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返しすぎてきた、という感覚がある|利き腕が、先に知っていたこと

こんにちは、ゆきのです。


返しすぎてきた、という感覚がある。

誰かに何かしてもらうたびに、同じかそれ以上を返そうとしてきた。

頼まれたら断れなかった。
誰かが困っていたら、声をかけずにいられなかった。

「お互いさま」という言葉が、なんとなく使えなかった。
言い訳のように聞こえて、自分には似合わない気がしていた。


気づいたのは、荷物を反対の手に持ち替えようとしたときでした。

いつも右手で持っていた。
当たり前のように。

試しに左手に持ち替えると、右の肩が、ふっと落ちた。

落ちてはじめて、ずっと上がっていたことがわかった。

肩甲骨のあいだに、何か固いものが残っていた。
指で押すと、そこだけ温度が低かった。


利き腕は、選んで使い続けてきたわけではない。
それしかなかったから、使ってきただけかもしれない。


渡す側に、ずっとなってきた。

役割だと思っていたわけでもなく、好きだったわけでもなく、
気づいたらそうなっていた。


渡し続けていたのは確かだった。
ただ、自分への分が、先に底をついていた。
 


心身のバランスを崩して、動けなくなったとき、
受け取る側にはじめてなった。


差し出してもらうものを、両手で受け取るしかなかった。

申し訳ない、という感覚がずっとあった。
早く回復して、またこちら側に戻らなければ、という焦りもあった。

受け取ることを、仮の状態として扱っていた。


そのとき、こう言われた言葉があります。


「受け取ることも、循環のひとつですよ」
 


当時は、よくわからなかった。
返せていないのに、循環しているとはどういうことか。


今もすべてわかったとは言えない。
ただ、右肩が落ちたあの瞬間に、少しだけ近づく気がします。


渡す腕と、受け取る腕は、同じ腕だった。

役割が二つあったのではなく、使い方が二つあっただけだった。


荷物を反対の手に持ち替えてみる。

利き腕でなくても、持てた。
右肩が、また少し落ちた。
肩甲骨のあいだに、少し空気が入った感じがした。


利き腕をほぐすことは、弱めることではない。

渡してきた量を、なかったことにするのでもない。


ただ、今夜は少しだけ持ち替えてみた。


渡し続けてきたことは、確かだった。


右肩が先に、知っていた。


ゆきの
 



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