夏休みの宿題が、まだ終わっていない|急かしていたのは、カレンダーではなかった
こんにちは、ゆきのです。
結論から言うと、夏休みの宿題は、九月になっても終わっていなくていい。
そう言われても、当時の私には、とても信じられなかったと思います。
小学生の頃、八月の終わりになると、決まって同じことが起きていました。
計算ドリルの後ろのほうのページが、真っ白なまま残っている。
読書感想文の原稿用紙は、書き出しの一行だけで止まっている。
「明日から二学期なのに」
その焦りは、毎年きれいに同じ形で戻ってきました。
大人になった今も、似たようなことが起きます。
「今年こそは」と決めたことが、気づけば途中のまま、季節をまたいでいる。
夏のあいだに変わりたかった何かが、まだ変わっていない。
そのことに気づく日が、決まって夏の終わりにやってきます。
先日、実家の押し入れから、当時の計算ドリルを見つけました。
畳の上に座り込んで、ページをめくっていくうちに、随分長く同じ姿勢でいたのか、膝の裏が少し痺れていることに気づきました。
ドリルの途中で止まったページに、鉛筆の跡が残っています。
続きは、書かれていませんでした。
でも、その跡は、消えてはいませんでした。

九月一日という日付は、ドリルにとっては、ただの次のページの手前でしかなかったのだと、そのとき気づきました。
終わっていない問題を、責めていたのは、日付ではなく、私自身でした。
季節が変わっても、途中のページは、途中のまま、そこにあります。
急かしているのは、カレンダーではなく、いつも私のほうでした。
痺れた膝を伸ばしながら、そんなことを思いました。
今、何かが途中のままだとしても、それは今日という日付のせいではないのかもしれません。
あなたの中にも、九月になっても、そこにあっていい続きが、まだいくつかあるのではないでしょうか。
ゆきの

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