草薙素子と人形使いの間で何が起こっていたのか?ー理系の『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』解説
今年2026年は『攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL』の新しいTVアニメシリーズが公開になりました。原作発表から30数年を経て初めて原作準拠のアニメ化作品ということで、私自身楽しませてもらっていると同時に、改めて原作を読みなおしました。同じような方も多いのではないでしょうか。
本作品は一般に難解な作品と言われることが多いですが、検索してみるとこれほど売れた作品にも関わらず思いのほかちゃんとした解説記事や動画が少ないように感じたので、自分なりの理解を解説してみようと思います。
本解説について
本解説は、士郎正宗先生の漫画「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」がイマイチよく分からないという方に向けた解説になります。本作品は、終盤近くまでは痛快で知的好奇心をくすぐるポリスアクションドラマが気持ちよく展開されます。
ところが、主人公の草薙素子が人形使いに接触した途端、急に天使や天御柱(あまのみはしら)といったスピリチュアルなモチーフが描かれたり、抽象化された概念図が連続して描かれたりして、何が起きているのか唐突に分からなくなります。(09.BYEBYECLAYと11.GHOSTCOASTで、草薙素子と人形使いが会話するシーン)
本解説では「ポリスアクションドラマとしては何が起こっていたか概ね分かる。でも、
草薙素子と人形使いの会話内容と、二人の間で何が起こっていたのかがイマイチ理解し切れない。」
という方に向けて、なるべく分かりやすく且つ論理的・科学的に解説する内容になっています。
※ 本解説は士郎正宗先生による漫画「攻殻機動隊シリーズ」のうち、ヤングマガジンKCDXコミック第1巻「THE GHOST IN THE SHELL」を対象としています。解説中において”本作品”とはこれを指すものとします。併せて、漫画に準拠した2026年公開のTVアニメ作品にも対応しています。
※ 尚、本解説内容はあくまで筆者の個人的見解であり、その客観的正しさを保証するものではありませんので、本解説内容の誤りや矛盾によって被害影響が生じたとしても責任は負えませんが、もし本解説の見解を引用いただけるのであればご利用ください。その際は出展元の表示と本解説へのリンクを張っていただければと思います。
本作品の性格と、メタ視点からのマクロ構造
本作品を理解するにあたってまず理解しておくとよいのは、メタ的視点からの本作品のマクロ構造です。本作品は近未来サイバーパンクという形式をとっていますが、その本質は
「士郎正宗先生の持つ生命観・宇宙観を世に問う」という性格の作品
になっています。
そもそも本作品は、士郎正宗先生(以下、作者と書く)の考える生命観・宇宙観という土台の上に、それを表現するための手段(舞台装置)として近未来サイバーパンクという構造が載っている、という2層構造になっています。
ですので、本作品における作者の主張を理解するためには、作者の生命観・宇宙観を理解する必要があります。しかし、作者の生命観・宇宙観を理解するためには、作品本編に加えて、欄外に書き込まれた注釈を読み込む必要があります。(作者の重要な生命観・宇宙観が本編と同等の重みで欄外でも語られている。)
加えて、物理学・生物学・認知科学・情報テクノロジー・哲学・宗教・歴史といった広範な知識も求められます。なぜなら、作者の生命観・宇宙観はこのような広範で深い造詣に立脚してつくられているからです。
本作品を支える構造がこのようになっていることが、本作品の核心(作者の主張)パートをやけに理解しにくいものにしています。(もっと言えば、作者の別作品も読んでいないと分からない部分もある。)
作者が作品を通じて世に問うた3つの問い
では、本作品を通じて作者は世に何を問うているのでしょうか。
結論から言うとそれは以下の3つの問いです。
人間は、自分が自分として維持・存続し得る範囲内で、どこまで不要なものを取り除けるのか?そのとき、最後に残るものは何なのか?
閉じた自己ネットワークを自己維持し続ける系(システム)は、それが動植物でなくとも細胞で形づくられたものでなくとも、もはや生命と呼べるのではないか?
ゴーストは根源的には、物質的なもの(例えば肉体)ではなく非物質的なものに根差しているのではないか?物質に依存しなくとも存在し得るのではないか?
この3つの問いのうち、本作品で最も重みのある問いが③になります。どちらかと言えば、①②の問いは③を論じるに至るためのマイルストーンとしての役割になっています。ですが、草薙素子と人形使いが会話するシーンを十分に理解するのに、そもそも①②に対する理解の解像度が不足していることが原因になっている場合がほとんどであるように思います。
作者は①の問いに対して、ゴーストという概念(詳しい説明は後ほど)を回答として用意しています。本作品は、「作中でゴーストと呼ぶ概念が肉体と不可分なものではなく、むしろその根源・本質は物質的なもの(肉体)とは異なる領域に根差しているのではないか」という
作者の問いに回答を出すため、義体・電脳という近未来技術を「実験装置」として用いておこなった「思考実験」という態の作品
になっています。
義体・電脳という近未来にありそうな予感がする架空技術の存在によって、個人を維持するために必要な部分が現代よりもかなり少ない(後天的に供給されるもので代替が可能な)世界を用意し、「ゴーストと肉体が分割される」状況が作中ドラマとして生まれるようにしているわけです。
作中では、義体・電脳によって肉体の大部分がなくとも(後天的に供給されるもので代替しても)個人を存続することが可能です。つまり四肢はおろか、脳と中枢神経系を除くほとんどの器官・臓器を喪失しても自分を維持できるわけです。
さらには、脳が持つ機能のうち記憶については既に外部化が可能になっているし、脳や神経系の働きの一部について機械的・化学的に代替することも可能になっていることから、脳と中枢神経系が果たす機能すらも全てが代替不能というわけではなくなっています。
乱暴に言えば、作中では「ゴーストを維持・存続するためには、脳と中枢神経系以外は不要」なわけです。(この時点では、まだゴーストは肉体と不可分という扱い。)
このようにして、代替可能な部分を取り除いていったら、自分が自分として維持・存続し得る範囲で最後に残るものがゴーストだ、というのが作者の主張です。
自我・意識の発生要件と、作者の思考実験
ゴーストという概念は、作者が「自我・意識のようなもの」を表現したものとして理解している方が多いと思います。では、ゴーストという言葉が間違いなく指している概念のうちの1つとして、自我や意識というのはどうやって生まれるのでしょうか?
同じ生命であっても人間は自我や意識を持っていますが、細菌や虫などの比較的単純な生命は自我や意識を持っているとは言えません。(主旨から外れるので、クジラやイルカ、猿や犬や猫は自我や意識を持つのかという議論には踏み込みません。)
作者は「神経ネットワークの複雑さが一定水準を超えたときに自我や意識が生まれる」としています。こう言える根拠はコミックスP267欄外にある注釈です。
(略)人形使いの言う「自分」とは一定の複雑さに達した情報集積体がシフトして生命と呼ばれる相を成したと設定している。
この認識に基づいた作者の思考実験が人形使いという自我の誕生です。人形使いは、神経ネットワークではなく電子ネットワークの中で生まれた存在です。
つまり
電子ネットワークが高度に発達してその複雑さを増していったとき、それが神経ネットワークでなくとも自我や意識が発生するのではないか?という作者の思考実験の結果が人形使いという存在
なわけです。
ところが、ゴーストという概念を「自我・意識のようなもの」という理解のまま読み進めていくと困ったことになります。人形使いの「上部構造へのシフト」と、草薙素子との「融合」がどういうことなのか説明がつかず、自我や意識の「上部構造」って何なの?自我や意識が「融合」するってどういうことなの?となってしまいます。
ゴーストという概念が「自我・意識のようなもの」を表現したものという理解は間違ってはおらず、本作品のポリスアクションドラマを堪能する分にはそれで十分に事足ります。しかしそれだけだと、09.BYEBYECLAYと11.GHOSTCOASTで草薙素子と人形使いが会話するシーンに説明をつけるには不十分で、もっと解像度を上げる必要があります。
生命の要件と、人形使いが生命と言える理由
作者は人形使いという存在を使って、②の問いに接続させています。人形使いは細胞で構成された肉体を持つ存在ではなく、我々が常識的に持っている生命の認識とはかけ離れています。しかし作者は、自我や意識を持つ存在で、その存在(閉じた自己ネットワーク系)を自己維持することが可能ならば、それはもはや生命と言えると考えているわけです。
そもそもなぜ人形使いが生命だと言えるのでしょうか?
作者は(あくまで本作品を創作する範囲において)生命と言える要件をどう考えているのでしょうか。
作品全体から以下の3点として推察されます。
A) 閉じた自己ネットワーク系の自己維持(個体レベル)
B) 自己複製による種のネットワークの維持(種総体レベル)
C) 個性や多様性を伴う自己複製による種総体としてのゆらぎ
作者が(あくまで本作品を創作する範囲において)この3つを生命の要件としているというのは、(本作品が執筆された当時の)一般論としても本作品を通して語られている内容としても違和感はないと思います。この3つの要件のうち、生命と言える必須要件はA・Bの2つになります。
Cについては、必ずしもこれがなくとも不完全ながら生命と言える、という位置付けです。言い換えると、真に生命体と言えるためにはCまで備えることまでが必要というものです。
こう言える根拠は、融合する直前での人形使いと草薙素子との会話において、人形使いが「現状では未完成な水蛭子」、「これで私は真の生命体となる」と言っていることから明らかです。
現状では未完成な水蛭子
これで私は真の生命体となる
人形使いはそのゴーストを維持するための自己ネットワークとして、肉体の神経ネットワークの替わりに電子ネットワークに根差した存在なわけですが、作者の設定した生命の要件に照らすとA・Bの要件を満たすので、不完全ながら生命体と呼んでもよいというのが作者の主張になるわけです。
厳密に言えば、要件Bに対して人形使いは生命種をなしておらず単独の存在ですが、いくらでもコピーを取れるという点で自己複製は可能なので、要件Bも満たすと考えてよいでしょう。
生命のネットワーク階層構造と、作者の生命観
生命個体を「閉じた自己ネットワーク系」という言い方にしている理由は、P17欄外にある注釈によります。また、P123欄外にある注釈にも同じようなことが書かれています。
(略)電脳人の体(神経)は当人の持つネットそのものであるわけだ
(略)脳自体が全身を巡る神経ネットの一部でありシステムの部分(後略)
わざわざこんな持って廻ったような言い方で表現するのは、生命個体自体が1つのネットワークと捉える考え方が本作品の宇宙観を理解するカギになるからです。
本作品ではネットワークというものが、
下部構造の小規模・局所的ネットワークの集合からなる総体
として捉えられており、さらに
そのネットワーク自体もさらにその上部構造を構成するネットワークの一部
として捉えられています。つまり
生命個体というネットワークも臓器・器官・組織などのネットワークの総体であり
臓器・器官・組織なども細胞・血液・遺伝子などのネットワークの総体であり
細胞・血液・遺伝子なども分子・原子などのネットワークの総体であり
分子・原子なども素粒子のネットワークの総体
というわけです。また、
生命個体は生命種というネットワークを構成する一部であり
すべての生命種は自然というネットワークを構成する一部であり
自然は地球というネットワークを構成する一部であり
地球は・・・、
・・・
というわけです。
本作品を読み解くには、生命個体が下部ネットワークの集合であり上部ネットワークの一部であるという理解の仕方が必要になります。この解像度で理解を持っておくと、人形使いの「上部構造へのシフト」・草薙素子との「融合」がどういうことなのかが理解できるようになります。
この概念は、本編および欄外注釈のあちこちで度々語られており、それだけ重要な位置付けの概念で、本作品の根幹をなす生命観です。
(略)細胞の諸活動が秩序形成し、組織を人体を個体群を成し、各々のレベルで独特の相(とでも言うか)を持つ様に(後略)
(略)神霊の階層構造も人間の内宇宙と同様に上層支配型ではなく様々な部分の活動の総体が上層を成すと考えられる
(略)想いの結したモノが物質を成し、分子を、化合物を、細胞を、組織を、体系を成しているとすれば「階層の所々にひとまとめにできるモードがある」とも言える
非物質レイヤーのネットワークと、作者の宇宙観
前節の通り、作者はネットワークを階層の重なりとして構造的に捉えています。かなり中間階層を省略して、両側の末端と人間だけで書くと以下のようになります。

※作者は宇宙のさらに上部構造として、パラレルな多重宇宙の存在も想定しているが、あまり意味がないので宇宙までで止めてある。
尚、パラレルな宇宙という認識は単なる空想やスピリチュアルな発想ではなく、量子力学における可能性の重ね合わせをパラレルな多重宇宙と表現した極めて論理的・学術的な認識。パラレルな多重宇宙と表現しても差し支えないのは、単に言葉のラベルとして用いてもおかしくないというだけで実際にそういう宇宙が存在し観測できるわけではない。(本作が執筆された時期を考えると、超弦理論の解として得られる多重宇宙(マルチバース)を表現したものではない・・・とは思うのだけど、断言できる自信はない。)
ここで重要になる表現が、P274の人形使いのセリフにあります。また、ほぼ同義のセリフがP333にもあります。
物質は不確定で雲の様な見かけの殻にすぎず・・・仮想粒子で満たされた真空に実在が・・・
君達つまり物質宇宙は沈殿物の様な部分でしかない・・・
これらのセリフは、量子力学および場の量子論の概念をごく簡単に書いた内容になっています。量子力学、場の量子論は物理学における根源的な理論体系で、
素粒子は原理的にその存在を確率としてしか定義できず、まるで可能性の雲のように広がった状態としてしか記述できない
真空はゆらいだ真空のエネルギーで満ちており、ごく短い時間で(仮想)粒子の対生成・対消滅を繰り返している
真空は場という性質を持っており、粒子(物質)は空間そのものが持つ場が励起した状態である
ということを明らかにしています。ここで重要なことは物理学の理論そのものではなくて、
(素粒子という)物質は(真空が持つ場という)非物質的な領域に根差している
という作者の宇宙観に接続されるということです。
この概念に照らすと、先ほど記述したネットワーク階層は、物質と非物質のレイヤーを明確に区別して記述していなかったことが分かります。そこで、物質と非物質のレイヤーを区別して記述し直すと以下のようになります。

ただし、このネットワーク階層構造あくまで人間の場合です。人形使いでのネットワーク階層構造は以下のようになります。

これを見ると、物質レイヤーには違いがあるけれど非物質のレイヤーではどちらも違いがないということになります。
ここでP274とP333にある人形使いのセリフから作者は
物質レイヤーは殻に過ぎず(沈殿物のような部分でしかなく)、非物質レイヤーにこそ実在がある
という宇宙感を持っているということになるわけです。
要するに、物質レイヤーはおまけや付属物のような位置付けであって重要なのは非物質レイヤー、こっちが本体ということですね。
草薙素子と人形使いの間で起こったことと、作者が考えるゴーストという概念の正体
この階層構造と作者の宇宙観が分かると、草薙素子が人形使いにダイブしたときに何が起きたのかが分かります。
草薙素子が人形使いにダイブしたとき、人形使いが入った義体は爆破され、その機能をどんどん喪失していく最中でした。人形使いというゴーストを支える自己ネットワークが次々と失われていき、もはや存在が消失する寸前の状態でした。
ここで突然、人形使いの自己ネットワークが次々に回復していくという現象が起こります。草薙素子は再生したネットを見て「妙にもろい」、「電子の痕跡」と評しています。
構造が妙にもろい
このネットは電子の痕跡?
電子の痕跡という表現は、真空の場が反物質を生成するときの直感的イメージを想起させます。構造が妙にもろいという表現も、真空の場がごく短時間で常に揺らいでいる状態や対生成した仮想物質がすぐに対消滅する様、あるいは素粒子の量子状態がすぐにデコヒーレントを起こして射影する様などを想起させます。かなり決定的なのは、何もないところからネットが回復していっているという描写で、まるで空間(真空の場)そのものが変質しているかのような描写です。
これらが示唆しているのは、
人形使いのゴーストを支える自己ネットワークが電子ネットワークという物質的なものから、真空(場)のネットワークに置き換わる、ということが起こっている。
こう考えるのが最も整合的です。
つまり人形使いは、義体を失ったことで物質的な自己ネットワークから非物質的な自己ネットワークを持つ存在にシフトしたということになります。
自己ネットワークが真空(場)という非物質的で宇宙のどこにでも存在するネットワークとなったことで、人形使いは物質的な制約から解放されたことになります。
なぜなら、物質の制約を受けることなく(ハードウェアに依存せず)存在できるようになるのですから。これが人形使いの言う「制約を捨てる」ということの意味です。
制約を捨て更なる上部構造にシフトするときだ・・・
そして、真空(場)という自己ネットワークを持った人形使いには、それを通じてあらゆる物質宇宙のネットワークと接続できるようになるということになります。
なぜなら、全ての物質は真空の場によって生み出されているのですから。これが人形使いの言う「膨大なネットが接合されている」ということの意味であると同時にもうひとつの「制約を捨てる」という意味でもあります。
私には今私を含む膨大な・・・膨大なネットが接合されている・・・
そして、人形使いがこのような万能性を持つ存在となったということが「更なる上部構造にシフト」したということの意味になるわけです。
※と言っても、相対性理論の制約は必ず受けるわけだから、太陽から地球まで光速で8分もかかることを考えると、瞬時に宇宙全体の状態を知覚したり遠く遥か彼方の銀河にあるネットワークにアクセスできるような、まるで「全能の神」みたいな存在には物理的になれるわけがない。地球付近をカバーする程度が有意なところではないかと個人的には思う。
※物質の制約から解放されて、非物質ネットワークのみの存在となった人形使いは物質スケールに縛られることなく階層を上がったり下がったりできる存在になったということなのだろうか?(これも制約を捨てるということ?)そしてそれは「より大きいスケール階層における自我・意思」のような存在(いわゆる「大いなる意思」みたいな)にもなれるということなのだろうか?「上部構造」と言うくらいなのだから、こうでも考えないと表現に見合わない気がするのだけど、この辺りはよく分からない。
もしそうであるなら、人間一個人から見れば神に近い存在ということになるので、草薙素子が知覚したときにそのイメージが天使だったことは全く不思議ではない。
※???には何が入るのか分からないので???としたけど、敢えて入れるとしたら現時点なら「ダークエネルギー」とかになるのだろうか(今のところダークマターは物質扱い)。それとも「ヒルベルト空間」だろうか。個人的には後者の方がしっくりくる(そもそもエネルギーEと物質(質量m)は等価(E=mc^2)なのだし)が、これで正解!感はない。
※しかし、なぜ人形使いが自己ネットワークを置換できたのか、置換のトリガーやメカニズムが何だったのかは作中で全く語られていないので不明。ただ、人形使いはもともと自己ネットワークとして肉体を持っておらず、電子ネットワークによる存在だったので、肉体に縛られている人間よりは真空(場)ネットワークに近いということだけは言えるかも知れない。
このように、本作品で作者がおこなった思考実験というのは、
ゴーストはその自己ネットワークを物質レイヤーから非物質レイヤーに置き換えることができるのでは?そのとき何が起こるのか?
ということになるわけです。そしてこの実験結果が③の問いに対する作者の回答、ということです。
ここまでの整理から、作者がゴーストという概念をどのように考えているか改めて書くと以下のようになると思います。
ミクロな階層の活動・秩序の総体がよりマクロな階層で1つの相(モード)として振る舞う現象を、そのシステム全体のゴーストと呼ぶ。相とは、システムが総体として成している状態を指す。
このように考えると、自我・意識はゴーストという概念が指すうちのごく一部であって、ゴーストという概念はもっと広くて構造的な概念であることが分かります。
また、作者が「あらゆる森羅万象にゴーストはある」(P33)と考えているのも、このような構造で考えるとごく自然な認識なのであって、決して非科学的な発想ではないということが分かります。
あらゆる森羅万象にゴーストはある
あらゆるものにゴーストがあるという認識は、神道の基本的世界観(八百万の神々)と表面的にはよく似た概念になることが分かります。
作者は、作中で宗教的モチーフやスピリチュアルなモチーフを登場させていますが、それはあくまで単に象徴的表現としてそのように描くことが漫画的に面白く分かりやすいということであって、論理的・学術的な認識がその裏側にあるということがよく分かります。
人形使い最後の課題
ここまでの通り、人形使いは義体を喪失したことで上部構造へのシフトを果たしました。しかし、生命としての不完全さを抱えた状態のままです。
この最後の課題をクリアすることが、草薙素子との融合ということになるわけです。これは生命の要件Cを備えることですが、人形使いにとってなぜそれが必要なのかは作品で分かりやすく語られているので説明は省きます。
ここでよく起こる勘違いが、「上部構造へのシフト」が「草薙素子との融合」によって成し遂げられる、という誤解です。(これはおそらく押井守版アニメ映画の影響。この映画では、最初の邂逅で融合と上部構造シフトがどちらも起こっているので、このような誤解になりやすい。)
しかし、草薙素子との融合を提案した時点で人形使いは既に上部構造へのシフトを果たしており、融合の目的はあくまで「生命として存在のゆらぎを獲得すること」です。(ゆらぎを獲得することは、種として進化の可能性を獲得することでもある。)
では、草薙素子と人形使いが融合するというのはどういうことなのでしょうか。
基本的には自己ネットワークを共有するということになると思います。この場合では、草薙素子が自己ネットワークとして神経ネットワークから人形使いの持つ真空(場)ネットワークに置き換えることで、肉体的制約から解放されるということだと思います。
しかしそれでも生物としての死という制約から解放されるわけではないようです。人形使いが「融合することで自分は死を得る」と言っていて、そもそもそれを獲得するための融合ですから、死から解放されたら本末転倒です。
もし草薙素子が自己ネットワークのすべてを物質的ネットワークから人形使いの非物質的ネットワークに置き換えて、肉体が不要になることで死から解放されてしまうなら、草薙素子が第2巻で自身の肉体をわざわざ衛星上に“保存”している意味も失われてしまいます。ネットワークを置き換えるといってもその全てではなくあくまで一部ということなのかも知れません
それとも、人形使いが自己の非物質的ネットワークを草薙素子が持つ神経ネットワークに置き換えることで、死を得る代わりに「上部構造」としての地位も放棄するということなのでしょうか。個人的には「上部構造」としての存在を放棄するというのは違うかなと思っているのですが、このあたりは正直よく分かりません。
(そもそも作者が死の要件をどのように捉えているかが記述されていないので分かりませんが、個人的にはこのあたりの整合性がまだ不十分な気もします。ただ、連載作品に加筆する形で作品構造を拡大する手法を採っているので、細かい矛盾が発生したとしても仕方ないことだとは思います。)
おまけ
➢草薙素子が人形使いにダイブした際、そのネットワーク構造として「3つの要素が網状に連なり、壁状のブロックとして規則的に並んだ構造」を目撃しています。
描画としては、表面がクシャクシャの球体が3つ三角形状にくっついた連続的な構造として描かれていて、これを幾何学的な三角形の連なり(シェルピンスキーの三角形というフラクタル図形がモチーフになっている)として抽象化して描かれてもいます(ネットが生まれるときポコポコという擬音を当てている)。
この構造は作者特有の宇宙観を端的に顕したものなのですが、これが何を意味しているのか、なぜこういう構造認識を持っているのかという疑問に対しては、実は本作品からだけでは理解ができません。ただ、ここは本作品の根幹理解においては必ずしも必要ではないので説明は省きました。
この宇宙観は、第2巻MAN MACHINE INTERFACEではかなり根幹をなす概念として登場します。また、作者の別作品「仙術超攻殻ORION」などを読まないとその意味がよく理解できません。
詳しくは説明しませんが、作者は3つの基本ユニットでネットワークが構成されるという構造がどんな階層でも相似的に見られる(フラクタル)、という認識に基づいてこのような宇宙観を表現しているようです。
➢作者はマクロなネットワーク構造をP336で天御柱になぞらえて描いていますが、樹系図というのはそもそも上→下という方向性を持つ構造(上下に非対称な構造)であって、方向に対して対称性を持つネットワーク構造とは違います。
ただし、作者は天御柱の枝が幾重にも絡む(これをエンという言葉で表現している)と注釈しており、そうなれば天御柱はネットワーク構造ということになります。
➢P338にてもし生命が世代交代を経ても知識や経験を消し去ることなく次世代に伝えたらどうなるか?という問いに応える存在が、第2巻MAN MACHINE INTERFACEのケイ素生物(複雑なるもの)ということになっています。
ただ、ケイ素生物というのは、その体を構成する高分子を炭素ではなくケイ素に置き換えるという、理論的にはシンプルにそれだけの存在なので、ケイ素生物だから経験情報を引き継ぐことが可能になるというわけではありません。
ケイ素生物がなぜ世代交代でも経験情報を持続する存在になり得るのかはよく分かりません。おそらく作者がケイ素生物とは(この作品では)そういう存在であると決めた、ということなのだろうと個人的には思っています。
➢作者は、人間や生命個体をひとつのネットワークとして捉えているわけですが(実際そうですし)、一方で人間や生命個体を端末とも表現しています。(外務大臣の通訳がハッキングされたことを、ネットの各端末への介入と表現している。)
一般の感覚では、サイボーグと言えども人間を端末と表現するのには違和感を感じますが、作者は生命が天御柱の枝の先になる果実のようなものと考えているから、ネットワークの端部(枝の先端)に接続する端末(果実)という意味で端末と表現したのかもしれません。
あるいは、電脳というものが要するに脳の中にコンピューターを放り込んだものとして考えられるので、人間を端末と表現するのも自然ということなのかもしれません。
➢人形使いが、閉鎖モードにして外部アクセスを絶った草薙素子にアクセスできたのは、人形使いが既に自己ネットワークを電子ネットワークではなく真空(場)ネットワークに置き換えているので、電子ネットワークを閉鎖しても(そこに空間さえあれば)アクセスができるからということになります。
ただし、草薙素子は真空(場)ネットワークにはアクセスできないので、何らかの方法で電子ネットワークへの変換をしているのだと思います。(そのことが人形使いの「やっとで君にチャンネルできた」(チャンネルするまでに苦労した)というセリフの意味なのかもしれない。)
➢P283で草薙素子が潜水するとき、一瞬あらぬ方向に気を取られるシーンがあります。
そのあとで「人形使いの気配が・・・」と言っているので、このときおそらく人形使いが真空(場)ネットワークを通じてアクセスしようとしていた(その気配を感じていた)のだと思います。
個人的には、第2巻MAN MACHINE INTERFACEのエピローグで、チャネリング状態の魂合環が過去(潜水するとき)の草薙素子と会話をしており、実は魂合環の気配も同時に感じていた(しかし、この時点での草薙素子にとっては感じた気配が未来の魂合環のものであることは分からない)と解釈するのも面白いと思っています。(魂合環と会話した草薙素子はこのときの草薙素子ではなく、パラレルワールド(別の可能性)の草薙素子だろうと思う。)
未来の魂合環の気配とはおかしなことを言っているように感じるかもしれませんが、同じく第2巻のMAN MACHINE INTERFACEのエピローグで、霊能局の五十鈴が「過去と未来は同じもの」(等価)と言っていて、霊能者にとっては時間の一方向性(時間の矢)が認識上の制約にはならないということだと思います。
そもそも量子力学の基礎方程式では時間を逆向きにしても成り立つことから、近年の物理学では時間(の矢)というものは原理的には存在しない(何かしらの作用の結果として、我々が時間というものがあるように感じているだけ)のではないか?とも考えられるようになっていて、五十鈴の考え方は全く非科学的なものではなくむしろ極めて学術的な考え方であり、おそらく作者も分かっていて描いているのだろうと思います。
(このエピソード(10.BRAINDRAIN)の冒頭カラー4ページは単行本化にあたって後から描き足された部分だし、もしかしたらここを描いた時点で作者に第2巻の構想があったのかも知れないという想像だったのだが、さすがにこれは深読みしすぎかも。)
結び
そんなわけで作者の問いと主張を理解すると、映画版GHOST IN THE SHELL(押井守版)とは問うているものが全然違うなと改めて感じます。
押井版は問いのベクトルが内向き(自分は何者なのか?)になっています。押井版の問いは、原作の05.MEGATECH MACHINEⅡ最後のシーン、草薙素子と友人がカフェでしているポップな会話内容を縮尺拡大し中心に据えることで「自己アイデンティティを問う作品」に変えているので、必然的に哲学や心理学的要素が前景化しています。
原作は問いのベクトルが外向き(世界はどういう構造なのか?)になっていて、「世界の理を問う作品」です。(自己アイデンティティが揺らぐ事態は想定されているが、人間だけを特別視はしておらず、深刻に捉えていない。この辺り、作者の立場はかなりラディカルだが作中では一貫している。)それゆえに原作の問いは必然的に物理学的要素が前景化する構造になっています。
この違いが作風にも直結していますが、私は押井版の内向的で深刻な作風も大好きです。押井版映画が世界へ与えた影響の功績も計り知れないと思います。ですが私にとっての最大の衝撃はやはりいつまでも士郎正宗先生の漫画なのです。
もしも、もしも士郎正宗先生にお会いできる機会があるならば・・・、お聞きしたいことがたくさんあります。作品そのものについてよりもむしろ先生の生命観や宇宙観、本解説中で「分からない、自信がない、おそらくこう考えていたのではないか」と書いたところ、そしてなにより、創造のプロセスやその源泉をぜひ質問してみたいものです。
