キーボードとコーヒーポットのあいだで
大阪本社の敷地は高槻市宮田町の東西を抜けて、JR京都線と平行に走る国道171号線沿いにある。この辺では比較的広い道路の向かいには住宅展示場があり、社員は通勤時にそこをすり抜けて信号を渡り、本社ビルに入門する。緑化のイメージはあまりない。スーパーや、コンビニ、パチンコ屋、ファミリーレストランなどは多く見受けられるが、無機質、かつ実用的に並べられた感があり、自然と情緒のイメージはむしろ東京の成瀬のほうが強いかもしれない。本社ビルは私が入社して1年経った2021年に竣工された新しい社屋だ。本社は製造現場を含めて1000人近くが通勤しており、新築された本社ビルも6階建ての大きな建物だ。上面から見てほぼ正方形の直方体型のビルは、中央部が4階から6階まで吹き抜けとなっており、それを囲むように階段が1フロアごとに螺旋状に上り、執務室はその周りに配置されている。見渡しはかなり良い。真新しい白い壁と落ち着いた色調のフロアカーペットに、ベージュ色の執務デスクが並べられている。日本企業としては珍しく、座席は管理職以外はフリーアドレスとなっており、基本的にはどこに座ってもかまわない。ただ、同じ業務をするもの同士で集まる傾向があり、暗黙の了解で次第に座る場所が固定化するというのは、日本文化的な現象と言えるだろう。
会社の一日は全社員で行うラジオ体操で始まる、ラジオ体操終了後はさらに自社でアレンジした、腰椎の健康を維持するための体操へと移行する、皆が同じ動きをするが、私には体の手入れをする独自メニューがあるため、他の人と歩調を合わせることなく、かなり念入りにオリジナルなストレッチを展開している。流れる音楽とも同調していないが、それを注意されたことは一度もない。
体操を終えて仕事を始める。プロジェクトマネジメント課としての初の仕事で、客先への初回提出の技術図書を作成するというものだ。設計図や仕様緒元データを含め合計36種類もの資料を提出する。システムである程度のところまでは作成できるが、細かいところは、客先の仕様書や社内規定を見比べて詳細をチェックしながらの作画となる。このような技術的な業務は2020年の入社当初に1年しか経験していなかったので、CADの使い方や社内の技術支援システムの使い方を思い出しながら頭をフルに回転させていた。
途中でデスクの脇に置いてあるコーヒーポットに手を伸ばしたいと思ったが、そう思うだけで実際に手を伸ばすことはなかった。頭脳が仕事のデータでいっぱいになり、少し休もう、と考える間もなく、ひたすらキーボードをたたき続ける自分がいる。初回の仕事をしっかりやり遂げたいという気持ちもあるが、途中でミスが何度も見つかると心が折れそうになった。
完成したドラフトは同僚にチェックしてもらっていた。設計部門出身で私より経験が長い同僚が確認してくれていたのはかなり助けになった。実務開始の初日は残業を余儀なくされた。期日は水曜、翌日までに提出しなければならない。夜はしっかり休息し、翌日の朝食は脳を活性化させるためにいつもより多めにタンパク質と炭水化物を取るようにした。
翌日は設計部門にもドラフトを見せて校正を依頼したりした。昨日と同様、息つく間もなく、時間はあっという間に過ぎてゆく。何度も確認しあいながら何とか期日までにすべての図書を提出することができた。やれやれと少し安堵したが、これからの課題も多くあるのがわかった。課内でも協議して、今後は無理のないルーチンや業務手順を確立させてゆこうと考えている。
ホテルに戻り、リラックスした気持ちでこの執筆を始めた。ホテルの浴槽はとても狭いが一日の疲れを癒すのに十分役に立っている。実家の工事のこととか、考えなければならないことも多くあったが、手が回らなかった。数日中に対応する予定だ。辺りは静まりかえっている。時折聞こえるJR京都線の列車の音にも少し慣れて、今はあまり気にならなくなった。
