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春、探しに行くか。|DECKY ARCHIVE 第75話

子どもたちが小さかった頃、春先になると一緒にフキノトウを探しに行った。最初は長男かずきと、やがてこうようも、そしてまっきーも加わって、いつの間にか3兄弟みんなで春を探すようになっていた。見つけて、採って、食べて、そして伝わっていく。田舎で暮らす中で、家族と一緒に春の匂いや季節の移り変わりを感じていた頃の記憶。


春になると、
ふと思い出すことがある。

フキノトウを探しに、
子どもたちと一緒に歩いた日のことだ。

前の話では、
3兄弟とリッツがいた頃のことを書いたけれど、
あの頃は本当に、家のまわりの自然の中でよく遊んでいた。

遠くへ出かけなくても、
山があって、土手があって、
季節になれば、そこに春のものが出てくる。

そんな暮らしの中で、
子どもたちと一緒にフキノトウを探しに行った時間が、
今でもよう残っている。


最初は、かずきと一緒だった

最初の頃は、
かずきと一緒にフキノトウを探しに行くことが多かった。

小さかったかずきは、
初めて見るものにすぐ反応して、
びっくりしたり、嬉しそうにしたり、
何を見てもええリアクションをしていた。

それを見るのが面白くて、
僕もいろいろなところへ連れて行った。

山を歩いたり、
タラの芽を採りに行ったり、
季節のものを探しに行ったり。

別に特別な遊びではない。
でも、小さいかずきと一緒に外を歩く時間が、
僕は好きだった。

たしか、まだ寒さの残る頃だったと思う。
正月休みの頃だったか、その少しあとだったか。
とにかく、出たばかりのフキノトウを探して、
かずきと一緒に歩いたことがあった。

まだあまり出ていない。
それでも二人で地面を見ながら、
一生懸命探していた。

「あった」

「ここにもあるんちゃうか」

そんなふうに言いながら歩いた時間を、
今でも覚えている。


いつの間にか、3人になった

そのうち、こうようが生まれて、
少し大きくなると一緒についてくるようになった。

そして、まっきーも生まれた。

気がつけば、
僕と3兄弟で、春を探しに歩くようになっていた。

かずきが先に見つけることもある。
こうようが「あった」と声を上げることもある。
まっきーは兄ちゃんたちについて歩きながら、
一生懸命に地面を見ている。

3人とも性格は違う。
見つけ方も、それぞれ違う。

でも、一つフキノトウを見つけると、
みんなでそこへ集まってくる。

「ここにもある」

「こっちにもあるよ」

そんな声を聞きながら、
僕は少し後ろから3人の姿を見ていた。

あの時間が、好きだった。


「春、探しに行くか」

僕は子どもたちに、

「春、探しに行くか」

そんなふうに言っていた気がする。

フキノトウを探しに行く。
タラの芽を採りに行く。

やっていることはそういうことなんだけれど、
僕の中では、ただ山菜を採りに行くというより、
季節そのものを探しに行く感覚だった。

山の空気が少し変わる。
土の匂いがしてくる。
枯れ草の間から、小さな緑が顔を出す。

それを3人で見つける。

僕は、この田舎にいるからこそ感じられる春を、
子どもたちにも知ってほしかったんだと思う。

フキノトウの味を覚えてほしい、
ということだけではなかった。

山の匂い。
土の感じ。
春が来た時の空気。

そういうものを、
身体で感じてくれたらええかなと思っていた。


春になると、「これがフキノトウやよ」と教えながら一緒に探した。



最初は僕が教えて、そのうち兄弟で覚えていった

最初は、もちろん僕が教えていた。

「これがフキノトウやよ」

「こういうところに出てくるんやよ」

そんなふうに一緒に歩いているうちに、
かずきが少しずつ覚えていった。

こうようやまっきーが一緒に行くようになると、
今度はかずきが弟たちに教えることもあった。

「これやよ」

そう言いながら、
自分が見つけたフキノトウを指さしている。

こうようも、何度か行くうちに
自分で見つけられるようになった。

まっきーも、兄ちゃんたちの後をついて歩きながら、
少しずつ覚えていった。

僕からかずきへ。
かずきから弟たちへ。

でも、それだけではない。

3人で一緒に歩いて、
3人で一緒に見つけて、
3人で一緒に春を覚えていった。

兄弟で、同じ春を見ていた。

今思うと、
そのことが一番大きかったのかもしれない。


最初は僕が教えた。
やがて3人で探すようになって、兄弟みんなで春を覚えていった。



採って帰ったら、天ぷら

フキノトウは、見つけて終わりではなかった。

採って帰ったら、
家で天ぷらにしてもらった。

その日に自分たちで見つけて採ったものが、
夕方には食卓に並ぶ。

それが、なんだか良かった。

子どもたちにしたら、
味がどうこうというよりも、
自分たちで探したものが料理になって出てくる
というのが面白かったんだと思う。

僕にとっては、それも春の一つだった。

見つけて、採って、食べる。
そこで終わりではなく、
その季節をちゃんと身体で感じる。

そんな時間だった。


自分たちで探して採ってきたフキノトウ。
その日のうちに天ぷらになった。



僕も、誰かに教えてもらった

今になって思えば、
僕も最初から知っていたわけではない。

僕も誰かに、
山のこと、春のこと、
食べられるもののことを教えてもらったんだと思う。

それを、今度は自分の子どもたちに伝えていた。

しかも、僕がずっと直接教えるだけではなく、
かずきが覚えて、こうようが覚えて、まっきーも覚えていく。

そうやって、
知っていることが少しずつ受け継がれていく。

大げさなことではないけれど、
こういうことが、案外大事なんやと思う。


僕も誰かに教えてもらった。それを今度は子どもたちに。
そして3人それぞれの中に春が残っていった。



何でもないようで、残る時間

旅行みたいに特別な思い出ではない。
イベントみたいに大きな出来事でもない。

ただ春になって、
親子でフキノトウを探しに行って、
家で食べた。

それだけのことだ。

でも今思い返すと、
そういう何でもない時間の方が、
いちばんよく残っている。

最初はかずきと。
そのうち、こうようも一緒になって。
まっきーもついてきて。
気がつけば、3人で春を探していた。

田舎で暮らしている中で、
春を見つけて、
春を食べて、
春を伝えていたんやなと思う。









息子たちへ


お前ら、覚えているかな。

春になると、
よく一緒にフキノトウを探しに行ったな。

最初はかずきと。
そのうち、こうようも一緒になって、
まっきーもついてくるようになった。

気がつけば、
3人で地面を見ながら、
春を探していた。

かずきが見つけたり、
こうようが見つけたり、
まっきーが兄ちゃんたちについて歩いたり。

僕は、
そんな3人を見るのが好きだった。

別に今でも、
フキノトウの見つけ方を覚えていてほしいわけではない。

でも、

山の匂いとか、
土の感じとか、
春が来た時の空気とか。

そういうものを、
3人それぞれの中に少しでも残しておいてくれたらいい。

そしていつか、
また誰かに

「春、探しに行くか」

って言う日があったら、
それで十分やと思う。






何でもない春の日やったけど、
ああいう時間が、いちばん残るんやと思う。



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