スプーンを置いた日に思うこと ~人手不足の病棟で、後回しになるケア
今日も、食事介助の途中でスプーンを置きました。
まだ食べられそうでした。
あと数口、待てば口が動いたかもしれません。
でも時計を見て、次の方のもとへ向かいました。
背中に残ったのは、「ごめんなさい」という小さな痛みです。
同じ思いを抱えて働いている医療・介護職の方は、きっと少なくないと思います。
今日は、その現場で何が起きているのかを、私なりに言葉にしてみます。
削られていく、生活の土台
私は精神科病院と老人ホームで、看護師と介護福祉士として働いて、
あわせて27年、現場に立ってきました。
最近、人手不足を強く感じます。
業務を時間内に終えることと、一人ひとりに丁寧な看護・介護を届けること。
その二つが、うまく両立しなくなってきました。
しわ寄せがいちばん大きく出るのは、食事・排泄・入浴の「3大介護」です。
毎日あって、時間が決まっていて、待ってもらえない。
だからこそ、人が足りない日には、そこから時間が削られていきます。
ゆっくり食べる人ほど、時間が足りない
食事介助は、ただ口に運ぶ仕事ではありません。
一口の量、飲み込むまでの間、むせの様子、姿勢、表情。
そのすべてを見ながら、その方のペースに合わせていく、とても繊細なケアです。
けれど人が少ない日は、それができなくなります。
食べるのがゆっくりな方ほど、時間が必要です。
でも決められた時間には限りがあり、途中で介助を終えることになります。
そして時間内に終えようとすると、私の手は、どうしても速くなります。
飲み込む前に、次の一口を運んでしまう。
それは、誤嚥(食べ物が気管に入ること)のリスクを高める介助です。
分かっているのに、止められない。
そのもどかしさが、いちばん苦しいところです。
食事のあとの、一杯のお茶

もう一つ、心に引っかかっていることがあります。
水分補給です。
本当は、食事介助のあとに、ゆっくりお茶を飲んでもらいたい。
日中も、こまめに水分をとってもらいたい。
高齢の患者さんは、のどの渇きを感じにくく、自分から「飲みたい」と言えない方も少なくありません。
水分が足りなくなると、便秘や尿路感染、ふらつき、意識がぼんやりすることにもつながりやすいといわれています。
それなのに、日中の水分補給を、確実には届けられない日があります。
食事のあとにひと息つく余裕はなく、
「あとで飲んでもらおう」と思ったまま、
気づけば時間だけが過ぎている。
たった一杯のお茶。
でも、その一杯に手が回らない日が、確かにあるのです。
「命に関わること」が、先にある

なぜ、それができないのか。
理由ははっきりしています。
その日のうちに、必ずやらなければならない、命に関わる看護業務があるからです。
点滴。
処置。
薬の準備と、投与前の確認。
医師の指示や処方内容の確認、そして必要な報告と連絡。
どれも、遅らせることも、間違えることも許されません。
確認を急げば、患者さんの安全を脅かしてしまいます。
そこに、予定していなかったことが重なります。
不穏の患者さんへの対応。
精神科では、突然、興奮や混乱が強くなる方がいます。
ご本人の安全と、周りの患者さんの安全を守るため、一人か二人のスタッフが、しばらくその場から動けなくなります。
その間も、ほかの業務は止まりません。
面会に来られたご家族への対応。
ご家族は、大切な人の様子を心配して来られます。
現在の状態、最近の変化、これからのこと。
丁寧に説明し、不安に耳を傾けることも、看護の大切な仕事です。
けれどその時間は、どうしても病棟全体の手が薄くなります。
こうして、優先すべきことが次々に積み重なっていきます。
そのたびに、食事の見守り、水分補給、体位の調整、声かけといった、看護師が提供したほうがよい介護業務は、少しずつ後ろへ押されていきます。
「これも本当は、今やったほうがいい」
そう分かっているのに、手が届かない。
優先順位をつけること自体は、間違いではありません。
苦しいのは、優先順位の下に置かれたものが、患者さんの毎日の暮らしそのものだということです。
削った数分は、あとで返ってくる
食事が途中で終われば、摂取量が減ります。
水分が足りなければ、体調を崩しやすくなります。
体力や筋力が落ちれば、食べる力もさらに弱くなります。
ペースが速くなれば、誤嚥のリスクが上がります。
誤嚥性肺炎になれば、治療が必要になり、生活の力も下がりやすくなります。
その場では見えない数分が、あとで大きな負担になって返ってくる。
そんな可能性を、私は現場で感じています。
だから、これは「頑張ればなんとかなる」という話ではありません。
削られている時間は、本来、省いてよい時間ではないのです。
責めてしまう、優しい人たち

こうした状況が続くと、スタッフの心も疲れていきます。
自分が大切にしたいケアができない。
その苦しさは「モラルディストレス(倫理的な葛藤による苦痛)」と呼ばれることがあります。
真面目な人ほど、自分を責めます。
「私が遅いから」
「もっと手際よくできれば」
けれど多くの場合、それは個人の努力で解決できる問題ではありません。
患者さんの表情や空気を敏感に感じ取る人ほど、この葛藤を深く受け止めてしまいます。
その繊細さは、ケアの質を支える大きな力でもあります。
だからこそ、すり減ってほしくないのです。
今日から、少しだけできること
現場を一気に変えることは、私にもできません。
でも、小さくできることはあると思っています。
まず、安全だけは崩さないこと。
急ぐ日でも、姿勢を整え、一口の量を減らし、飲み込みを確認します。
「完食」よりも、「安全に食べられたか」を大切にします。
次に、途中でやめたことを、次につなぐこと。
食事が途中で終わったこと、水分が足りていないことを、記録して引き継ぎます。
「できなかった」で終わらせず、「次の人にバトンを渡す」。
それだけでも、患者さんへの影響は変わります。
そして、起きていることを見える形にすること。
食事が途中で終わった人数、水分摂取量、ヒヤリハット(事故には至らなかった危ない場面)。
記録や数字にすれば、感覚ではなく事実として、チームや管理者に伝えられます。
さらに、人が少ない日の優先順位を、前もって話し合っておくこと。
不穏の対応や面会対応が重なったとき、誰がどこを受け持つのか。
その場で一人が抱えて決めるのではなく、あらかじめチームで合意しておく。
それだけで、迷いも罪悪感も、少し軽くなります。
これで解決するわけではありません。
それでも、「見えない問題」を「見える問題」にすることが、第一歩だと思っています。
最後に
スプーンを置くとき、胸が痛むのは、あなたがその人をちゃんと見ているからです。
お茶を渡せなかった日に、心に残るものがあるのは、
あなたがその一杯の意味を知っているからです。
その痛みは、ケアを大切にしている証拠だと思います。
どうか、自分を責めすぎないでください。
そして、ひとりで抱え込まないでください。
同じ場所で、同じ葛藤を抱えている仲間が、きっとたくさんいます。
もしこの記事を読んで「私もそうだ」と感じたら、コメントで教えてもらえたら嬉しいです。
現場の声が集まることが、変化の小さな種になるかもしれません。
