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香りと、人と、空間と

午後から仕事の打ち合わせ。
少し早めに出て昼食を済ませ、時間調整でスタバで一服。
今日から新しいメニューが出ているようだが、シンプルにカフェアメリカーノを頼んだ。
エスプレッソを薄めたものがアメリカーノ。スッキリとして飲みやすいのがお気に入りだ。
カフェインによる覚醒をコーヒーに求める人も多いが、どちらかというと私は、リラックスできるコーヒーの香りが好きだ。

家で手軽にレギュラーコーヒーが飲めたらなあ。
子育てに追われていた頃、こども用に麦茶と牛乳を用意しとけば自分は何でもいいわい、と思っていた。
水でもお茶でも、なんなら飲まなくても食事の水分だけで生きていけるわい、と。
そんなとき、仕事と育児に埋もれていた私の頬を撫でたのが、コーヒーの香りだった。
いい匂い、、、、、、。
足も、思考も、一瞬立ち止まった。
肩の力が抜けている。
いろんなことに追われていた最中、コーヒーの香りが、優しく控えめに、けれど確実に私の気持ちを落ち着かせている。
我に返っている自分がいた。
よし。
1日の中に、コーヒータイムを作ろう。
そう思った瞬間だった。
でも。
やることだらけの日常のどこに、ゆっくりコーヒーを入れる時間を取れるだろうか。
それを考えること自体がストレスになりそうだ。
思いついたが実行できない日が続いていた。

ある日、家族で買い物に出たとき、足を休めたくてカフェに寄った。
「君たちは、何飲む?」
高校生の長男は、バナナシェイク。
中学生の次男は、私と同じホットコーヒー。
えっ?
大丈夫?
尋ねた私に、飲んでみたい、と次男は答えた。
まあ飲めなければそれはそれで。
しばらくしてやってきたコーヒーは、小さなクラッカーサンドを乗せたスプーンがソーサーに添えられている。
「おお〜、お菓子付きとは」
私も気分が少し上がったが、次男はそれ以上だったようだ。
コーヒーの苦さに驚きながら、クラッカーをかじり、またコーヒーを飲む。
案の定、半分以上コーヒーが残っている段階でクラッカーを食べ尽くした次男に、手を付けずにおいた私と夫のクラッカーをプレゼント。
息を吹き返した次男は再び、コーヒーに挑み始めた。
最後は砂糖の力も借り、とうとうコーヒーカップを空にした次男は、嬉しそうに勝利宣言。
「美味しかった。コーヒーって、コーヒーだけじゃなくて、お菓子も楽しめるんだね。また飲みたい」

しばらくして、私はステンレスのプレス式コーヒーポットを買った。
これならば、入れるのも、後始末も簡単だろう。
箱から取り出したポットを見て、息子たちは目を丸くした。
銀色のステンレスの輝きとツルンとした表面が、存在感をアピールしている。
「これでコーヒーを入れるんだよ」
「へえ〜」
「すげー」
私は次男に向かって、言葉を続けた。
「でさ、もしだったら、これでコーヒー、入れてみない?やり方教えるから」
「お?おお〜、、、おもしろそう」
次男は驚いた様子だったが、ポットを手に取り、説明書を読み始めた。

そこからなんと、毎日かかさず、次男はコーヒーを入れてくれるようになった。
夕食後の食器を下げると、コーヒーの準備を始め、サーブしてくれる。
次男が入れてくれる時間帯に合わせ、豆はデカフェをスタンダードに買い置きすることにした。
かくして、私の優雅な自宅コーヒー生活が始まったのである。
ただ一点、懸念事項は、必ずお菓子がついてくる、ということだ。
(嬉しい悲鳴、と言うべきか?)
コーヒー×お菓子の美味しさを初日にして知ってしまったために、次男がお菓子なしでコーヒーをサーブすることはない。
来月人間ドックだからとか、大人の事情でお菓子を断ると、悲しそうな表情になるのだ。
うう、食べずにはいられないではないか、、、。
まあ食べ過ぎない程度に、そして、この時間以外にお菓子は食べないようにしよう、と決めた。

数年後、電気を使わないオートドリップサーバーに興味を持ち、購入した私は、これまた次男に預けた。
「お?おお〜、、、おもしろそう」
と、前回と全く同じリアクションで、次男は説明書を読み始める。
スッキリと入れられるドリップタイプが気に入ったのか、そちらが使われることが多くなった。
更に私は、手動のグラインダーまで次男に預けてみた。
「お?おお〜、、、(以下同文)」
筋肉痛の過程を乗り越え、次男は豆を挽くところからやれるようになった。
普段は粉だが、私の友人が来たときなどは、挽きたての豆でコーヒーを入れてくれる。
その香りは、格別だ。

「明日の午後、おばあんちにコーヒー入れにいってくる」
「ん。ありがとう」
一年ほど前だろうか、次男のコーヒーの話を姑にしたら、飲んでみたいわ〜と言われ、だいたい月に一度、次男は姑宅を訪問するようになった。
私も一緒に行くことがあるが、祖母と孫の水入らずがよかろうと思い、コーヒーに合うお菓子を用意して次男に託すことも多い。
「嫁が用意したお菓子を持って、孫がコーヒーを入れに来る、って言うと、みんなに『良いわねえ〜!』って羨ましがられるんだよ」
以前行ったときに、姑が言っていた。
入れてくれるコーヒー以上に、時間と手間をかけてくれる孫の存在が、何より貴重だ、と。
そう。
私も最初は、レギュラーコーヒーを自宅で飲めたらいいなと思って始めたことだった。
でも、どうやら欲しかったのは、コーヒーそのものではなかったようだ。
コーヒーを入れる人と飲む人が、言葉や心を交わす。
そんな豊かな時間を、『家』という安心できる空間で、心行くまで満喫する。
この最高の癒しが、私は欲しかったんだ。
真のゴールの認識、そしてそこにたどり着けたことへの安堵が、私を更に笑顔にする。

ちなみに当の次男に、これら数年にわたる母親からの仕打ちについて尋ねてみると、
「おかあからもらったコーヒー道具たちは、俺の生涯の友」
さらっと答える。
神か?お前、、、。
「おかあ、美味しいお菓子、用意してくれるし」
そこかい。
では、明日のお土産にはロシアチョコレートでも持たせるとしようか。 

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