
その期待に応えることで、自分が本当に幸せになれるのかどうか。

そこを見失ってしまうと、ずっと“誰かの基準”に振り回されることになるんじゃないかと思います。

最後に

この記事を誰かに届けたいわけではありません。
でも、「変わらなくてもいいんだよ」と誰かが言っている場所があってもいいと思って、こうして書いておきます。

変わりたければ、変わればいい。
ただし、それが“他人の期待”であるなら、100%納得してからでも遅くはないと思うのです。

私自身も、他人から否定されることの多い人生を歩んできました。
その中には、別に聞く必要もないような意見も山ほどありました。
もちろん、大切に思ってくれている人からの否定であれば、耳を傾ける価値があるとも思います。
でも、「大切に思っての否定」が常に正しいとも限りません。

意見は意見として受け取りつつ、最終的には「変わった方がハッピーかも」と思えることだけ変えればいい。
そう思います。

本当にそれ、変える必要ありますか?

問いだけを、そっとここに残しておきます。
答えるのは、あなた自身です。

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