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父と酒と戒名と。

10年前の夏、父が死んだ。

酒で体を壊し、55歳という若さで亡くなった父。
家族に心配と迷惑をかけ続けた父は、死後につけられた戒名により、最後の最後に「愉快な父」として記憶を上書きすることに成功した。

思い返せば、それはなんとも父らしい幕引きだった。


父の死因はアルコール性肝硬変。

若い頃から酒を飲み続け、ちゃんと肝臓を壊し、ちゃんと酒で死んだ。数ある死因の中でも、因果応報ランキングというものがあればまぁまぁ上位に食い込むと思う。
家族としても、「でしょうね」としか言えない最期だ。

とはいえ、長い闘病生活があったわけではない。その死は私たち家族にとって晴天の霹靂に近いものだった。

晩年は酒癖の悪さに拍車がかかり、もはやアルコール依存症だった父。
家族が迷惑を被ることも多く、「もう関わりたくない」と思ったことも一度や二度ではない。

それでも、私のことを無条件で信じてくれる父の存在は心の支えだった。
「あんたは天才だよ」、「あんたなら大丈夫だ」。
そう言って根拠なき信頼をよせ続けてくれる、自分にとっての絶対的な味方。そんな人がこの世から一人いなくなってしまった。その事実に気づいたとき、私は棺にすがって泣いた。


父は、憎めない人だった。

仕事は長続きしないし、酒癖は悪いし、お金の使い方もアバウトだった。

それでも私たち家族を傷つけるために怒鳴ったり、ストレスのはけ口にしたりする人ではなかった。

ある夜、父がトイレに入った直後、

「助けてくれー!」

という叫び声が家中に響いた。

本来なら異常事態と捉えるべきだが、相手はすでに相当飲んで酔っ払った父である。私も母も「ああ、また始まった」と完全に無視。

弟だけが、父を律儀に助けに行った。

どうやら、父が勢いよくドアを閉めた拍子に外側に立て掛けてあった箒が倒れ、見事につっかえ棒になり閉じ込められてしまったらしい。

父は箒一本に制圧されていた。

その状況を理解できず、トイレの中で本気でパニックになっていたようだ。

その姿を想像しただけであまりに間抜けで笑えた。

またある時は、祖父の法事。

前夜から十数人の親戚が集まり、いつものように父は飲みすぎていた。

翌朝、遠方から来ていた従兄弟が、礼服のズボンが見当たらないと騒いでいる。

法事に必要な唯一と言っていい持ち物が見つからない。

親戚中で家じゅうを探し回るも見つからず、家に取りに帰るにもいかないとあって、本人は周りから叱られ、みんな途方に暮れていた。

そこへ父がへらへらと現れた。

「なんかズボン下がってきちゃってさ。俺、痩せたかな?」

そう言いながら何度もずり落ちるズボンを引き上げている。

父が履いていたのは、従兄弟の礼服だった。

「それだー!」

親戚中が叫び、その場は爆笑になった。

父も「わりぃわりぃ」と笑っていた。

そんな父だった。

幸い父は笑われることでムキになったりするタイプではなかったので、間抜けな失敗を何度でも何年でも本人の前で笑い話にできた。
なんなら本人がオチを話したがりさえした。普通なら恥ずかしくて蒸し返して欲しくないような話も一緒になって笑っていたのが父だ。
そこは彼の美点の一つだったと思う。


けれど、酒は少しずつ父を変えていった。

シラフでいる時間より酔っている時間の方が長くなり、仕事も続かず、体調も悪くなった。
どうしてあんなに飲んでばかりいたのだろう。仕事がうまくいかなかったのか、だとして他にストレスを解消する方法はなかったのか。
自分がそれほど飲んでいるという自覚すらなかったかもしれない。母は何度も酒を隠したらしいが、残念ながら実家の目の前はコンビニだ。家の冷蔵庫を開けるぐらいの感覚で、父がコンビニからワンカップ酒を仕入れる日々が続いた。

実家へ帰るたび、酒臭い父を見る。

かつて家族を笑わせた父の面影は消え、そこにはただ、焦点の合わない目で虚空を見つめ、酒の匂いを撒き散らしながら横たわる「何か」がいるだけだった。
私もたいがい酒好きだし、飲みすぎて失態を犯したことも数知れない。そんな私から見ても、なんでここまで…とがっかりする。
酒を飲まない母からすれば、余計に理解不能だっただろう。

駅までの送迎を頼んでも、いつの間にか飲んでいるか、酔って寝ている。
今日で私東京に帰るんですけど、寂しくもなんともないですか。
酒の前では、娘の存在なんて無力なものだ。がっかりだ。

少しずつ、好きだった父の姿は見えなくなっていった。

こんなにいつも飲んでいるんじゃ、いつか飲酒運転なんかで事故を起こして人様に迷惑をかけるんじゃないだろうか。
事件を起こす前に、体を壊して、いっそいなくなってくれた方が、まだマシかもしれない。
そんな風に考えてしまう自分が悲しかったし、他でもない娘のわたしにそんな気持ちを抱かせる父に、腹が立ちもした。


意識がある父と最後に会った日のことは、今でもはっきり覚えている。

その年は夏のオリンピックが開かれていて、帰省した私はリビングのテレビで一緒に卓球を見ていた。

珍しく父はシラフだった。

酒を飲めないほど体調が悪かったのだ。
試合を見ながら盛り上がりはするものの、布団に横になるばかりの父は顔色も悪く、実際の年齢よりもずっと老けて見えた。

そんな父を見ながら「元気がないのと、酔っているの、どっちがマシだろうな」とぼんやり考えた。

東京へ戻る私を見送る父が、玄関先で手を振っていた。
窪んだ眼とこけた頬。生気がないってこういうことをいうのか。

「ああ、パパに会うのはこれが最期かもしれないな」

そう思った。

その予感は、半月後に現実になった。


悲しみに暮れる暇もなく、通夜や告別式の準備が始まる。

慌ただしい中で、母が唯一こだわったものは戒名だった。

いや、正確には「立派すぎる戒名にしないこと」にこだわった。

父は祖母に借金を繰り返し、酒に溺れた人生だった。
だから祖父や父の兄と同じような格式ある戒名はいらない。
院号も不要です。

母は和尚さんにそうお願いしたらしい。

「パパのお母さんは戒名にこだわりのある人だったから。お父さんやお兄さんに並ぶ戒名が付いたら失礼だと思う」
そう話す母を眺めながら、戒名と言う制度に思いを馳せる。わざわざお金を払って、他の人より格式の低い名前を付けてくださいとお願いするのはなんだか不本意な気がする。

「パパがした唯一の親孝行はね、親より先に死ななかったことだわ」
父にさんざん苦労をかけられた母らしい言葉だった。
母の進言によりほどほどの格式の戒名が付けられることもきっと、信仰が深く戒名に並々ならぬこだわりを持っていた祖母への親孝行になるはずだと思った。

数日後、戒名が届いた。
やってきたのは若い和尚さん。祖母や叔父の戒名をつけた和尚ではなく、その息子だと気づき、ちゃんと格式が下げられているようだと安心する。母の願いはしっかり届いているはずだ。

『光陽軒隆快風居士』(仮名)

読み上げられた戒名を、居合わせた家族や親族はみな黙って聞いている。

軒。軒かぁ。なんだか聞き慣れない響きだ。
院号じゃないと「軒」になるのか。
もちろん戒名に貴賤などないことは百も承知だが、しっくりこない。我が家の仏壇に並ぶ男性陣の位牌には全て「院」の字がついていたせいだろうか。

そんなことをぼんやり考えていると、それまで黙っていた弟がぽつりと言った。

「中華料理屋みたいだな」

それだ。光陽軒

私の中にあった妙な違和感や既視感が、一瞬で言葉になった。

私が吹き出す。

母も吹き出す。

親戚も吹き出す。

悲しみに包まれていた部屋が、一気に笑い声でいっぱいになった。

和尚さんだけが、人の死の横にそぐわない空気に戸惑い続けていた。
「軒」の字も格式のあるものだということを丁寧に説明してくれていたはずだが、すでに頭の中が「光陽軒」という架空の中華料理屋の暖簾のイメージで占められているわたしたち家族に、その言葉は届かない。

さらに説明は続く。

「こちらの『風』という字ですが、亡くなった日が台風だったので……」

え、人柄じゃないんだ。

天気なんだ。
会話のネタがない時に使うやつ。
死んでしまうまさにその日まで父の人生に何の影響も与えなかったであろう台風が、死後の名前に刻まれた。

「ねえパパ、中華料理屋みたいな名前になってるよ」

そんなことを言いながら、私たちは笑い、昔よく行った中華料理屋の話から、父が麻婆豆腐を食べるだけで滝のような汗をかいていた話になり、ずっと隣で食卓を囲んでいた弟が「パパ、いつの間にシャワー浴びたの?」と本気で父に尋ねていた時の話になった。

そこにいたのは、酒に飲まれてしまった晩年の父ではなく、家族を笑わせていた、昔の父だった。


先日、5歳の息子が突然、

「じいじに会いたい」

と言いだした。
諸事情により、両家共に彼のじいじはいなくなってしまっている。

ひとまず私側のじいじに当たる人は亡くなっていることを説明すると、最近「死」というものを意識し始めた息子はとたんに泣き出した。ものすごいスピードで靴を履き、「探しに行く」と言い玄関を開けようとした。
もう寝かしつけも佳境だと思ったタイミングで、なんてこった。
近頃の息子は、何が地雷になってこんなことを言い出すかわからない。

困った私は、とっさに口走った。

「じいじはね、中華料理屋さんになったから。」

息子はきょとんとして、

「ちゅうかりょうりやさん?」

と聞き返したあと、あまりに予想外の返しだったのか、笑い出した。
彼の意識が、すっと「死」から離れ、大好きなラーメンや餃子の話へと展開していった。よかった。

10年前、戒名ひとつで家族を笑わせた父が、時を超えてあの頃は存在しなかった孫まで笑わせている。

まさか戒名ネタを子育てで使う日が来るとは思わなかった。

私たち家族は父の思い出話をする時、本名ではなく「光陽軒さん」と呼ぶ。
ナチュラルに「光陽軒さんの法事、次いつだっけ?」といった会話が飛び交う。「パパ」でいいのに。
正直他の亡くなった親族の戒名は位牌をじっくりみないと思い出せないが、父の「光陽軒さん」だけは全員共通でぱっと出てくる。

そのたびに、斎場で戒名が出されたときの何とも言えない空気を思い出して笑ってしまう。

酒は父からたくさんのものを奪った。

私たち家族からも、大好きだった父を奪った。

それでも最後の最後、そのさらに後で、父は家族に昔と同じ笑いを届けてくれた。

死んでなお笑い話を増やしていくなんて、本当に父らしい。

あの日、戒名と一緒に帰ってきたのは、私が一番好きだった頃の父だった。


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