心を半分殺した、そして私の人生は残りの半分で輝いた
考えることは、生きること。
それは、唯一平等に近い“自由”であり、人生に彩りや輝きを与えてくれるもの。
そう思っている。
私はもともと、
「偽りの自分で誰かが笑ってくれるならそれでいい」
「誰かに合わせている方が無難だし、考えなくていいから楽」
そう思って、周りに合わせて生きていた。
気づけば、自分が何が好きで、何が嫌いか、
何を望んでいてどこに向かっているのか、まったく分からなくなっていた。
そんな霧の中にいた高校生の頃、ふとした瞬間にこう思った。
「私って、どこにいるの?」
誰ともぶつからず、流されて、息を潜めていた毎日。
まるで私は、透明人間みたいだった。
ちゃんとこの世界にいるはずなのに、
誰にも見えていないような気がした。
自分でも、自分の姿が見えなくなっていった。
そうやって、私は自らの手で、心を“半分”殺していたのだと思う。
でも、半分で済んだ。
それは、壊れきる前に気づけたから。
そこから少しずつ、世界に色が戻り始めた。
透明だった私は、問いを重ねることで、輪郭を取り戻していった。
本音を探し、問い直し、言葉にしようとした。
ひとつひとつの“考える時間”によって、自分が存在しなかった場所に考える私が見え始めた
そして考える事は私の土台となった
