あれこれ思う日々(音楽:”Little Girl Blue” ロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲、Nina Simone 歌・ピアノ、アルバム”Little Girl Blue”「リトル・ガール・ブルー」1959年より)
生きていく中で、もう何もかもうまくいかなくて、絶望的な気持ちになることがあります。
程度の差こそあれ、そのような気持ちは、誰もが少なからず経験するものなのかもしれません。そんな時には、誰かに慰めてほしい、少しでも希望を感じさせてほしい、と願うのが人の常だと思います。
Nina Simoneの “Little Girl Blue” は、そのような気持ちにそっと触れてくる曲です。
この曲は、「あれ、どこかで聴いたことのある童謡だろうか」と思わせるような、静かなピアノのイントロから始まります。調べてみると、それは “Good King Wenceslas” というクリスマス・キャロルなのだそうです。どこか懐かしく、しかし少し寂しげなそのメロディーは、自然に私たちを “Little Girl Blue” の世界へと誘っていきます。
“Little girl, you’re through” という歌詞があります。
ここで使われている “through” は “finished” という意味で、つまり「もう終わりだよ」「万事休すだよ」ということです。彼女にできることは、指折り数を数えることだけ。当てにできるのは空から降ってくる雨粒だけ。そんな、人生が行き詰まってしまったような感覚を、ニーナはピアノだけを伴奏にして、静かに歌います。
しかし、この歌は Little Girl Blue に対して、分かりやすい救いの手を差し伸べるわけではありません。
むしろ最後の方では、「もう夢も希望も尽きようとしているのだから、いい加減あきらめたらどう?」とでも言うように、まるで最後のとどめを刺すかのように歌われます。
ニーナの静かな歌い方は、悲しい状況に置かれている Little Girl Blue に対して、積極的に夢や希望を与えるものではありません。むしろ、彼女が置かれている救いのない状況を、淡々と思い知らせるような歌い方です。ある意味では、非情にも思えます。
しかし、最後の最後に、この歌は次のような歌詞で締めくくられます。
“Why won’t somebody send a tender blue boy
To cheer up little girl blue”
※引用:Richard Rodgers / Lorenz Hart “Little Girl Blue” より
拙訳すると、「誰か、この女の子を慰めてくれるような、繊細で心優しい男の子に巡り合わせてくれないだろうか」というような意味になるでしょうか。
この歌詞では、女の子にも、そして男の子にも “blue” という言葉が使われています。どちらも、恵まれない、不幸せな状況にあることが示唆されているように感じます。
生きていく中で感じるさまざまな辛さに本当に共感できるのは、やはり、それなりに辛さや悲しみを背負っている人なのかもしれません。
この曲の歌詞も、ニーナの歌い方も、少し俯瞰した第三者的な視点で貫かれています。大げさに慰めるわけでもなく、希望を声高に語るわけでもありません。それでも最後の歌詞からは、Little Girl Blue に向けられた優しい視線が十分に感じられます。
そこが、聴き手の共感を呼び起こすでしょう。
希望を押しつけることのない優しさは、時として、過剰な励ましの言葉よりも大きな力を持っているように思います。
参考
Nina Simone “Little Girl Blue”
YouTubeなどの音楽配信サービスで聴くことができます。
※歌詞は、公式配信サービスまたは歌詞掲載サイト等をご参照ください。
