積立額は予定どおりだった。子どもの話は、途中で終わっていた
ダイニングテーブルで、家計の画面を開いていた。
今月の残高から、これから引き落とされる支払いを引き、来月も同じ額を積み立てられるか、数字を見直していた。
「今日、係を決めたんだけどね」
子どもが隣に立っていた。
「うん」
顔を上げないまま答え、積立の欄を開いた。
「最初、誰も手を上げなくて」
「そうなんだ」
あと一つ数字を確かめれば終わると思った。
「これだけ見たら聞くね」
「うん」
その返事のあと、子どもの声は続かなかった。
確認を終えて顔を上げると、子どもはソファでゲームを始めていた。
「係、どうなった?」
「決まったよ」
子どもはゲームを見たまま答えた。
答えは聞けた。話の続きは戻ってこなかった。
積立額は予定していたとおりだった。
残高もすぐに困る数字ではなかった。
安心するために開いた画面だった。
それなのに、手が止まった。
仕事も家計も、家族があとで困らないように続けている。
仕事には締切がある。支払いには期日があり、積み立てには目標額がある。
終わりが見えるものは先に終えたくなる。
子どもの話には期限も完了欄もない。
今聞けなくても、また話してくれるように思える。
私は家族との時間を削ると決めたことはなかった。
必要なことを先に済ませていただけだった。
けれど、必要なことがすべて終わるのを待っていたら、家族との時間はいつも最後に残る。
最後に置いた時間は先の用事が延びるたびに小さくなる。
家計の画面には、いくら使い、いくら残したかは出ている。
さっきまで隣にいた子どもの時間は、どこにも出ていなかった。
家族を守るための計算に、今日の家族との時間だけを入れていなかった。
積み立てをやめたいわけではない。
仕事を早く切り上げれば、すべて解決するとも思わない。
必要だったのは、家族との時間をすべての用事の後ろに置かないことだった。
数日後、同じテーブルで家計の画面を見ていると、子どもがまた隣に来た。
「今日ね、席替えがあったんだけど」
画面はそのままにして、椅子を子どもの方へ向けた。
「うん。それで?」
立ったままだった子どもが隣の椅子を引いた。
話は新しい席のことから、休み時間の出来事まで少しずつ広がった。
私は何度か相槌を打った。今度は、子どもが話し終えるまで、顔を画面に戻さなかった。
話し終えた子どもは椅子を押し込み、リビングを出ていった。
それから、家計の画面に向き直った。
積立額は、さっきと同じだった。
確認もそのあとで終えられた。
その夜、子どもの話は、途中で終わらなかった。
画面に出ているものだけを見ていると、その横で進んでいたものを見落とすことがあります。
まだ履ける靴と、もう合っていなかった息子の足を分けて考えた日のことです。
