自分の副音声はいらない
noteの使い方の話をすると、私は有料記事やメンバーシップで中身が読めなくてもスキを押すことがある。
それが不誠実だとしても、私個人は誠意で。
いつだったか、記事を書いてもタイトルが浮かばなかった。下書きにして寝かせて、再び読んでもタイトルが付けられない。
だいたいはインスピレーションで付けれたものが、この記事だけ出てこなくなった。
タイムラインにたくさんの作品が並ぶ。
私はタイトルに敬意を払っていたのか?
「タイトル付けるって楽勝やん」と人様を軽視していたんじゃないかと、その日を境に態度を改めた。
「読んでないのにスキする人がいる」
こういったご意見、批判も甘受して、私はスキを押すし、人様へ私と同じようにせよと強要したりしない。
正直、読んでもスキしない記事がある。
noteを開始した6年前だった。
あちらこちらのコメント欄で頻繁に見かける名前に、どんな人物なのか興味が湧いた私は、その人のリンクを開いた。
「あっ」
内容は、その人の生い立ちから就職列車に乗るまでの15年間の自叙伝だった。
あとがきを読むと、文字数が幼稚園に上がるまでで約8万字あるらしい。
スクロールしてもしても文字しかなくて、私は30分読んで落ちてしまった。
単純計算すると約40万字。
『吾輩は猫である』より長い。そりゃ私は30分で落ちるわ。
本当に申し訳ないが、なんの収穫もなくてスキが押せなかった。
スキには様々な意図を含んでいる。
その中に惰性で押したものがあったにせよ、生存確認や点呼でいいんじゃないかって。
まあ、自分を正当化するなら、そうだけど。
以前と比較して、細かく思わないことにした。
というか、意味が分からんものへ意味を知ろうとしなくなった。推測の域を超えないものへ、自分の副音声は不要だよな。
人の気持ちなんて分からないのに、どうしてスキを押した相手の意図が分かるのさ。自分が思いたいように解釈してるだけじゃん。
それなら「明日、何書こうかな」と自分の脳みそと相談した方が建設的じゃないかね。
そして私は、タイトルにもリスペクトしてるから、内容が読めなくてもスキを押します。
いいじゃん、これで。
note運営さん以外がローカルルールを作って、note全体のルールみたいに裁かないでね。
ぎゃーぎゃー騒ぐヤツは、メンドクセーから。
