自分のことを理解しようとすること

② 自分のことを理解しようとすること
「自分のことを理解する」とは、どういうことでしょうか。
精神疾患について話すとき、よく「病識がない」という言葉が使われます。
では、この「病識」とは何なのでしょう。
例えば、髪が伸び放題で、一見すると服装にもあまり気を配っていないように見える人がいたとします。
周囲から見れば、「身だしなみに無頓着だ」「自分の格好を理解できていない」と思うかもしれません。
でも、実は本人は、ものすごくおしゃれをしているつもりなのかもしれません。
本人なりに考え、本人なりの美意識で選んだファッション。それが周囲の「普通」と違っているだけなのかもしれないのです。
私が若い頃に出会った、ある入院患者さんのことを思い出します。

30代半ばの男性でした。
髪は肩まで伸ばし、ひげも伸ばしていました。白いトレーナーにピンクのTシャツを重ね着するなど、当時としてはかなり目立つファッションをしていました。
今のように男性用の小さめのTシャツが簡単に手に入る時代ではなかったため、自分がイメージする服を求めて婦人服売り場へ買い物に行くこともありました。
周囲が何を言っても、本人はそのファッションを変えようとはしませんでした。
なぜなら、本人はそれが「おかしい」とは思っていなかったからです。
本人には芸能人になりたいという夢がありました。
一方、周囲から見れば、「30代半ばになって仕事もせず、田舎で芸能人を目指し、奇抜な服装をしている」と映ります。
そして当時、こうした本人の考えや行動が周囲の価値観から大きく外れていることも含めて、「病識がない」と評価され、入院生活が続く大きな理由の一つになっていました。
ずいぶん昔の話です。
もちろん、現在の精神医療をそのまま当時と同じだと言うつもりはありません。
ただ、この経験を振り返ると、私は今でも考えてしまいます。
いったい誰の「普通」を基準にして、「病識がない」と判断していたのだろう。
本人が病気を理解できていなかったのでしょうか。
それとも、本人の価値観と周囲の価値観が違っていただけなのでしょうか。
「病識がない」という一言で片づけてしまうと、この二つの違いが見えなくなってしまうことがあります。
精神疾患における「病識」も、ここに難しさがあるように思います。
病気であることを理解するということは、ともすると「自分が病気であることを認めること」と捉えられがちです。
では、「自分を理解する」ということも、本当にそれだけなのでしょうか。
私は、まず**「自分は今、何に困っているのかを知ること」**ではないかと考えています。

「声が聞こえること」そのものよりも、
「怖くて眠れない」
「外に出られない」
「人と会うのが怖い」
「仕事に行けなくなった」
「家族と一緒にいるのがつらい」
といったことが、本人にとって本当に困っていることなのかもしれません。
ただ、強い恐怖や不安、驚きの中にいるとき、自分が何に困っているのかを自分自身で整理することは簡単ではありません。
だからこそ、周囲の人がすぐに「それは病気です」と結論づけるのではなく、
「今、何が一番つらいの?」
「何に困っているの?」
と、本人の話を十分に聞くことが大切なのだと思います。
そして、本人が感じていることと周囲の捉え方とのズレが少なくなっていけば、その支援や対話を手がかりにして、本人自身が少しずつ「自分のことを知っていく」ことにつながっていくのではないでしょうか。
私は、自助グループや当事者研究、オープンダイアローグなどの回復の過程でも、同じようなことが起きていると考えています。
自分一人で自分を理解しようとしても、なかなか分からないことがあります。
自分の体験を誰かに話してみる。
同じような体験をした人の話を聞いてみる。
「自分の場合はどうなんだろう」と一緒に考えてみる。
そうした人との関わりや対話を通して、
「自分はこういうときに苦しくなるんだ」
「こういうことが起こると不安が強くなるんだ」
「こうすると少し楽になるんだ」
「この人には助けを求めてもいいんだ」
ということが、少しずつ見えてきます。

つまり、自分を理解することは、一人だけでするものではないのかもしれません。
反対に、周囲の価値基準をもとに、
「あなたは病気だからこう考えるべきだ」
「これは症状だから認めなければならない」
「薬を飲めるようになれば病識がある」
という方向に話を進めてしまったら、どうでしょう。

いつまでたっても出てくる言葉は、「統合失調症」「うつ病」といった病名や、「幻聴」「妄想」「意欲低下」といった症状名ばかりになってしまいます。
それでは、病気について詳しくなることはあっても、自分自身について詳しくなることには、なかなかつながっていかないのではないでしょうか。
自分を理解するということは、病名を知ることだけではありません。
薬を飲めるようになることだけでもありません。
自分はいま何に困っているのか。
どんなときにつらくなるのか。
どんなことをすると少し楽になるのか。
困ったときには誰に助けを求めればいいのか。
そして、自分はこれからどんなふうに暮らしていきたいのか。
こうしたことを、周囲の人との対話やさまざまな経験を通して、少しずつ自分の言葉で表現できるようになること。
それが、「自分のことを理解する」ということなのではないかと、私は考えています。

