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50代からの知的冒険|切手と国家の物語④平和を願った大正時代

日本の記念切手の歴史は、どこから始まったのか。オリンピックのような国家的イベントでもなければ、国宝や国立公園でもない。最初は明治天皇の銀婚式、次は日清戦争の勝利だった。

記念切手の歴史をたどると、日本が何を祝い、何を誇ったのかが見えてくる。言い換えるなら、そこには国家の物語が刻まれている。

明治29年に発行された日清戦争勝利記念切手には、日清戦争で功績を残し、その後に薨去された皇族二人が描かれている。

日清戦争勝利記念切手2銭
5銭のものは高価ゆえ使用済みのものしか手持ちがない…

左の2銭切手は戊辰戦争で彰義隊に担がれ、明治維新後は奥羽越列藩同盟の盟主となるも新政府に敗れた北白川宮能久親王、右が戊辰戦争を新政府の総裁として戦った有栖川宮熾仁親王だ。天皇陛下の肖像をあしらった切手は戦後になるまで発行されていないが、この二人の皇族の切手は明治天皇の裁可を仰いで発行されている。

2銭の記念切手は1,000万枚と大量に発行され、広い範囲で実際に使われている。日清戦争勝利記念切手は、国民が戊辰戦争の勝者と敗者という過去を乗り越えて、戦勝を共有するために発行されたとされている。

明治国家が日清戦争の勝利を通じて、国民国家としての体制を整えたことをうかがわせるエピソードだ。

記念切手と葉書で日露戦争の勝利を祝った

日清戦争から10年が経過し、坂の上の雲を目指した明治日本が、列強の一角であったロシアを破ったのが日露戦争だ。アジアの小国と見られていた日本の勝利は世界を驚かせた。

明治39年4月29日、日露戦争凱旋観兵式記念切手が発行されている。

陸軍凱旋観兵式 記念絵葉書使用例 東京→京都 袋付

切手発行の二日後(明治39年5月1日)の消印が押されているこの使用例には、個人のメッセージは全く書かれていない。差出人と受取人の間で、日露戦争の勝利を祝うためだけに出されたものだろう。

表面の顔ぶれには目を見張った。左から黒木為楨、野津道貫、山縣有朋大山巌、奥保鞏、乃木希典児玉源太郎、河村景明。日清戦争の立役者がずらりと並んでいる。

日露戦争凱旋観兵式記念葉書の表面

発行したのは逓信省だ。切手や葉書が重要な政府広報の役割を担っていたことを示している。

大正時代に入ると時代の空気を反映して切手にも変化が

日露戦争の時期に重なる菊切手には、中央に菊花紋章が大きく描かれており、デザインも統一されている。

4銭と10銭の菊切手。上部の左右に描かれているのは郵便の象徴である駅鈴

元号が大正に改まったことを契機に発行された田沢切手のデザインは、初めて公募されている。田沢切手は、国家が前面に出た印象の菊切手とは趣が大きく異なる。

大正白紙は大正初期の田沢切手
周囲2センチの間に穴が12個あるものを目打ち12と言う

田沢切手のデザイン公募は、単なるデザインの刷新ではなく、時代の転換を象徴していた。

吉野作造が「民本主義」を唱え、政党政治への期待が高まったこの時代、国家の象徴を「上から決める」のではなく「広く募る」という発想は、そうした空気と無縁ではないだろう。

切手という国家が独占する小さな紙片にも、大正デモクラシーの息吹は確かに宿っていたのだ。

平和記念葉書から見えてくる国民の高揚感

大正8年、第一次世界大戦に勝利した日本は、戦勝国としてヴェルサイユ会議に参加した。世界から一等国として認められたことを祝って、全国で多くの祝賀会や提灯行列が行われている。

余談だが、日本代表団が国際連盟規約に人種平等を書きこもうと最後まで努力したことは、歴史的事実として押さえておきたい。同時に、日本が権益にこだわった山東問題のために中国がヴェルサイユ条約を批准しなかったことも、忘れてはならない。

前者を学校で習った記憶のある日本人は少ないのではないか。後者ばかりが強調される現状の歴史教育には、再考の余地があるように思う。

平和切手は、講和条約の調印にタイミングを合わせて7月1日に発行されている。切手そのものの素材や印刷は、今の技術水準から見ると粗末なものだが、記念切手の発行に合わせて、豪華な記念葉書が数多く発行されている。

会議そのものを描いた記念葉書から紹介する。いずれも立体感があり、工芸品のような豪華さだ。

ヴェルサイユ宮殿鏡の間の講和会議 大正八年

ヴェルサイユ会議の全権代表の中で、右から反時計回りに西園寺公望牧野伸顕、珍田捨巳駐英大使、松井慶四郎駐仏大使の顔が見える。

首相経験者であり、すでに元老としての地位にあった西園寺が代表団の象徴的な位置づけにあった中で、実務を取り仕切ったのが記念葉書の中央の牧野だった。

維新の元勲・大久保利通の次男にあたる牧野は、自らの回顧録で「英米仏日伊の五大国(イタリアは途中で引き上げたので後に四大国)が最高会議を構成し、その代表者だけで始終講和会議の諸問題を議定」したと記している。

日本の代表団が、米国のウィルソン大統領英国のロイド・ジョージ首相フランスのクレマンソー首相らと半年をかけて渡り合った姿に、日本国民の期待が高まったことは想像に難くない。だからこそ、豪華な記念葉書が発行され、現在まで残されているのだろう。

戦勝国として扱われたことを誇る葉書もシリーズで発行されている。明治維新で近代化に舵を切ってから半世紀、米英仏に並ぶ列強の一角となったという高揚感が見て取れる。

第1次大戦平和記念切手10銭 セオドア・ルーズベルト大統領 初日カバー東京印 二重橋

セオドア・ルーズベルトはヴェルサイユ条約締結時にはすでに大統領を退いていたが、日露戦争の講和交渉を仲介し、ポーツマス条約をまとめた人物だ。日本がその尽力に恩義を感じていたことがうかがえる。

第1次大戦平和記念切手10銭 初日カバー 英国皇帝陛下エドワード7世 二重橋

エドワード7世もヴェルサイユ条約締結時にはすでに崩御していた。その治世下に日英同盟が締結され、日露戦争においてイギリスは日本を支援した。同盟国の君主として、日本人にとって特別な存在だったのだ。

大正8年7月1日 第1次大戦平和記念切手 10銭 仏国ポアンカレ大統領 連合軍之主脳 東京印

ポアンカレ大統領はヴェルサイユ条約締結時の現職であり、日本と共に戦った同盟国フランスの指導者として葉書に登場している。葉書には連合国首脳の集合写真も収められており、戦勝国としての高揚感がそのまま封じ込められているようだ。

写真では伝わりにくいが、いずれの葉書も見た目、手触りともに実に豪華だ。この時期、こうした記念葉書は国民の間でブームになっていて、デパートなどでかなりの枚数発行されていたようだ。

平和の鳩が描かれた切手と、戦場の記憶をまとった写真が一枚の葉書に共存している。その組み合わせを、当時の人々はどのような思いで眺めていたのだろう。

政府が発行した平和記念葉書

平和切手と同時に逓信省が発行した記念葉書は二種類。少年少女が鳩を抱くものと、夫婦が力を合わせて働く姿を描いたものだ。

民間の記念葉書が戦勝国としての高揚感を映しているのに対し、こちらはむしろ穏やかで、牧歌的な印象さえある。そこに表れているのは、華やかな祝賀とは異なる、もう一つの大正の空気だろう。

日本画家・鏑木清方「少年少女と鳩」。切手は裏面に貼られているものを参考のために添付
洋画家・南薫造「収穫の図」。こちらも切手は裏面に貼られているものを添付

大正8年当時の日本では、第一次護憲運動の後、政党政治が力を持ち、普通選挙を求める運動も広がっていた。新聞や雑誌がよく読まれ、民衆の世論が政治や社会に影響を及ぼし始めた時期で、後に大正デモクラシーと呼ばれる時代に重なる。

大正の一時期、第一次世界大戦の犠牲を経て、平和を願う空気が確かにあったのだろう。逓信省が少年少女や収穫を描いた穏やかな葉書を発行していたことも、そうした時代の気分を感じさせる。

日露戦争後、講和条件に不満を抱いた民衆が日比谷焼討事件を起こしたことが示すように、政府は好戦的で国民は平和を願うという図式は、必ずしも正確ではない。

勝者と敗者を超えた一通の書留

最後に、鳩が描かれた平和切手を使った手紙を紹介したい。横浜に住む外国人の間でやり取りされたものだ。記念葉書と比べると質素だが、時代背景を思うと実に味わい深い。

書留書状使用例、在横浜外国人間

受取人は横浜山手の外国人居留地「ブラフ」に住むDr. Reidhaarという人物だ。封筒の裏面には差出人として「Von Reidh~」という同じ姓と、同じBluff 59という住所が記されていた。「Von」はドイツ語圏の姓にしばしば見られる称号だ。差出人・受取人ともにドイツ語圏にゆかりのある、家族か近親者だった可能性が高い。

この手紙が届いた大正8年は、ドイツが日本と戦火を交えた敵国となり、ヴェルサイユ条約で敗戦国として厳しい処遇を受けた年にあたる。

消印は差出・受取ともに大正8年7月12日前後。平和切手の発行からわずか11日後だ。戦勝の高揚に沸く横浜で、敗戦国ゆかりの人物が近しい相手に宛てて、発行されたばかりの平和切手をわざわざ選んで貼った。そう考えると、この一通が背負っているものは、切手の額面をはるかに超えている。

封書の中身は残っていない。だが、勝者と敗者を超えたところに平和への願いがあったのだとしたら、鳩の切手はこれ以上ない選択だったのかもしれない。平和切手で埋め尽くされたこの手紙を前にすると、私はそこに彼らの祈りが託されていたのではないかと思わずにいられない。

切手には「国家の物語」が刻まれている。だがこの一通の手紙が教えてくれるのは、人の願いはそれを超えることがあるということだ。

次回は、1912年に箱根からドイツに送られた外信を題材に、切手が貼られた郵便物(エンタイヤ)の世界を深掘りしてみたい。


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