【法曹論】弁護士と 酒は庶民の 味方なり
え~、毎度バカバカしい噺ですが、一席お付き合いの程。先日、ちょいと郊外の仕事先の帰りに立ち寄った赤提灯で、つい盛り上がり過ぎまして、気が付きゃ子の刻。慌てて見知らぬ駅まで駆け込み、見知らぬ準急に飛び乗ったのですが、これが意外と空いていました。まあ、上りって事もあったのかも知れませんが、サラリーマンの居ない土日の夜なんてそんなもの。私はロングシートの端に座ってウトウトし始めました。
勿論、地元の席亭さんがクルマを手配して下さる事が多いのですが、殆ど私は丁重にお断りしています。これはね、実はね、大ファンだった嵐寛寿郎さんの真似事なんですよ。そう、破天荒な生き様でも知られる往年の映画スター“アラカン”だ。彼はどんなに売れても、ご自宅から撮影所までの移動にはよく嵐電を使ってたってんですよ。ああ、東京の人にゃ馴染みが無え――って私も東京人だけど――嵐山まで行く電車ってことで“ランデン”ね。正式にゃ京福電鉄って謂うそうですが、京都にゃそう呼ぶ人は一人も居ねえそうで。私なんざ“嵐寛”の乗る電車だから“嵐電”だと思ってましたよ。
尤も、それとね、クルマで帰る癖を付けちまうと、安心して際限なく呑んじまう気がして、己への戒めでもあるんですよ。昔は酒癖が悪くって説教の諄い先輩がゴロゴロ居ましたからねえ。あれからウン十年が経ちましたでしょうか、ふと我が身を振り返りますと、私自身も後輩達に同じ様な振る舞いとまではいかねえけど、あんなに嫌いだった先輩に近付いてるって自覚する瞬間があるもんだから怖いね。まあ、これはこれで勉強です。当時の先輩がどんな気持ちで私に説教してたのか、自分が先輩の歳になってみて理解すんのも勉強。当時の私も説教を喰らって仕方ねえ若造だったんだって反省すんのも勉強。さりとて、過去の自分がされたイヤな事を現在の自分が他人に繰り返しちまうってのは、弱い人間のするこった。だから、私は、酒の席でトイレへ行くたんび、言動に落ち度が無いか自問しつつ、真っ直ぐ起立姿勢を保ちましてね、あの“アサガオ”のド真ん中へ正確に小便を垂れるよう心掛けましてね、自分が未だ酔っ払っていないことを試すんです。で、三回目の用を足したら、それを合図に「そろそろお開き」って決めてるんです。が、そんだけ注意を払ってても、終電一本前の準急で転寝なんだから救い難えや。
さて、ウトウトしてる私の傍で、中年女が車内をウロウロしてる。何かを物色してるみてえだったが、突然ピタリと止まって、私の隣に腰掛けた。他の席もガラ空きだってのに、態々真横にですよ。薄気味悪いんで黙って狸寝入りしてたら、「どちら迄ですか」って話し掛けて来やがった。身なりは小奇麗なんですけどね、まるで家出でもして来たんじゃねえかって程でっけえ鞄がやけに訝しい。けど、こういう時、人って咄嗟に嘘を吐けるもんじゃねえし、第一この電車じゃねえと家に帰れねえから逃げられねえし、正直に「○○駅迄ですが」って答えるってえと、ニタリと笑みを浮かべ「ワタシもです」って返って来る。一気に酔いが醒めたのも束の間、「○○駅のどちら側ですか」って訊ねられちまって、適当にあしらっておけば良いものを、妙な威圧感に押されて「東口ですけど」って更にまた応じてしまうと、「ワタシもです」って更にまた返って来る。
さあさあ、件の○○駅に到着だ。ドアが開くや否や、自然体と不自然の間くれえのスピードで早歩きして突き放します。改札口を出るや否や、我が家の方向へと曲がります。背後に女の影が見えない事を確かめるや否や、学校の運動会以来の猛ダッシュで高架下の公衆トイレへ駆け込みます。余りの戦慄で、小便の軌道もアサガオから逸れてしまいそうです。暫く遣り過ごし、もう大丈夫だろうってとこで外へ出てみますと、道の向こう側に肩を落として駅の方向へと引き返していく女の後ろ姿がありました。
それにしても不思議でならねえ。まさか、こうやって一日中、色んな人に声を掛けながら同じ電車を往復していたのだろうか。もう終電の時刻だが、この後はどうするつもりなのか。こうなると、徐々に彼女への興味や好奇心を抱いてしまい、さっきまで彼女に追い掛けられていた私のほうが、知らず知らずの内に彼女を追い掛ける側へと転じてるんだから、可笑しいったらありゃしねえ。とは申せ、駅の近くまで戻り、彼女がコンビニへと入ってくのを認めたその辺りで、流石に己の行動の下らなさを悟ります。そこで漸くやれやれと再び家路へと踵を返したその途端だ。背中をポンっと叩かれて振り向けば、彼女がニタリと笑みを浮かべているではありませんか。何という素早さ。呆気に取られてる私に一言、「鬼ごっこの鬼は私のほうですよ」って囁く彼女の表情が、見る見る内に鬼の形相へと変化し、角が生え、牙が生え、「ギャ~」と私が叫びますってえと、夢から覚めて蒲団から飛び起きた私の目の前に、「あなた、随分と魘されてましたよ」って、ウチのカミさんの顔。こっちのほうの鬼にも思わず「ギャ~」って叫びそうになる有様でして……
生まれてから死ぬまで一遍も医者の世話にならねえ人ってのは、おそらく現代の日本じゃ一人も居ねえんじゃねえでしょうか。一方、生まれてから死ぬまで一遍も弁護士の世話にならねえ人ってのは、そんなに珍しくもねえでしょうな。同じ“先生”って呼ばれる職業なのに、距離感が相当違います。斯く云う私も、弁護士がどんな仕事をしてるかなんざドラマでしか見た事が無えし、ましてや弁護士って人と実際に会話をした経験がありません。
そこへ来ると、法曹界で活躍してる方々の生の話を大学で直接聴けるってところなんざ、法学部生ならではのメリットの1つかも知れませんな。この日の熊は、半年だけの短いコースですが、弁護士・裁判官・検事の其々からアレコレ教えて貰う「法曹論」って講義を受けてました。司法試験に挑戦する気など毛頭無い彼でしたが、自ら法学部を選んどいて、法律の専門家が一体どういう存在なのかも分からねえまんま卒業すんのは、何となく勿体無えし、恥ずべき事なんじゃねえかと感じたんでしょうな。今回のパートは弁護士さんだ。
「元々、法曹の『曹』というのは、中国で『部屋』『役所』といった意味です。則ち、法曹とは、法を司る役所または役人を指していましたから、私達弁護士が『先生』って呼ばれるのは本来おかしい訳ですけど、よくよく考えてみれば、国公立の学校の先生は公務員ですから、役人の中にも『先生』は居る。彼らみたいな正真正銘の『先生』のお零れに与って、或いはお医者さんのお零れに与って、私達も人を救う商売の端くれってことで『先生』と呼ばれる様になったのだと思う様にしています。先生だなんて謂われても、偉くも何ともありません。これは卑屈なのでは無く、それくらい泥臭い仕事なんだという事を先ずは皆さんに認識して欲しいのです。
だいたい人生で弁護士が役に立つ場面というのは、その人が鬼に追い掛けられたり捕まったりした時だけです。その鬼が警察だったら刑事事件、その鬼が身内や借金だったら民事事件ってところですね。圧倒的多数の国民はそこまで危ない鬼とは遭遇せずに生きています。その割に、弁護士は不足しています。現在14,000人。これは外国と比べ極めて少ない。而も、都市部に集中していて、弁護士過疎地域が発生している上、高齢化の傾向です。従いまして、司法試験の合格者は毎年約700人ですが、若返りを図ろうと、このうち約三割は初めての受験から3年以内の者とする枠を設けようという話が進んでいます。弁護士側はこれに反対しましたが、より良い案も出来ず、この儘の計画で行きそうです。若い人達が司法試験を目指すには今がチャンスという状況は間違いありません。
但し、一人前の弁護士になるまでの道のりは長い。これはどんな職業にも当て嵌まるんでしょうけど、弁護士は特に長い。先ず、大学での法学教育が4年間ですね。ストレートで入学したとしても、これで22歳。卒業後の司法浪人期間が平均して4年程度ですから、これで26歳。2年間の司法修習で28歳。そして弁護士事務所に入って勤務弁護士、所謂イソベンとして働きながら教育を受けている内にもう30代です。サラリーマンだったら、大きな取引先を任されたり、主任や係長も手に届いたりする年齢になって、漸くヨチヨチ歩ける様になるってイメージです。長い受験準備の期間が本当に意味のある必要不可欠なものかどうかは疑問ですが、司法修習の期間は貴重です。法曹を志す個性豊かな人物が集い、机上の空論では無く、中身の濃い学習をします。私にとっては生涯の友を得る機会にもなりました。」
――これを聴いてる熊の野郎は既に欠伸が止まらねえ。教室では寝ないっていう自分への誓いを小中高とずっと守り通して来たから、一応耳は傾けてんだけど、それでも眠いのは、鯔の詰まり関心が持てないんです。熊は「弁護士になりたい」って人間は凄え変わり者だと思っていました。だって、子供ん頃に病気を治してくれた医者に憧れるとかなら解る。プロ野球の試合に連れてって貰って強打者やエースに憧れるってのも解るし、夜空を観察してる内に宇宙飛行士に憧れるってのも解る。パンが好きならパン屋、本が好きなら作家や司書、海が好きなら漁師や船乗り、寄席が好きなら噺家や漫才師、どれも皆、解り易いです。けれど、世の中の職業で幾つか「志望動機」ってやつがどうしてもハッキリしねえもんがある。それが熊にとっちゃ、政治家・銀行員・証券マン、そして弁護士・裁判官・検事だったんですね。名誉とか金銭とか正義とか、そんな得体の知れねえもんを商売道具にすんのが、兎にも角にも肌に合わねえ。これは皮肉でも何でも無く、只々純粋に不可解なんです。何せ熊のオツムは単細胞ですからね。そりゃ、熊は生粋の東京っ子だから、小学生ん時にゃ社会科見学で国会議事堂にも東京証券取引所にも、そして最高裁判所にも訪れてますよ。けど、実際の裁判を傍聴した訳じゃねえし、傍聴したところで憧れはしねえだろうし、大ホールのテミス像なんか目にしたって、寧ろ子供にとっちゃ若干おっかねえ印象ですわな。
因みに、先生の講義内容は、今は昔のこと、熊が大学生だった頃の昔です。昨今じゃあ、例えば弁護士さんの数は凡そ48,000人だって謂うし、司法修習も1年に短縮されて久しい。そう思って噺の続きを聞いて下さいね。
「弁護士は必ず弁護士会に登録せねばなりません。弁護士会は全国で52存在し、所属する弁護士を統制・監督・指導する機能があります。この52の会を取り纏めるのが日弁連です。
弁護士は個人事業者であり、弁護士と並行して他の職に就く事は弁護士会の許可無しには出来ませんし、弁護士としての信頼も失いかねません。社会における秩序と人権を守るというのが弁護士の基本的な役割とされています。よって、依頼者が無実の罪に問われているケースは勿論のこと、その依頼者がどんなに凶悪な罪を犯した人物であったとしても、きちんとした法の手続きを経て罰を受けるために、弁護士は検察側の動きにブレーキを掛ける役割を担っています。弁護士と検事、そして裁判官はお互い対等に張り合える能力を各々持たねばならない訳で、三者の内どの職を志望するかに拘わらず、同一の司法試験に基づいて資格を与えるのは、そんな理由からであります。
次に、弁護士の日常ですが、訴訟・非訟を問わず、多岐に渡る活動をしています。家裁の調停委員など公的な役割も果たしています。最近では、明治時代に作成された法律の難解な表現を分かり易い現代の表現に改めようという動きの中で、法制審議会に意見したりしています。あとは役所の窓口業務ですね。私を含む約50人の弁護士が相談員として働いている練馬区役所には、凡そ年間4,200件の法律相談が寄せられます。ざっくり分類すると、その内4分の1が遺言や相続のトラブル、4分の1が金銭トラブル、4分の1が借地借家や土地のトラブル、で、残り4分の1が夫婦や男女関係のトラブルです。相談に応じる弁護士の合言葉は『無益な争いを無くそう』です。相談に来た方を可能な限り説明によって納得させます。『あなたの主張は、法的に理屈立てれば或る程度は認められるだろうけど、そんな訴訟を起こすのは常識的にも無益だし、やめといたほうがいいですよ』という説得です。そうなると、法律相談だった筈が、いつの間にか人生相談や生活相談へと展開していき、一種の精神カウンセラーみたいな事までやらねばなりません。そりゃ、ストレスも溜まります。それでも当事者だけで収束しそうならアドバイスに留めますし、止むを得ず裁判所の力を借りるにしても調停もしくは仲裁の道を探ります。
というのも、裁判になってしまうと、法廷での生々しい口喧嘩が心に傷を残す事も少なくないからです。民事事件は弁論主義です。客観的な真実が常に判決と一致するとは限りません。原告も被告も、五分五分の綱引きで、自分に100%有利な情報なんて持ってはいません。持っていたら元々裁判にもなりませんからね。そんな中で大体60%程度を上回る割合で自分に有利な情報を見付けて主張しなくては敗訴してしまいます。これが『主張責任』。また、主張した事に対して証拠を出さなくては敗訴してしまいます。これが『立証責任』。で、双方の主張を聞き終えた裁判官はというと、常識に基づく法に則って、常識的な解決に努めるのですから、結果的に『それだったら、始めっから常識的な話し合いで解決したんじゃないの?』っていう事件も往々にしてあるんですよ。
しかしながら、これが刑事事件となると、事情は異なりまして、裁判がとても重要になります。被疑者は警察に48時間、送検されて24時間、勾留10日間、延長してもプラス10日間、つまり最大23日間しか留め置く事が出来ませんから、取り調べる側としては、この23日の間に何とか白状させ、被疑者を被告人として起訴したいと考えます。ただでさえ取り調べの行き過ぎという危険性を孕んでいる上に、検察側は『被告人が絶対に有罪だ』という確信を持って、手を変え品を変え色々な証拠を集めていきます。弁護士の仕事は、検察がコツコツと積み上げたものを、コツコツと崩していく作業と申せましょう。現場にも何度も足を運びます。ですから、例えば国選弁護人を引き受ける様な方々というのは非常に尊いのです。それこそ人助けに汗を流すことが根っからの趣味みたいな方々です。
ですが、刑事事件にはやりがいというご褒美があります。執行猶予の有無ともなれば、これは裁判官の裁量に委ねられているため、弁護士としては主に被告人の情状の伝え方がポイントとなります。被告人の弁護は被告人の人生を大きく左右するものであり、弁護の成功は、弁護士本人にとっても比類なき喜びとなります。
え~、長々とお話ししましたが、ご清聴ありがとうございます。結びとして『どのような人が弁護士に向いているか』ということに触れさせて頂きますが、私は大きく2点だと思っています。
1つ目は、弁護士は自由であり独立している職業ですから、その自由独立を維持する社会的責任が伴い、その責任とは他でも無い自己規律性にあるでしょう。要するに自分で自分の襟を正せる人が向いています。
で、2つ目が在野性です。弱者を保護すべき職業ですから、既成観念に批判的な視座と、世間情勢に柔軟に対応していく向上心を所有している人が向いています。この度の阪神・淡路大震災では、家を失った人々を保護する趣旨の特別法が制定されました。無論、朝令暮改の社会となってしまっては上手く秩序が保てませんけれど、現実の社会というのは朝令暮改のペースで変化する事があり得るのです。あらゆる特別法を以ても対処し切れない課題を抱えているのです。そういう社会の中で、人々の喜怒哀楽に寄り添える人が弁護士に向いています。日弁連は『法曹一元』が好ましいと絶えず主張しています。これは、一般市民との接点が多い弁護士を先ず数年間でも経験した後に裁判官や検事となる制度です。でも、私はもう一歩踏み込んで、巷で平穏に暮らしている人々とっては、弁護士だって決して身近な存在では無いという自覚が大切だと思っています。とりわけ日本では嫌われ者の風潮すらありますし、チヤホヤしてくれるのはドラマくらいのものですね、ハハハ……」
――因みに、熊の愛して止まねえのが、NHKの連続テレビ小説、所謂“朝ドラ”なんですが、弁護士に焦点を当てた『ひまわり』が放映されるのはこの翌年、1996年の事でした。アレに登場する“赤ゲン”こと赤松先生ってのが、結構な酒好きのご様子で、小汚え事務所ん中、瓶ビールやストレートのウイスキーなんかで客人を持て成すシーンが折に触れて見られます。主人公は食品メーカーのOLを辞めて一念発起、司法試験に臨み、やがて弁護士へと成長していくのですが、この子も外では叔父の店で同僚と一杯、屋台で彼氏と一杯、家でも獣医の母親と晩酌ってな具合です。
熊は「もしかしたら弁護士ってのは、酒に似たところがあんのかも知んねえな」と率直に感じました。常に庶民の喜怒哀楽に寄り添って、飲みニケーションって言葉もあるくらい人間関係の潤滑油にも役立ってるってえのに、二日酔いって副作用もありゃ、健康を害するってレッテルまで貼られて、何故か嫌われ者でもある。弁護士にも酒にも罪は無えよ。悪いのは当人の利用方法、つまり使い方・飲み方の問題なんだけどね、酒のほうが庶民に身近な分、厄介かも知れねえな。
さて、この「法曹論」から丁度10年後、酒の会社に就職した熊は、地方の営業を経て本社へ転勤となり、京都伏見の独身寮に住んでいました。お世辞にも立派とは言い難え老朽建築。2005年当時にしたって、引き戸に南京錠の四畳半なんて天然記念物ですよ。ですが、そもそも貧乏育ちの熊にしてみりゃ、ちっとも苦じゃねえ。この日も深夜の貸切状態の共同風呂で、暢気に唄なんか口遊みながらシャンプーをしています。剝き出しの錆付いたパイプから湯がピュッピュと漏れてたって一向に気にしねえ。
「♪ココココ コケッコ~ ココココ コケッコ~ 私はミネソタの卵売り」って、コレ、暁テル子さんのヒット曲なんですけど、木久扇師匠もよく『笑点』で歌ってましたね。するってえと、真夜中のニワトリの声に驚いたのか、窓の向こうで自動車の走り去っていく余韻が消えた刹那、ドスンっと大きな物音がした。どうやら地震じゃねえみてえだけど、何せ造りが古いもんだから揺れるんですよ。浴槽の水面も俄かに波立ってる。が、ここは熊さん冷静なもんで、「どうせ寮の誰かが酔っ払って帰って来て、ひっくり返ったんだろう」と呆れつつ、一応これでも寮長って立場だから、半裸のまんま表へ迎えに出て行きます。するってえと、ひっくり返ったのは熊のほうだった。何と、ヘロヘロんなってタクシーから降りた直後、その場でアスファルトに仰向けんなってたのは、オンナだったんです。それも上等な毛皮のコートなんか羽織った30代半ば。祇園のママみてえに化粧もマニキュアも念入りだ。女人禁制の寮への客人で無え事は言わずもがなだが、うら寂しい住宅街の奥の奥の薄暗え駐車場にゃ不釣り合いにも程がある艶っぽさだ。小刻みに震えてる熊と不意に目が合います。普通は熊と遭遇して震え上がるのは人間のほうなんですけどねえ。咄嗟に熊が「こんばんは……大丈夫ですか……」って切り出すと、スクっと立ち上がって、ギロっと熊を睨み付けるオンナ。何も悪い事をしてねえのに、「ごっ、ごめんなさい……お気を付けて……」と何とか声を絞り出す熊。矢鱈と千鳥足ではあるが、それでも本能なのか、ゆっくりと歩き出すオンナ。よく見りゃ背中からストッキングにかけて粘り気のある液体で薄汚れてるもんだから、察するに自分の吐いたゲロに滑ってコケたんでしょうな。こりゃもう昭和のコントだよ。
姐さんの姿が段々と彼女の目指す目的地へ向かって小さくなっていく……ん? 目的地? 目的地って、この先に在るのは独身寮に隣接する社宅じゃござんせんか。こいつぁ見なかった事にしといたほうが無難だけど、もはや手遅れでい。それにしても、はてさて誰の奥方なんだろうねえ。まあ、酒の会社に勤める男の女房がウワバミと来りゃあ、まさに妻の鑑じゃござんせんか。蛇に睨まれた熊の幻聴なのか、姐さんの残り香と共に、恨めしい囁きが耳元に響きます。「人間をこないにも堕落さす薬売るなんて、あんさんもなかなかの鬼やねえ。鬼の癖にパンツ履かはらしまへんのんか。」ってね。ハッとした熊さん。気付けばTシャツ1枚のみ。腰に巻いたバスタオルは疾うに路面へ落っこちてら。
泥酔の人妻とフルチンの寮長。動物の放飼いより醜い娑婆ん中、熊は一縷の望みを捨てずに居ました。「会社から閉鎖の計画も出てることだし、来年あたりはこの幽霊屋敷から引っ越せるかな。」――オイオイ、よしねえ、熊よ、来年のことを言えば鬼が笑う・・・御後が宜しい様で
