『車輪の再発見』としてのナラティブ -遊びの文脈の再定義に向けて-
1.文脈と体験
ナラティブ、という言葉がゲームの体験を測るものとして語られるようになって十年以上が経ったでしょうか。
ゲームを作る側になってからの時間の半分以上それを称え、時に疑い、振り回されて、今に至ったように思います。
ある意味取り憑かれてきた、とも。
筆を執ろうかと思ったのは、ゲームの物語にも仕組みにも触れ続けたことで感じてきたことを言語化してみたいと思ったから、そしてそれらを同じく考えてきたであろう数々の賢人たちに教えを請いたい気持ちも芽生えたからです。
ある日私の中に、ナラティブとは「車輪の再発見」のようなものではないか?という問いかけが生まれました。
その言葉はやや負の方向性も持つ言葉ではありますが、そこには「突き詰めると必然たどり着く」という意味合いもあると感じています。
多くの人々を惹きつけるナラティブとは、ゲームの魅力を突き詰めると自然高まるもの。
それを新作のトレンド分析と先人の積み重ねから見出す共通点として「再発見」することに、現代ならではの文脈を見出せるのではないか。
本質的な解を探求した結果、かつて私たちが魅了されたあの光景に再び到達するのではないか。
そう思うに至りました。
2.目的と分析軸
日々開発に邁進しつつ、その中で投稿を続けていこうと思っています。
「ナラティブ」というやろうと思えばいくらでも広義に定められる言葉を今まで分析した経緯を踏まえ、主な分析の視点として4つの既存軸をベースに据えています。
・埋め込み型ナラティブ(制作者が意図的に配置したストーリー)
・ルドナラティブ(ゲームメカニクスと物語の整合性)
・環境型ストーリーテリング(空間配置による状況の提示)
・創発的ナラティブ(システム間の相互作用から生まれる独自の体験)
しかし、現在のゲームシーンを観察すると、これら4つの分類だけでは零れ落ちてしまう、極めて重要な「物語体験」が存在することに気づかされます。
他にもいくつかの説を十余年の学びの中で見かけてきました。
その中で、あくまでゲームとプレイヤーの中で完結するものとして考えるのは、プレイヤー自身の「知識」と「推論」が、物理的なアイテム以上にゲームの進行と物語を強くドライブする体験です。
僭越ながらこれを暫定的に「推論型ナラティブ」と呼称し、「第5の視点(※)」として検証の柱に据えたいとも考えています。
※具体例をあげるならばOuterWildsやVoidStrangerなど、詳しくは投稿を続けていく中で語りたい
3.古きにも、新しきにも学ぶ
新作を追い続けるのも開発側としての責務、一方で昔のゲームだからこそ最小限で実現されているメカニズムにこそ本質があり複雑な新作からは見出しづらい感触もあります。
具体的な検証プロセスとして、どちらからもそれを学べるようにしていくのが良いかと思っています。
・「新」から「旧」への分類: 現代の評価が高いナラティブ作品を、古典的ゲームの実例に基づいて構造的に分類・観察
・「旧」から「新」への再考: 過去の名作を、現代のナラティブ評価軸で見つめ直し、当時の流行と現代での印象について思索・考察
古いものについては、すでに結果が出ているからこそのバイアスのかかった批評も少しは混ざってしまうかもしれません。
懐古趣味も持つものですが、とらわれず取り組んでいきたいところです。
4.展望
広すぎる言葉はイメージをよきようにつなぎ、時に大勢と手を取り合う助けにもなり、時にビジョンをかみ合わせないまま連帯できてしまうともいえるでしょう。
「ナラティブ」という言葉が魔法の言葉として定着もし始めた昨今、再発見に少々の時間を使ってみようと思う次第です。
まずはこのような取り組みを試みたいと思うきっかけの一つにもなった題材として『Outer Wilds』を取り上げてみたく思います。
その構造がかつての「静的なゲーム」とどのような共通項を持っているのかを紐解いてみたい。
