【Youtube】『河内山宗俊』(1936)映画感想文・アンチヒーローたちが少女に託す思いとは
これで山中貞雄監督の3本を観たことになります。今作もまた違った魅力を持つ作品であり、本当にもっと観たかったという気持ちです。
河内山宗俊。実在の小悪党とも、歌舞伎の英雄とも違う、山中貞雄監督が描いた「何者でもない男」です。
彼らがお浪という少女に抱いた執着は一体何だったのだろうかと考えました。

あらすじ
居酒屋に居候する河内山宗俊と、用心棒の金子市之丞。その日暮らしの生活を送る彼らにとって、甘酒屋の娘・お浪は心の慰めだった。ある日、お浪が不良の弟・広太郎の借金のために身売りすることを知った宗俊と市之丞は、彼女を救うべく手を組むが……。
監督 : 山中貞雄
1936年製作/82分/日本
劇場公開日:1936年4月30日
感想(ネタバレ含む)
山中貞雄監督の『河内山宗俊』を鑑賞して心に残ったのは、従来の時代劇が描くような爽快な義侠心ではなく、どこまでも身勝手で、救いようのない男たちの悲哀でした。
本作の主人公、河内山宗俊や浪人の金子市之丞は、決して高潔な人格者ではありません。彼らは社会の片隅で日々をやり過ごす者たちです。
そんな彼らにとって、原節子演じるお浪の純真無垢な存在は、あまりにも眩しすぎたのでしょう。彼らはお浪という一人の少女を、人間として見ていたというよりは、自分たちが失ってしまった「清らかさ」の象徴、あるいは守るべき「聖域」として見ていたように映ります。
彼らがお浪を救うために命を懸ける決断をした背景には、彼女への慈しみ以上に、「社会の底辺で生きる中で、美しいことのために死にたい」という自己救済の念があったのではないでしょうか。
物語の終盤、男たちは次々と命を落としていきますが、そこには「彼女がそれを望んでいるか」という視点が決定的に欠けています。
お浪にしてみれば、自分のために誰かが死ぬことなど、決して望むはずがありません。それにもかかわらず、男たちは己の美学を完結させるため、彼女に「救われるべき弱者」という役割を与えるのです。
この男性的なエゴによる救済の無理強いは、現代の視点から観ると非常に痛々しく、やりきれない感情を抱かせます。
救われたはずのお浪の手元には、男たちの犠牲の上に成り立った平和が残されるのです。
その後の彼女の人生にどれほど暗い影を落とすかを想像すると、彼らの死は「粋」という言葉だけでは片付けられない、残酷さを帯びているように感じました。
なぜ彼らは、こうまでして彼女に執着したのか。それは、彼らが日常の暮らしに望みをなくし、死ぬための理由を心のどこかで求めていたからではないでしょうか。
お浪を救うという大義名分は、彼らにとって最高の舞台装置になってしまったのです。
英雄になりきれない男たちが、最期の一瞬だけ英雄の真似事をしてみた。その滑稽さと、巻き込まれたお浪の悲劇。山中監督は、伝統的なヒーロー像を解体することで、人間の持つ身勝手な業と、そこから滲み出る切なさを描き出そうとしたのかもしれません。
狭い長屋の路地や、雨の演出は、物理的な逃げ場のなさを象徴しており、まさにノワール映画の様式美そのものです。
その滑稽なまでの悲哀は、歴史上の宗俊像からは遠く、むしろ現代の犯罪映画に登場するアンチ・ヒーローたちの孤独と重なります。
鑑賞後、なんともいえないやりきれなさが残る作品でしたが、紛れもなく今作も傑作であると思いました。
それでは、また次の映画で!
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