Rug だなぁ まあまあ 楽
家に帰ると、まず靴を脱ぐ。
それだけのことなのに、何かが変わる。玄関の敷居をまたいで、かかとを踏み、つま先を抜く。その順番はいつも同じで、体が勝手に知っている。
脱いだ足が着くのは、ラグの上だ。
ラグ——英語でいう rug。敷物のこと、あるいはタペストリーのこと。その語源をたどると、古ノルド語の rögg(毛羽立った房、粗毛)や rugga(粗い毛布)に行き着く。もともとは滑らかなものではなく、ごわごわと毛羽立った、粗いものを指していた。
その親戚に rag という語がある。ぼろ切れ、雑巾、使い古した布のことだ。rug と rag、一字違いで、どちらも同じ北欧の粗布から枝分かれしてきた。楽の足元には、ぼろが、そして北の荒い毛が織り込まれている。
私が育った山形では、「楽だなあ」を「らぐだなあ」と言う。「炊く」が「炊ぐ」になり、「焼く」が「焼ぐ」になるように、語末の〈く〉は〈ぐ〉に濁る。それが山形語の呼吸というもので、無声の破裂音がそこだけやわらかく震える。声帯が、ほんのすこし開く。
だから「らぐだなあ」は、「楽だなあ」であり「ラグだなあ」でもある。靴を脱いでラグに足をつけた瞬間に、この三つが一致する。論理の話ではなく、音の話だ。体の話だ。
外にいるあいだ、私たちは何かを閉じている。声帯かもしれないし、肩かもしれないし、表情かもしれない。帰宅とはその閉じていたものが少しずつ開いていく過程で、靴を脱ぐのはその最初の一手ならぬ一足だ。
濁ること、とは声帯が震えはじめることだ。「らぐだなあ」と言うとき、山形の人は知らぬ間に、くつろぎを音で鳴らしている。楽とは、もともとごわごわしたものの上に立つことだったのかもしれない。
rug da now mama rag
