勝手口の要塞を守る黒い主(ヌシ)ひと夏の攻防|シロクマ文芸部
水の音がする。
雨かなぁ。そう思いながら勝手口を開け、そこにあるゴミ箱に生ごみを捨てた。
我が家では野菜くずは庭のコンポストに。
それ以外の生ごみは勝手口の横のゴミ箱に捨てている。
夏場、数日分の生ゴミが溜まってくると、
蓋つきだろうが何だろうが奴らはやってくるのだ。
そう、コバエである。
蓋を開けた瞬間に、あそこから一斉に飛び出してくる光景には、地味にストレスが溜まる。
ところがこの夏。
一番コバエが元気に飛び回りそうな時期に、奇跡が起きた。
ゴミ箱の蓋を開けても、1匹たりともいないのだ。
「えっ、今年はどうしたんだろう…?」
不思議に思って奥底を覗き込むと、暗闇の中に小さいそれは佇んでいた。
黒いボディに、しなやかな足。
そう、蜘蛛である。
コバエの悩みから我が家を救ってくれた救世主。
私は敬意を込めて、その蜘蛛を「主(ヌシ)」とお呼びすることにした。
「主、今日もよろしくお願いしますね」
毎日ゴミ箱を開けるたび、私は心の中で静かに感謝を伝えていた。
けれども、ここからが少し想定外だった。
主の食欲が、想像以上に旺盛だったのだ。
コバエをどんどん食べてくれるのはありがたいのだけど、
それに比例してすくすくと成長していくではないか。
数週間後。
蓋を開けると、底にはかなり巨大化した黒い影が動き回っていた。
「……ひっ!!」
思わず声が出た。
愛着はあるものの、やっぱりちょっと怖い。
しかも運悪く生ゴミの袋が破れ、ゴミ箱の底が汚れてしまったのだ。
洗いたい……でも洗えない。
あの大きくなった主のエリアに手を伸ばすなんて、
とても無理である。
汚れたゴミ箱の中でも、
主は優雅に巣を張り、
さらに立派になろうとしていた。
ついに限界を迎えた私は、夫にお願いすることにした。
「ねぇ……ゴミ箱を洗ってくれない?」
「いいけど、主はどうするの?」
「生かしたまま洗ってあげてほしいの!」
「……それはかなりの難題だなあ」
そして迎えた休日。
夫は頑張って「主の救出&ゴミ箱洗浄ミッション」を果たしてくれた。
作業が終わると、やりきった顔の夫がひとこと。
「洗ったよ。うまくできたと思う」
けれど、悲劇は突然やってきた。
翌週、ゴミ箱を開けた私の目に飛び込んできたのは——
ゴミ箱の壁面に足をピタリとくっつけたまま、
動かなくなっている主の姿だった。
洗ったときの影響だったのか、そのままお亡くなりになっていたのだ……。
✴︎ ✴︎ ✴︎
主がいなくなった今、
ゴミ箱を開けると
「ブ〜ン」と元気なコバエたちが
私を出迎える。
主、ひと月の平和を本当にありがとう。
あなたの活躍は忘れない。
グッドジョブ!!
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