昔のことを書いてみよう7(ファインモーション)
こんばんは。モンローウォーク強かったっすね。
そのパフォーマンスと無敗の勝利にファインモーションの再来とかファインモーション以来という活字を目にすることがありました。
そうして振り返るともうあれから20年以上経ってるんですね。そんな感じはしないけどなあ。
ともかく昨日の結果を見た時に一つ思いついたのはこのテーマ、一つファインモーションで書いてみようかなと思ってここにいる次第です。確かに昔あったものを振り返るのもいいんですが、一つの時代でスターホースだった馬に対して当時の一ファンとしてどういう風に感じていたかを触れていくことは昔の温度を伝える手段の一つになるのかなとも思ったので。
ということで書き出していきます。
初めに触れておきますが、当時私が感じたことをそのまま書いていきます。当然記憶の違いもありますし、違う解釈もあるとは思いますが、正しいことを書くつもりで書くのではなく、当時のとがった競馬ファンの若者としてどう感じていたかをストレートに伝える意味で書いてます。正しい間違ってるって話をしたいわけではないのでそれを踏まえて読んでください。
ファインモーションを初めに知ったのは新馬戦ですね。強い牝馬だなと。この12月の阪神開催の2000mの新馬戦ってのが当時はレベルの高い馬が集まるレースだったんですよね。前年はアグネスタキオンが勝った新馬戦。そしてその少し昔はナリタトップロードが2着だったり、いわゆる注目の新馬戦がこのレースでした。なので走る前から注目されるレースでした。
そして当時はG1勝つような馬は夏競馬に使わない。とはいっても9月10月くらいにいい馬はデビューするんですが、12月デビューでもまだクラシックに本当の素質馬なら間に合う時代でした。この後の牝馬三冠馬スティルインラブも12月デビューだったと思います。
ただそこからはしばらく使わず、存在は完全に忘れてました。思い出したのは夏競馬での2連勝。特に3戦目ですかね。阿寒湖特別。
これが2600mのレースでまあまあ名馬製造条件戦でした。前年はのちの菊花賞馬マンハッタンカフェがここを勝っています。そこを牝馬で楽勝なのでこれはすごい馬だなと。今より牝馬が牡馬に勝つとか長い距離を勝つということに難易度が高いとされている時代なんですよ。こういう条件なら牝馬だから下げ(馬券的に)が正解な時代。そのころに圧勝ですから。これは楽しみだなとなるわけです。
しかも2,3戦目は初戦の逃げ切りではなく、番手で抑える競馬を松永幹騎手がしっかり仕込んでの勝利。本当にきれいな勝ち方で強さもですがレースセンスも抜群だな。血統馬ってこういうことから違うんだなと思った記憶があります。
そしてローズSも当然のように快勝。綺麗な競馬で完勝。勝ち方までここはモンローウォークと同じような勝ち方でしたね。
そして秋華賞に参戦で秋華賞も楽勝でした。ただ少し違うのはモンローウォークはローズSで新馬に乗った戸崎騎手に戻りましたが、ファインモーションは本番で武豊騎手に戻ることになります。
松永幹夫騎手は武豊騎手の一つ先輩で当時はトップ3ではないけどトップ10なら入ってくるかなくらいの立ち位置の騎手。特に牝馬とこういう先行の競馬に定評のある騎手でした。その騎手から武豊騎手に戻るのは私もですし他でも少し「ん」と思うところはありました。ただ当時の武豊騎手は突然本番に現れる乗り替わりちょいちょいありましたし、伊藤雄調教師がとにかく武豊を使いたいのが伝わる調教師だったので、今とは違うニュアンスでしゃあないかと受け入れられてた気はします。
エリザベス女王杯も完勝。ただここでちょっと確かかかったはずなんですよね。ああ天才じゃないんだと思った記憶はあります。
そこでもう一つ頭に浮かんだのが父ディンヒル。世界的な種牡馬で海外の活躍馬もいますがその辺は詳しくない。ただ日本の産駒ブレイクタイムとかミッドタウンとか他条件馬とかから私が感じていたこの父に関する印象は、「スピードを生かしてパワフルに押し切る馬を出す種牡馬」。
そういう感じなので溜めたら切れるという印象もないのですが、スピード生かせば止まらない。そして距離を詰めたら良さが出るという印象だったんですよね。逆にいえば距離伸ばせば甘くなる。かかるという印象もあり、日本のディンヒル産駒にはそういうところは確実にありました。当時血統派だった私はそういう面がでてきたのかなと感じたのは覚えてますね。
そして初の黒星になる有馬記念。さらなる距離延長で牝馬での挑戦でした。
当時の有馬記念って牝馬は無理なレースだったんですよね。古馬混合2000m以上のG1が牝馬には鬼門とされてた時代でエアグルーヴが2000mで天皇賞を勝って少し緩和しましたが、2400m以上特に有馬記念ではそういうことが特に言われる時代でした。あのヒシアマゾンでも2着だったとか過去の名牝も通用しなかったというのはあります。
とはいってもスペシャルな馬ということで結果は2.6倍の1番人気。この天才をどう扱おうか絶妙に反映しているオッズだと思います。
結果は5着。勝ったのは(私の本命で)同じ3歳のシンボリクリスエスでした。そして2着が完全に伏兵だったタップダンスシチー。
これどういう展開だったかというと、スタートしてしばらくしてファインモーションがかかって先頭に出るんですよね。そこで少し落ち着いたんですが、そのタイミングでタップダンスシチーがハナを奪いに行く。各々が自分の馬をリズムよく走らせるための選択ですが、結果これファインモーションはリズムを崩して結果負けることになります。
伊藤雄調教師は当時競馬雑誌でコラム?を持たれてたはずなんですが、非常に怒られていた印象で、レースを一頭に壊されたとか世界的な名馬になる素材なのになんてことをしてくれてるんだとか。
当時の私の感じたことをストレートにいうと理不尽ないちゃもんだなという感想で。少なくとも私は受ける主張をされてた印象でタップの陣営も(佐々木師か佐藤哲騎手かどっちかは忘れましたが)、こっちも馬券買ってくれてるファンがいるのでとかやんわり反論返されてた記憶があります。
少し話は逸れますが、みんなが勝つためにレースをしてできるものが正しいレースであって、一頭の馬に気を使って行われるレースの方が、その馬がレースを壊していると思うんですよね。危険なことはだめですが、そうでないなら、みんなが勝つために精一杯力と知恵をぶつけ合うのが正しいレースだと私は思います。
ここまでがこの馬のハイライトでここからは迷走することになります。負けたり負けたり勝ったり好走したりという感じの戦歴を繰り返します。重賞はちょこちょこ勝つけど、G1では2着まで。
とにかくかかるようになってそれで惨敗とかうまくためを聞かせて突き抜けることもあったけどそれは続かず。天才の片りんはなく、エンジンが強い一頭の実力馬に下がった印象はあります。
特に印象的なのは4歳のマイルCSですね。まず毎日王冠から天皇賞秋に使う予定が負けたことで当時の外国産馬は2頭しか出れないという2頭に入れず、エリザベス女王杯にとなる予定だったんですが、ここには武豊騎手のお手馬アドマイヤグルーヴが出走予定だったんですよね。ここでかち合ってどうなるかといえば、当時は完全に武豊騎手を主戦にしていたアドマイヤさんがまったくひかなかったんですよね。ファインモーションがエリザベス女王杯にでても武豊はアドマイヤグルーヴに乗る。そっちの事情は知らねえよと。
いろんな考え方はありますが、これはアドマイヤさんの方が筋通ってるかなとは当時の私目線では感じました。ただファインモーションと武豊のファンもいますし、伊藤雄調教師も何かしら納得はされてないようでしたが。
そこで通常なら違う騎手探すかになるんですが、そうならなかったんですよね。なら武豊の乗れるマイルCSにするという選択になった。これは当時でもどうなんだという声結構あったと思います。
馬優先とかそういうのが結構言われる時代に、特に伊藤雄調教師って馬を無理使いにしない調教師だったんですよね。休養も多いし時には行方不明になったのかというほど休む馬もいる。成長放牧というスラングも陰でいわれることもあってその言葉の代名詞の様な調教師でした。馬の成長にはそれくらい大事に使う必要があるという人が、騎手乗れねえから条件違うレース使います。「それどうなん?」とはわたしは思いましたし、多くはないけど少なくはそう思った人いたと思います。
どっちが正義が何が正しいかはわかりませんが違和感が残ることでした。
そして引退。牝馬なので繁殖にとなるはずですが、そうはならなかったんですね。染色体の異常で子供が埋めなかったらしい。いわゆるふたなりと呼ばれるものだったとか。その辺はネット文化創成期の競馬界では都市伝説風に伝わってきてはいましたがそれが真実かどうかはわからず。そして競馬は進んでいきこの馬のことは忘れていきました。
ただ時は流れて、2010年代が私が競馬バーに通っている頃にファインモーションの話になり、それほんとだよって話を関係者風の人から聞かされたことはあります。ただそのほんとだよが本当なのかどうかは、お酒飲んでる席の話なのでわかりませんが少し残しておきます。
ただこの話周辺では一競馬ファン視点でも不思議なことはあって、まずこの馬当時の世界的名馬(そして日本で残念種牡馬といわれた)ピルサドスキーの半妹なんですよね。そんな馬が当時は今より全然世界的な地位のない島国に売る。当時は種牡馬になる牡馬が人気で牝馬は人気ないんだよとか理由として言われてたんですが、実際そうだとしても相当不自然。しかも勝ったのが社台とかノーザンとかではなく伏木田牧場。日本競馬の名門生産牧場ですが、正直活躍馬をバンバン出しているという状況ではなかった。そんな生産者が馬主になって所有するわけです。
これは牧場側としてはこの馬でG1勝つために買った馬じゃなくて、その後に牧場で繁殖にいれて何年何十年と牧場の基礎牝系にしたいということで所有しているはずなんですよ。なのにこういう結果になった。非常に残念なことであり、これ本当にみんなファインモーションがそういう染色体の馬って知らなかったの?とは当時、一競馬ファンの私は思いました。伏木田さんはしらないのはわかるけど・・。
これ以上は書きませんがこの馬を思い出すときにそういうことは思うんですよね。
後は、2002年のころって短期免許の名手が来日して頭角を現してきたころですし、アンカツ騎手も来ています。ここまで武豊騎手に固執する必要はあったのかなと初戦は武豊騎手で逃げた馬が松永幹騎手の3戦で番手から抜け出すセンスあるレースができるようになった。そこが数戦乗るうちにかかるようになりできなくなりするなかでどこかで騎手を変えても良かったのではないかなとは当時から感じてました。
当時の武豊騎手はサンデーサイレンス産駒の切れ味を引き出す競馬で一世風靡してそういう形にはめ込んで勝ってた印象があります。また違う側面として番手から抜け出すとかそういう競馬でG1を勝つのは短距離に限られ、ある程度距離のある競馬でそういう競馬は今でも少ない騎手だとは思います。
逃げてJRAのG1勝ったのがキタサンブラックまで先になるわけで、「スピードを生かして押し切る競馬」が多い種牡馬の産駒の騎手としては違う選択もあったのかなというのは率直な感想としてありました。
こういう風に振り返ると背景とか、この馬の周辺の選択とかいろいろあり、そして馬の全盛期が完膚なまでに強すぎてそれゆえに印象もなく、馬自体の印象以外のことが思い出されるんですよね(後、某風俗店の名前なんだっけも)。
ただ忘れることはないだろうなという馬。時代の中で確実に印象に残る名馬でした。
ここまで書いたのはあくまで私の主観。いろんな感想を持ってる人はいると思いますが、この馬に関して私が当時思ったことはほぼ書きました。いろんな視点があったんだなと思って見ていただければ幸いです。では。
