鳥取・島根から広島へ~水木しげるロード・足立美術館・三瓶山・出雲大社・琴ケ浜・石見銀山・厳島神社・広島平和記念公園を三日で巡る
2025年の6月12日(木)から15日(日)まで、三泊四日の日程で鳥取・島根・広島の三県を車で弾丸旅行?してきた。
なぜこの三県かというと、このあたりは私が今までほとんど行ったことがない空白地帯になっていたからだ。しかし、ただそれだけではなく、ルート沿線に、江戸時代の囲碁の名人の故郷が含まれていることにもよる。囲碁は私の趣味なのだ。
〇6月12日(木) 水木しげるロード・足立美術館・三瓶温泉
まだ真夜中のうちに家を出、中国自動車道を経て、岡山県真庭市から米子自動車道へ入った。そして、約一時間半で本日の最初の目的地、鳥取県境港市に着いた。
着いたらまだ午前10時過ぎだったので、これなら途中で湯原温泉(映画『千と千尋の神隠し』のモデルになった旅館があるそうな)の露天風呂に入ってくるのだったと若干後悔した。
JR境港駅裏の広い駐車場に車を停め、早速水木しげるロードを散策する。水木さんの自伝漫画などで何度もお目にかかった境水道(中海と日本海を結ぶ海峡)が眼前に広がり、好天気ともあいまって、最高のロケーションだった。
境港駅

水木さんの描く境水道(『わたしの日々』小学館 より)

目玉おやじが手ぬぐいを頭に、いい気持でティーカップ?に乗っていたり、ねずみ男が「河童の泉」で泳いでいたり、懐かしい水木さんの妖怪たちに道沿いで数多く遭遇して、漫画やテレビで『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていた頃の事を思い出した。あの頃、熊倉一雄さん(晩年には、エルキュール・ポワロの吹き替えでも知られた)の歌う、「おばけにゃ学校も しけんも なんにもない」という歌詞を本当に羨ましく思ったものだ。
ロードを歩いているうちに、思わず、”ゲッゲッ、ゲゲゲノゲー”と口ずさんでしまい、近くにおられた外国人の方に怪訝な顔をされた😂。
そう言えば、昔、高校生の頃、何かの催しで、一人の女子生徒と一緒に歌を一曲歌えと言われ、空気も読まずにやはり”ゲッゲッ、ゲゲゲノゲー”とやってしまい、隣の女子生徒に呆れられた、懐かしくも悲しい?思い出がある😂。その女子生徒も一昨年亡くなった。
昨年リニューアルしたばかりの「水木しげる記念館」も、戦争を一つの大きな柱に、よく考えられた展示設計がなされていてとても好感が持てた。かつてNHKの連続テレビ小説、『ゲゲゲの女房』を毎回楽しみに見ていたこともあり、職員の方に、テレビでは松下奈緒さんが演じた奥様のことや現在の調布の仕事場の様子などを聞いたのだが、懇切丁寧に教えて下さり、とても心地良い旅のスタートが切れた。
「河童の泉」を泳ぐねずみ男

ロード沿いの様々なキャラクター

目玉おやじ

水木しげる記念館

記念館を出ると、もうお昼を過ぎていたので、境水道の方へ少し歩き、海岸沿いの「漁港回転寿司 鮨かば 境港波止場店」という回転寿司屋さんへ入った。ここの寿司が安い上にとても美味しく、たらふく食って海の幸を満喫した。さすが、日本有数の漁獲高をほこる漁港ならではの味と値段だった。
大いに満足して、次の目的地、島根県安来市の足立美術館へ向かったのだが、水木さんで一つ付け加えると、水木さんは、「ゲゲゲ」シリーズや戦争にまつわる「自分史」に関するもの以外にも、数々のシリアスな作品を残しておられる。たとえば、『劇画 ヒットラー』などは、実際のヒトラーの伝記を幾つも渉猟して描かれた名作だと思うので、時間があったら是非読んでみて下さい。
『水木しげる伝 上・中・下』講談社漫画文庫 2004~2005

『わたしの日々』小学館 2015

『娘に語るお父さんの戦記 南の島の戦争の話』社会批評社 1999

『劇画 ヒットラー』実業之日本社 2003

『マンガ古典文学 方丈記』小学館 2013

さて、境港から足立美術館へは米子市を経由して1時間ほどで着いた。ただ、後でネットで調べてみると、中海を横断して中海大橋を通るコースの方が若干早く着くようだ。その時は下調べ不足で、中海を渡るルートがあるなんて知らなかった。
中海大橋(実際はこんなに傾斜がきつい訳ではありません!)

足立美術館は、美術館など到底(失礼!)あるように思われない田園地帯の一角に屹立(きつりつ)している。次第に山の方向へ行くので、最初は道を間違えたのではないかと心配だったが、やがて、視界に突如大きな駐車場と近代的な建物が現れ、ホッとしたと同時にとても驚いた。 何でも足立美術館は、その庭園が、米国の庭園専門誌の日本庭園ランキングで22年連続1位だそうで、なるほどそれもうなずける、素晴らしい庭園だった。
ただ単にきれいというだけではなく、自然との調和を前面に押し出しながらも、どことなく合理性?も感じさせる(個人の感想です😌)庭園であり、これは手入れする職人さんたちの日々の苦労は大変なものだろうなと、自分の家の小さな庭の手入れにさえ苦労している小生は思った。古刹の、”わび、さび”を感じさせる庭園とはまた違った趣があった。
足立美術館は、庭園でその名が知られてしまった(去年、NHKのEテレでも放映されたそうな)が、本来は「美術館」であり、横山大観や富岡鉄斎ら近代日本絵画の巨匠たちの絵を数多く所蔵・展示していることでも有名である。
また、絵画の他にも、北大路魯山人の陶芸や「光琳梅蒔絵碁笥(ごけ)」など多種多様な美術作品を展示しており、一つの美術館で庭園と素晴らしい美術作品が同時に楽しめる稀有な文化的施設となっている。
こんな施設が、大都会にではなく、安来市という小さな地方都市(失礼!)にあること自体驚きである。
田園地帯の広大な駐車場にひっきりなしに入ってくる大型観光バスの姿を見ると、どなたかもよく言われている、「地方創生」の一つのあるべき姿がここにあるような気がした(知ったようなことを言っているが、実は私は、今回の旅行に来るまで、足立美術館の存在そのものを知らなかったのですハイ🤣)。
ただ、途中、ちょっと疲れたので喫茶室へ入ったところ、コーヒーが一杯千円!だったので、これにはびっくりした。勿論コーヒー自体はとても美味しかったし、半分は美しい庭園を見ながら飲めるという目の保養代かなとも思ったのだが、隣の人がコーヒーのおかわりをしていたので、お店の人に聞いたところ、お代わりしても値段は千円と変わらないとのこと。強欲な?私はすぐにお代わりをしたのだが、これだったら一杯は500円にしてほしいなあと、おなかをチャポチャポさせながら心の片隅でホンの少し思ったことだった(文句を言っている訳ではありません。ただ単に私がケチなだけです)😹。
日本庭園

池庭

光琳梅蒔絵碁笥

足立美術館を出て、その夜は中国山地の三瓶山(さんべさん)南麓にある三瓶温泉(さんべおんせん)の「国民宿舎 さんべ荘」に泊まった。この宿は足立美術館からは出雲市を経由して1時間半ほどの距離だと思ったのだが、なぜかカーナビに松江自動車道を経由しての山岳コースを指示され、宿には倍の3時間ほどかかってしまった。
国民宿舎 さんべ荘

後でよく考えたら、NHKのドキュメント72時間「島根・黄泉比良坂 あの世との境界で」で紹介された「黄泉比良坂(よもつひらさか)」が結構近くにあったので、出雲コースを経由してそこも寄ればよかった、と思ったのだが、まさに後の祭りだった。
夜中に出発して20時間弱、クタクタになりながらも、温泉に来たからにはと、老体に鞭打って露天風呂に入ったのだが、これがまた素晴らしい露天風呂だった。普通の大きな風呂だけではなく、いくつもの大樽?の風呂があり、樽風呂を順ぐりにめぐりながら空を見上げると星がきらめき、まさに至福の時間を過ごした。疲れが一挙に吹き飛んでしまい、一晩しか泊まらなかったのに、翌朝も含めて三度も温泉につかってしまった。
この宿では、将棋のタイトル戦が行われているとのこと。藤井聡太七冠と羽生善治九段の対局風景の写真なども展示されており、興味深く拝見した。
さんべ荘の露天風呂

令和5年にさんべ荘で行われた王将戦第5局のポスター

対局が行われた部屋「松虫草」

対局時の昼食メニュー

〇6月13日(金) 出雲大社・琴ヶ浜・本因坊道策顕彰碑・石見銀山
三瓶温泉は三瓶山(標高1,126 m)山麓のかなり高い所にあるらしく、早朝から山麓をぐるぐると下り降りて、出雲大社へ直行した。温泉が山の懐深くにあるので、三瓶山の山容そのものが拝めなかったのは少々残念だった。
男三瓶山(おさんべさん)

子三瓶山 、孫三瓶山 、大平山 、日影山 の六つの峰が取り囲んでいる。
三瓶山山頂(「NHK にっぽん百低山 三瓶山」より)

浮布池から望む男三瓶山(左 標高1,126 m)と子三瓶山(右 961 m)

大平山へのリフト(乗れば良かった😿)

それにしても三瓶山である。実はこの不思議な?読み方をする山を私は以前何かのテレビ番組で見たことがあるのである。しかし、それが何であったのかは思い出せなかった。ところが最近、ハタッと思い当たった。そうだ、二・三年前、NHKBSで放送された、吉田類さん(『酒場放浪記』で有名)の『にっぽん百低山』で見た山だと。
それで、早速NHKオンデマンドでこの番組を購入して、見てみた。そして色々後悔した。しまったなあ、山に登る時間はなかったものの、リフトに乗る時間くらいはあったなあ、類さんが美味しそうに食べていたのどぐろの炙りを食べたかったなあ等々。
あまりに残念なので、国引き神話のロープ?をかける杭であった言われるこの三瓶山、この後訪れる石見銀山と共に、再度お邪魔したい?気分になった。
「NHK にっぽん百低山 三瓶山」より

のどぐろの炙り

のどぐろの炙りを美味しそうに😋食べる吉田さん

類さんが舌鼓を打ったお店

出雲大社へは実は今回で二度目の訪問だった。出雲は”出雲の稲妻”こと将棋女流棋士の里見(現姓福間)香奈六冠の出身地であるため、その関係で昔この地で将棋のアマ大会が開催され、その時に出雲大社へも来たことがあるのだ(ただし、私自身の将棋はヘボ)。もっともその時はちらっと寄っただけであったが、今回は出雲大社をじっくりと堪能できた。
二の鳥居

参道

天前社・御向社・本殿

出雲大社でもっとも感動?したことは、一切お金がかからないことだった!。入場料も駐車場もタダ、食事をしたりお土産を買ったりしなければ、一銭もかけずに出雲大社の、壮大で不思議な空間を堪能できるのだ。実際、観光地へ行ってもお土産を買う習慣のない私(😓)は、お金をまったく使わなかった。財政的にこれでやっていけるのだろうかと思ったが、遷宮の協賛企業には名のある大企業が山と書かれていたし、お土産物屋さんは観光客であふれかえっていたので、全然大丈夫なのだろう。まあ私のような変人は数少ないだろうし。
最近の日本の観光地はとてもせちがらくなり、それこそ”目の玉の飛び出る”ような金額の入場料や駐車料金を請求されることがよくあるが、この出雲大社の”大らかさ”にはいたく感動した。ケチな私も、そのかわり?お賽銭だけはたんまりと奮発させていただきました。念のため。
午前中の出雲大社訪問を終え、そのあと出雲の海岸線を大田市へ向かった。「大田市」は”おおたし”と読むのだと長いこと思っていたが、実際は”おおだし”だと今回の旅行で初めて知った。国道9号を経て、次の目的地大田市仁摩町馬路(にまちょうまじ)の琴ヶ浜へ着いたのはお昼すぎだった。
琴ヶ浜は「鳴き砂」で知られる。砂浜のすなを踏むと”キュッキュッ”と鳴き声?がするのだ。私も広大な海岸へ出て、砂を踏んでみたが何も鳴かず、おかしいなと思いつつ海辺へ出て、少し湿った砂を力を入れて踏んでみたら、”キュッキュッ”元気な鳴き声がした。どうも乾燥した砂は鳴かないらしい。
琴ヶ浜

実は今回の琴ヶ浜訪問は、琴ヶ浜が主たる目的地ではなかった(表現がトートロジー?)。本当の目的は、囲碁の世界ではその名を知らない人はない、江戸時代の碁の名人、「本因坊道策(ほんいんぼうどうさく)」を訪ねることにあった。この大田市馬路はその本因坊道策の生誕地なのだ。
琴ヶ浜から、JR山陰線の高架?下の短くて狭い隧道(ずいどう→3ナンバーの車も何とか通れます!)を通って、不審者と思われないよう細心の注意を払いながら道策の生家付近を散策し、その後高台にある「本因坊道策顕彰碑」にお参り?した。顕彰碑の前では、贅沢は言いませんからどうかもう二目だけ強くして下さい(十分贅沢である!)と道策先生にお願いした。
琴ヶ浜前の郵便局と隧道

本因坊道策顕彰碑

本因坊道策生家付近

その後、少し引き返して、石見銀山世界遺産センターに寄った。石見銀山は琴ヶ浜からほんの十キロほどしか離れておらず、石見銀山の銀は後に広島県の尾道港から積み出されるようになるまでは、この琴ヶ浜のすぐそばの鞆ヶ浦(ともがうら)から積み出されていたのだ。実は本因坊道策の実家もこの石見銀山の関係者の家だった(ちなみに、江戸時代を代表するもう一人の碁の名人、「本因坊秀策(ほんいんぼうしゅうさく)」は尾道市の因島出身である)。
世界遺産センターでは、「大久保間歩(おおくぼまぶ)」などいくつかの「間歩(まぶ)」(鉱山で鉱石を採掘するために掘られた坑道)をめぐる周遊バスツアーがちょうど出発するので乗っていきませんかとのお誘いを受けたのだが、2時間以上かかるとのことだったので、残念ながら辞退した。この日のうちに広島県の廿日市市(宮島口)まで行かねばならなかったので、時間的にきびしかったのだ。石見銀山には機会があれば、もう一度来たいと思っている。
石見銀山の模型(上部が琴ヶ浜)

その後、石見銀山近くの「道の駅ごいせ仁摩」で、とんでもなくでかい穴子ののった穴子丼を食べ、美味しかったが、とても苦しい?思いをしながら浜田自動車道経由で中国山地を縦断、何とか日の明るいうちに宮島口の「宮島コーラルホテル」に着くことができた。
〇6月14日(土) 厳島神社・原爆ドーム・平和記念資料館
この日は朝から雨だった。ホテルで朝食をとった後、早速フェリーで宮島(厳島)へ渡った。厳島神社は土曜日ということで、雨にもかかわらず、人人人で一杯だった。外国人、特にフランス人が多く、あちこちからフランス語が聞えてきた。
そういえば前夜の宿でもフランス人の団体さんが多かった。何でだろうと思って帰りに、車を停めさせていただいていたホテルの支配人さん(多分)に聞いたら、厳島神社のある廿日市市とフランスのモン・サン=ミッシェル市が、ともに海に浮かぶ世界遺産を持つという縁で、姉妹都市提携をしているからということだった。
この支配人さんはとても気さくな方で、レストランで給仕もされていたので、はじめは従業員の方と間違えていた😸のだが、実は偉い方だった(と思う)。
前夜のホテルではエレベーターで、一人で旅行をしているらしい外国人の若い女性に、Where do you come from?と尋ねたら、変な爺さんの突然の質問にもかかわらず、New Zealand!とニコっと微笑んでくれ、そのあと「ニホンハホントニスバラシイ」と満面の笑みで語ってくれた。とても清々しい?気分になった😊。
厳島神社

東回廊(拝殿と本殿の屋根が見える)

その日は、宮島口のホテル駐車場をお昼前に出た後、すぐ広島へ向かい、1時間ほどで広島市中心部の駐車場に着いた。広島はこれまで何度も”通過した”ことはあるのだが、ゆっくり落ち着いて街の中を歩くのは初めてである。広島が、名古屋や大阪とそこまで変わらない、あまりの超近代都市?になっていたのにはビックリした。
この日広島へ来た主な目的は、原爆ドームと平和記念資料館を見学することだった。これまで、長崎の平和公園には仕事等で何度も足を運んだことはあるのだが、広島の平和記念公園へは来たことはなかった。
実は、若い頃から何度も行こうとは思っていたのだが、昔、本や写真で見た原爆の惨状が心の中に強烈な印象を残しており、古稀を超えた今日まで、なかなか足が向かなかったというのが正直な所である。しかし、戦後80年を迎え、今行かなければ一生後悔すると思って、今回の旅程の最後に組み込んだのだった。
平和記念資料館は修学旅行生と外国人と思しき方が大多数を占めており、一般の日本人、特に働き盛りの日本人が少ないように感じた。やはり、私のような人間が多いのかなと思うといささか複雑な気持ちになった。
原爆ドーム

ただこの日の広島はどしゃぶりの大雨で、平和記念公園を歩くうち、衣服がドボドボに濡れてしまい、歩くのも大変だった。
平和記念公園を離れた後、遅い昼食を取ろうと、ずぶ濡れになりながらアーケード街の二階の奥まった所にある「鉄板焼き×府中焼き あっちゃん」というお好み焼き屋さんへ偶然入った。そして、メニューの一番上に書いてあった「あっちゃんスペシャル」というお好み焼きを注文した。そうしたら、あまりにでかいお好み焼きが出てきたのでびっくりした(そう言えば、事前に”ハーフにしますか”と聞かれたような・・・・・)。しかし、とても美味しかったのでペロリと平らげてしまい、店主さんに驚きの目で見られた。多分年寄りには無理だと思われていたのだろう。
どうもこのお店は開店してそれほど月日がたっていないらしく、若くて元気な店主さんと女性従業員の方一人の二人体制で切り盛りされているようだった。帰りに店主さんに、”全部食べて下さってありがとうございました”とお礼を言われたので、かえってこちらが恐縮してしまった。
遅い昼食を終え、広島を出たのは3時過ぎだった。来る時は中国自動車道だったので、今度は山陽自動車道を通って帰途についた。”帰途”と言っても、この日中にはとても家までたどりつけないので、兵庫県の有馬温泉を途中の宿に取ってあった。有馬温泉は、西日本各地を旅する際にはその中継地点としてとてもいい位置にあるので、定宿のようにしているホテルがあるのだ。
ただ山陽自動車道は、ほとんど車が走っていなかった!中国自動車道とは違ってかなり車が走っていたため、大雨だったこともあって、有馬温泉までの4時間、疲れ切った老体は緊張しっぱなしだった。
午後7時前に有馬温泉のホテル、「メルヴェール有馬」へ着くと早速食事をし、その後温泉にゆっくりつかった。露天風呂や金泉・銀泉で疲れをいやし、その夜はあっという間に眠りについた。
「メルヴェール有馬」のベランダからの有馬温泉の眺望

〇6月15日(日) 有馬温泉から帰途へ
この日は遅い朝食を取り、再び温泉へ入った後、ただただ高速道路で帰るだけだったので、特に取り立てて語ることもない。元気な時は、有馬温泉から六甲山に登り、ロープウェーでおりて来て、金泉・銀泉につかって焼き肉を食べながら一杯、などということもやったのだが、もはやそんな元気はとてもない。
多分、もうこれだけの距離を車で一気に走るということもないだろうし、その意味では自分の人生にとって最後の”超長距離ドライブ”になった。今度三瓶山や石見銀山へ来るとしたら、おそらくJRか飛行機を使うだろう。今は長年の願望が実現できてホッとしている。
これで国内の旅行には一区切りついたので、この後は動けるうちに海外を目指そうと思っている。自分なりのこだわりがあって、行きたい思いが強い国が幾つかあるので。
19世紀末の有馬温泉

〇後日談 道策先生の御利益?
弾丸旅行から帰った後、何回か碁を打った。しかし、成績は上がらず、やはり道策先生の御利益?はなかったのかと少々落ち込んでいたところ、ある日突然、今まで勝てなかった相手に、まったく手合い違いのような勝ち方ができた。
まるで道策先生が降臨?してきたかのようであった😂。そして、さらには、ここ数年来、三子置かせていい勝負だったアマ三段くらいの方を五子にまで打ち込んでしまった。やはり道策先生の御利益はあったのだ!(ホンマかいな)。
道策先生の御利益(私が黒)

