思い出が冷える音は、誰も聞かない
朝の空気は、もうやわらぎを残していなかった。
扉を開けた瞬間、
街の冷えがそのまま身体の内側に流れ込んでくる。
吐く息は白く、
それが消える速さだけが、
時間の進み方を教えていた。
空は高く澄みきり、
雲の気配も薄い。
光はあるのに、
温度を伴わない。
歩道の端には、
昨夜の名残が薄く固まっている。
踏めば崩れるほど脆く、
残しておいても、
昼には消えてしまう白さ。
それでも街は、
それを片づける気配もなく、
ただ、その上を通り過ぎていく。
街路樹はすっかり葉を落とし、
枝だけになった影が
舗道に長く伸びている。
伸びてはいるが、
どこにも辿り着かない影。
朝の音は少ない。
車の走る音も、
人の足音も、
どこか遠く、乾いている。
この季節になると、
思い出は、
思い出であることをやめはじめる。
楽しかったはずの場面も、
確かに存在した誰かの温度も、
時間の中で保存されるのではなく、
静かに冷えて、
動かなくなっていく。
忘れたわけではない。
思い出せなくなったわけでもない。
ただ、
触れる必要がなくなった。
街のあちこちに残る白さは、
積もるほどではない。
でも、
確実に季節を押し進めている。
その白さに似て、
記憶もまた、
形を残さないまま、
内側の景色を変えていく。
何かが終わった、という実感すら、
もう遅れてやってくる。
気づいたときには、
すでに、
それが当たり前の風景になっている。
立ち止まって振り返っても、
そこにあるのは、
冷えきった街と、
無言の空だけだ。
それでも不思議と、
胸は騒がない。
この深さまで来てしまえば、
嘆くよりも先に、
静けさが勝つ。
冬は、
記憶を奪うのではない。
役目を終えたものから、
順に手放させていくだけだ。
白い息が空に溶け、
すぐに形を失っていく。
それを見送ることに、
もう、
言葉は必要なかった。
