スコットランドで拾った、100年前の「ままならなさ」
解のない問いを前に、あらかじめ諦めて予定調和の中に生きるか。それとも、正解のわからない「ままならなさ」に身を投じてワクワクするか。
解剖学者の養老孟司先生が、漫画家のヤマザキマリさんとの対談本のあとがきで、こんな趣旨のことを書いていた。 目標を掲げて一歩ずつ近づく人生ではなく、周囲の状況の中で、なんとか生きているうちに「結果としてこうなってしまった」。それこそが人生の本質に近いのかもしれない。
2026年の幕開け。スコットランドの北端、エディンバラの郊外で開催された、ガラクタ市に近いオークション会場で、私はまさにその「結果としてこうなってしまった」という人生の妙に直面することになったのだ。
夫が「日本のTetsubinが売られているよ」と見つけてきたそれは、

私がよく知る南部鉄瓶のぽつぽつとした丸い模様姿とは違っていた。薄汚れ、さび、埃、そしてなぜか毛玉をまとった、4キロはあろうかという武骨な鉄の塊。 これは確かにTetsubinだ、でもなんだか見たことがない。けれど、日本の民として放っておけない、強烈なノスタルジアが胸を突いた。一体誰が、いつ、どうやって、この重い鉄瓶をはるばるスコットランドまで運んできたのだろう。

予想価格を下回る150ポンドで競りに参加したら、160ポンドでハンマープライス(落札)。誰か他の人が160ポンドで買ったと思い一度は諦めかけたその鉄瓶が、実は手違いで、我々が160ポンドで競り落としたことになっていた。もう私の名前が貼られていたに違いない、ご縁によって新年早々、我が家にやってきた。そうして、私の「ままならない」旅は始まったのだ。
虫眼鏡を覗き込み、懐中電灯を当てて隅々まで観察する。底にある刻印は、最初「日本山道」とも読めたが、そんな訳はない。二人で競争するように画像検索を重ねるうち、点と線が繋がった。


蓋の裏には「龍文堂造」、底には「岩本」の刻印。明治から大正にかけて京都で一世を風靡した名工による「京鉄瓶」の可能性が極めて高かったのだ。
銅製の蓋。そして胴体に施された、精緻な山水模様。
この鉄瓶はただのガラクタどころか、100年前の日本の光景を閉じ込めたレアな骨董品ではなかろうか。




一生懸命に磨き上げると、ススが落ちてツルツルとした黒光りが現れた。胴体に浮かび上がったのは、遠近感のある山々や木々、茅葺屋根、そして庭を眺める人物像。それはまるで、百年前の日本のインテリ層が憧れた、李白の『静夜思』の世界そのものだった。


しかし、うっとりしたのも束の間、この名品には「三つの大問題」が横たわっていた。
❶ 銅製の蓋のツマミ(摘み)が欠損していること。

❷ 中の赤サビがびっしりとこびりついていること。

そして、最も奇妙だったのだが
❸ 取っ手(鉉)のバランスがどう考えてもおかしいこと。蓋と取っ手の距離が近すぎて、窮屈極まりない。


日本の鉄瓶の鉉は、天に向かって悠々と美しい弧を描く。しかし我が家の鉄瓶の取っ手は、やけに四角く、蓋との距離が近すぎる。 英語で必死に画像検索をかけて、はたと膝を打った。
これだ。「Antique steel cage handle……」 それは、英国の古いバケツや籠に使われるハンドルだった。

つまりこの鉄瓶は、いつの日か英国へと渡り、そこでオリジナルが壊れた結果、現地の誰かの手によって「英国製の取っ手」を無理やり移植され、そのまま生き延びてきたハイブリッドな迷子だったのだ。

バランス的にもやや違和感があったのはそういうこと
この迷子を救うべく、スコットランドと日本を跨いだ壮大な格闘が始まった。現代のタイパ至上主義や、使い捨て文化の中に生きる私たちにとって、それはあまりに無謀なプロジェクト。けれど、もう、時すでに、遅し、私はこの鉄の塊に魅了されていた。
まずは、内側の赤サビだ。夜な夜な歯ブラシで擦るも、ブラシがダメになるだけでビクともしない。

調べてみると、お茶を煮出してお茶のタンニンで赤サビを黒サビにするという。大量の煎茶を煮出しても効果なし。

悩んだ末に思い出したのが、北京在住時に購入したまま「泥臭いから」と放置していたプーアール茶だった。これならタンニンがたっぷりかもしれない。




三十分ほど、魔女のようにぐらぐらと執念を込めて煮出し、二十四時間放置する。効果は絶大だった。赤サビがみるみるうちに黒サビへと転換していく。なんだかアイデア勝負のようになってきて、面白くなってきた。
次に、手当たり次第に日本の鉄瓶修理業者へメールを送った。東京の業者からは「非常に珍しい鉄瓶で、二〇〇個に一つ目にするかどうか。相当な高値になる龍文堂です」と興奮気味の返信をもらい、ウキウキ度は爆上がりしたものの、海外発送の壁に阻まれて断られた。
京都の茶道具屋からは「京鉄瓶の製造は一九四六年に終了しているが、富山県高岡市に今もその複製品を作っている職人がいる」と貴重な手がかりを得た。
そうして辿り着いたのが、高岡市の「般若鋳造所」さんと「鐡瓶屋」さんだった。画面越しに出会った彼らは、職人魂に溢れたあまりにも親切な人々だった。


送般若鋳造所さんから送られてきたYouTube のリンクの中で、84歳の鋳物職人さんが1870年から続く技法で黙々と鉄瓶を作る姿を見て、思わず涙が出そうになった。機械化された世界で、100年持つものを完璧な精度で手作りする人々が、まだ日本にいる。

サイズを測り、写真を送り、メールでのやり取りを重ねる。日本の職人パーツを英国へ直接送ることは難しいため、北海道に住む実の兄を巻き込んだ。


私から高岡の般若鋳造所さんへ蓋をエアメールで送り、伝統の「煮込み着色」によって、百年の傷跡を残したままツマミを修復してもらう。鐡瓶屋さんからは、悠々と弧を描く大きな「木瓜(もっこう)鉉」のパーツを購入する。それらを一度北海道の兄の元へ集め、再びスコットランドへ送ってもらうという、文字通りの遠距離リレーが完成した。





そして最後の仕上げは、地元エディンバラの大英博物館御用達の凄腕修復家、ウィルのスタジオだった。
以前、アンティークの植木鉢を完璧に直してくれた彼ならできるはず、と無理を承知で突撃したのだ。

左:壊れた状態 右:ウィルが修理してくれた現在

このカッコいいスタジオ内、お掃除おばさんが片付けようなんてしたら絶対ダメな、どこに何があるのか全部わかっている感じの歴史の匂いがする雑多さよ。

ウィルに高岡の職人さんの動画を見せると、言葉の壁を超えて「オー、ジャパニーズのケトルね、オケ!」と笑った。ウィルのスタジオ内の隅っこ、なんかスペシャルな骨董品を指差し、「これの修復には二年間かかっている」という言葉に震えながらも、鉄瓶を預けた。

新しい取っ手になって帰っておいでね
(いつになるんだろう. . . )
その帰り道、慣れない道でナビに迷い、時間に遅れたくない一心で激昂しながら運転していた私は、気づけばバスレーンに侵入していた。後日届いた罰金は、早割を適用して50ポンド。思わぬ大出費だが、これも鉄瓶に支払った香ばしい必要経費として計上、コメントでも、「え、罰金をかかった費用に入れるんですか?」、と笑われたけどね。

でもさ、もうどこを走っているのかわからなかったし、写真に見てわかる通り、バスレーンだからと言ってわかりやすく色分けなどされているわけではない
数ヶ月の月日を経て、ついに鉄瓶は完成した。
完成品
まずは、おさらいで、ビフォーから。
ビフォー
英国製ハンドルがついたハイブリッド迷子、蓋の取っ手が取れている、赤錆の状態





アフター
完成品の写真

相変わらずいろんな修理依頼品で溢れているスタジオで
無事に再会




取っ手(鉉)(つる)の古さもマッチしている



総額約5万6千円の修理代と、半年という時間。 仕上がった鉄瓶は、新品のピカピカさとは無縁の、凄みのある静けさをまとっていた。 高岡の職人が施した、時を巻き戻したような黒い銅蓋。ウィルが万力でぎゅっと縮めてはめ込んでくれた、日本の伝統的な木瓜の鉉。
日本の伝統工芸士と、スコットランドの博物館学専門家。本来なら人生において交わるはずのなかった二者の魂が、100年前の鉄瓶という一本の線を媒介にして、エディンバラのキッチンで共鳴している。
ウィルは、私が中のサビを気にしていると言ったとき、おおらかにこう笑った。 「サビを間違って飲んじゃったって、毒じゃないから大丈夫さ . . . 」
私たちはいつの間にか、汚れや、カビや、サビや、予定通りにいかないバグのような出来事を、人生から綺麗さっぱりに排除しようと躍起になりすぎてはいないだろうか。 約束されたブランド品、既製のラグジュアリーではない。元々のキラキラが黒ずみ、傷がつき、海を渡って不格好な取っ手を付けられ、それでも誰かに愛されて生き延びてきたこの鉄瓶の姿に、私はどうしようもなく惹かれてしまう。効率悪く、ままならず、けれどすべてが愛おしい。
実は、さらに、この物語には、小さな奇跡が待っていた。

誰か買ってください」
役目を終えた「英国製の古いハンドル」を、バスレーンの罰金代の足しにでもなればと、軽い気持ちで「eBayに5ポンドで出品します」とnoteの末尾に書き添えてみたのだ。 すると、ある読者から熱のこもったメッセージが届いた。
「noteを拝読して、是非ともお譲りいただきたいと思いました。使い道は色々考えています。ペンダントにしたり、この取っ手に合う土瓶を陶芸で手作りしてみたり……。何よりもまず、山林さんの記事を拝読して、手にして眺めたいと思ったのです」
なんと、不格好だと言われたあの英国製のハンドルが、今度は別の誰かの新しい「創作の種」として、物々交換の旅に出ることになったのだ。まるで、現代のわらしべ長者のように。
私の元で本来の美しさを取り戻した百年前の京鉄瓶。そして、役割を終えて新しい表現者へと引き継がれていく英国のハンドル。 計画通りにはいかない。正解もわからない。けれど、そんな「ままならなさ」を受け入れたとき、世界はこんなにも温かい循環を始め、結果としてこうなってしまうのだ。
百年前の日本から届いた手紙のような鉄瓶は、今日も我が家のキッチンで、誇らしげに、静かに、まばゆい湯気を上げている。
かかった費用
修理総額 ¥56,792
英国エディンバラから日本へ郵送料 £16.85=¥3,614
取っ手(鉉)(つる)のパーツ(鐵瓶屋さん) 送料、税込 ¥11,430
蓋と摘みのパーツと修理(般若さん)送料、税込 ¥14,300
日本から英国エディンバラへの郵送料(兄) ¥6,000
エディンバラでの元々の取っ手(鉉)(つる)の外し、新しいものの取り付け £50=¥10,724
バスレーン罰金 £50=¥10,724
(本体購入価格 £160 + オークション手数料 £32 = 計£192)
資料
*1890年前後〜1915年頃について
龍文堂は代々「安之介」を襲名しましたが、岩本のような名工が最も活躍したのは六代・安之介(1873年〜1921年)の時代

六代 安之介の時代: 明治・大正期。この時期、龍文堂は万国博覧会などで金賞を総なめにし、世界的な美術品としての地位を確立しました。
岩本の役割: この時代、龍文堂は分業制を極めており、岩本は特に「蝋型(ろうがた)」による精密な地紋や、専属の釜師(職人)として登録されていました。
本体に銘がある:江戸時代や明治初期の鉄瓶は、蓋の裏に屋号(龍文堂)を刻むのが一般的でした。しかし、明治中期になると、腕の良い釜師を「作家」としてプロモーションする動きが出始めます。鋳型(型紙)を作る段階で、岩本自身が自分の名に責任を持って彫り込んだことを示します。 これは量産品ではなく、岩本という個人が原型を手がけた「作品」であることを証明しており、龍文堂が国内外の博覧会で評価を高めていた明治全盛期特有の形式です。
「山水図」というテーマ:明治時代の龍文堂において、山水図は最も人気のあった意匠の一つですが、岩本が手がける山水図には特徴があります。蝋型鋳造の極致: 岩本の山水図は、遠近感が非常に立体的で、岩肌や松の葉の一本一本まで細かく表現されているのが特徴です。文人趣味: 当時の教養層(文人)の間で煎茶が流行しており、彼らが好む中国風の山水画を鉄瓶に再現することがステータスでした。この流行のピークが明治20年 (1887)〜40年 (1907)頃です。
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