「効率」と「心」の狭間で。認知症病棟の男性看護師が、葛藤の先にたどり着いた「父親としての自分」と「プロとしての自分」
療養病棟から認知症病棟へ。そこで感じた「家族の熱量」の差
長く精神科療養病棟にいた私にとって、新しい環境である認知症病棟は驚きの連続だった。一番の違いは、ご家族の面会の多さと、その熱量だ。
療養病棟では落ち着いていた「説明を求める声」が、ここでは日々あふれている。「なぜこうなったのか」「これからどうなるのか」。看護師にぶつけられる質問の多くは、医師に聞くべき医学的な領域だったり、私たちにもすぐには答えが出せないものだったりする。
ご家族にとっては、入院という大きな決断をしたからこその「焦燥感」があるのだろう。時に「入院してからひどくなった」という言葉を投げかけられることもある。加齢や進行、環境の変化……理由は一つではないが、一番身近にいる看護師は、その感情の「受け皿」になりやすいのだと痛感している。男性だからこそ、時に威圧的に感情をぶつけられることもあるが、その奥にある不安を受け止めなければならない。
「経営の論理」に追われるもどかしさ
病棟を離れれば、病院経営という現実が待っている。ベッドの回転率、利益の追求。効率化を求められるなかで、入退院のペースは上がり、記録や対応に追われて帰宅は遅くなる一方だ。
「もっとゆっくり、一人ひとりに優しいケアがしたい」
そんな看護の本質的な願いが、数字の論理にかき消されていくような感覚。患者さんのため、家族のためにと尽くせば尽くすほど、プロとしての理想と経営という現実のギャップが私を苦しめる。
看護師として、一人の男として、父として
病院で家族の切実な思いを聴き続け、限界までケアをして帰宅すれば、そこには私を待っている子供たちがいる。 仕事で心を使い果たし、疲れ果てて子供の世話をしていると、ふと「自分は何をしているんだろう」と虚しさがこみ上げてくる夜もある。父親として、子供たちにもっとエネルギーを注ぎたいという思いと、仕事での消耗の狭間で揺れ動く。
一人の男として、体力も精神力も、決して無限ではない。
それでも、目の前の患者さんに向き合う理由
それでも私は、明日もまた病棟に向かう。 経営がどうあれ、家族の不満がどこに向いていようとも、私の目の前にいるのは「今、助けを必要としている一人の方」だからだ。
すべてを変えることはできなくても、検温の際の一言、背中に触れる手の温もり、そんな「私にしかできない小さなこと」を一生懸命に積み重ねていく。23年の経験が、その一瞬のケアに重みを与えると信じている。
今の私にできるのは、きっとその積み重ねの先に、わずかな安らぎを見出すことなのだと思う。同じように葛藤する男性看護師や、働く父親に、この想いが届きますように。
