消える有休と暴君の行方…地方工場の小さな世界で 〜本日も曲者あり〜
何かがせめぎ合っている。
いつもなんとなくパソコンの前に座り、なんとなく打ち始め、なんとなく終わる。そんななんとなくのいつも、がやって来ない。
Ms. 出不精具レイ。
分かり易い暴君は既に記憶の彼方だと思っていたのだが、強烈な記憶は消化(もしくは消火?)に時間がかかるということか。前世うじ虫、現世カメ子の私(波瀾ミチ)、カメは反芻しないと思うのだけれど、グルグル思考は止まらない。
「出不精具さん? 一番にお電話です。」
もう三回目である。
通路を挟んだ隣の島の、大きな背中に声を掛け続けること三回。二回目までは「アレ?もしかして聞こえていない??」とお人よし発想をしていたが、さすがの三回目が過ぎて周りが少しざわついた。
紙川工業㈱の営業部は通常ひんやりしている。なんでも先々代の独裁社長が事務所内での私語を一切禁じていたらしく、珍しいほどのひんやり感はその名残らしい。そういう訳だから、やはり私の声はしっかりと届いていたようで、営業さん達が顔を上げてこちらを見るから、仲良しにちょっと手を振ってみた。国内事務の女子達の後ろ姿も申し訳なさそうに動いている。あちらの島から“ごめんなさい”が漂ってくる。なのに、こちらの島の我がボス、減田さんは気がつかないのか巻き込まれたくないのか、たぶん二番目の方の理由で知らんぷりを決め込んでいる。
老いも若きも皆、電話に出たがらない。気持ちは分かる…誰だって仕事を中断したくはないわけで、それは波瀾ミチとて同じなのだけれど…放っておけず今回もまた自ら悪運を引いてしまった。
まだ九時前、出張先の社員からの入電であったのは幸いだったが、日本の端の方に出向いている人の急ぎっぽい呼び出しに、ほんの数メートル先にいるそれほど急いではいなさそうな人が応えてくれない。時差などございません、なのだが果てしなく距離を感じる。
傍観者になれない左隣の韓国人、男気のある金さんが「出不精具さん、聞こえますか?」と声を掛けてくれた。Ms. 出不精具レイは金さんのことは好きなはずなのに、「うるっさいなぁ」と低く言い、「何番ですかぁ?」と背中のままに不機嫌絶好調の声を発する。(だから、一番だって!)誠に失礼である。
金さんが言う。
「もう、出不精具さん宛ての電話には出なくて良いですからね、ハーランさん!無視しましょ。」
流暢な日本語に韓国訛りが残っていることで、より感情が乗っているように聞こえる。
右隣の我道さんもここぞとばかりに主張する。ちなみに我道さんは、短大卒業後に長くイギリスで暮らしていた“カテゴリー日本人”とはならないアラフィフ女性である。
「そうだよそうだよ、海外の電話だけ出りゃいいんだからさ、ほっとけよ。国内は国内、ハーランさん忙しいんだからさ!」
隣人愛に感謝しつつ、そんなことはできないから微妙に笑うしかない。隣の島の面々がこちらの住人の会話を気にしているのが見える。減田ボスのみが、仕様書とにらめっこしている。
そうこうしている間もMs. 出不精具レイは電話の主と戦っている様子だった。
「はあぁ?」(怒り)
「知りません!」(キッパリ)
「それ私がやるんですか?」(怒り再び)
「イヤです!」(バッサリ)
大体こんな感じでわりと長い時間が過ぎ、ガシャン!と受話器は置かれた。聞いてしまったというより、意思はないのに聞こえてしまったが素晴らしく的確。誠に不快な音で電話が可哀そうだった…出張先の人間も困惑していることだろう、きっとすぐにもう一度電話がかかってくる、と睨んでいたとおりに呼び出し音は鳴り、我道さんが受話器の上に手を置いた。電話に出るなというこの隣人愛、対応してもしなくても空気は重くて息苦しい。
そもそもMs. 出不精具レイは始めから営業部に属していたわけではない。入社時、私(波瀾ミチ)の制服を準備してくれたのは彼女だった。その頃から感じが良いわけではなかったけれど、お世話にはなった。あくまで総務の人だったのに、この度めでたくもなく営業部に異動してきたのだ。
異動の理由は小さなことから大きなことまで、たぶん小さくて済んだことをわざわざ大きくしたり、元々が大きな問題をより巨大化させたりした事々の積み重なり。上層部判断による満を持してのことと聞いている。ただ、異動先については一悶着も二悶着もそれ以上もあったらしい。あまりの大物ゆえ指名された各部署が遠慮したらしく…他部署上長の賢明なご判断に心からサムズアップだ。
地方の中小企業である紙川工業㈱は、地域に根差し貢献する?をモットーに毎年決まった高校から何人かの女子生徒を採用している。
十八歳の威力は凄まじい。ただでさえ女性が少ない職場で、お兄様やおじ様、私(波瀾ミチ)のようなオババにも大切にされながら、どんどん眩しくなっていく。
早くから社会に出るので、都会に住む人達よりも結婚を決めるのが早い傾向にある。産休、育休の後はママの気配もなくキラッとメイクでシュッとして戻って来る。ずっと可愛いうえに優秀。
その女子達が小さく騒ぎ始めた。最初は小さく次第に大きく声を挙げていったのだ。
“有休の数が減った”
ん?????
なんで?
そんなことある?というか、そんなことが可能なの?というか、その両方。
そしてその仮説が成り立つのだとしたら、誰がそんなことをしたの?である。
結果。
有休に操作があったことは確認され、ごく限られた人しか関与できない状況より被疑者も直ぐに上がった。繊細な案件ゆえ深い水面下での動きであったのだが、噂話に疎い人間の耳にもその情報は届いた。
…で。
もちろんMs. 出不精具レイの全面自供とはならず、限りなくクロに近くても証拠のない推定有罪。ご本人は冤罪を主張する被害者となり、支援者を捕まえては事実無根を訴えていた。(支援者…はて?)
そんな普段に増した淀みのなか、仲裁に現れたのが総務部長である。
確認を徹底するべきであった、最終確認で漏れがあった、決して個人の責任ではない、悪いのは上長である自分だ。一度退職された後の再雇用ゆえ御年は七十を優に超えている。紙川工業㈱ 総務部にてなんと半世紀以上を過ごした重鎮の言葉に偉い人達は黙った。その場でMs. 出不精具レイは守られた。そして、総務部長が再退職した翌月、彼女に異動の辞令が下りた。部長が守りたかったのは本当に彼女だったのだろうか。
有休操作の原因は“若さへの妬み”だったのだろう、が総じての結論である。
ちやほやされるのが許せなかったのだろう、と。
Ms. 出不精具レイは理解しがたい人であり、善人だとは思えない。嫌がられていても気がつかないのか気にならないのか、常に自分を貫き通している。周りのことなど知ったこっちゃない、私は私よ!肩で風を切り、足でそこらじゅうを踏み鳴らす。
例にもれず、私(波瀾ミチ)も彼女の暴挙に振り回って苦しんでいた。できるだけ距離を置きたいとも思った。他人の迷惑の上に成り立つ個人の自由。多くの人に疎まれている人物。なのに、なんだか少しだけ羨ましいのはなぜだろう。
貧乏くじを引きたくないのに、空気を読んで動いてしまうこと。誰に頼まれるでも命令されるでもなく、自ら“いい人”を選んでしまうこと。そして勝手にグズグズ沼へと沈んでいくこと。全部全部、その全部が、自己責任だと私(波瀾ミチ)は知っている。
せめぎ合うのはきっとそんな不甲斐なさを知っているから、なのだ。
なんとなく、そう思う。
