わたしの人生観を変えたジョジョキャラは鋼入りの(スティーリー)ダンだった
プロローグ
「あなたの人生観を変えたジョジョのキャラクターは?」
もしそう聞かれたら、あなたは誰を思い浮かべる?
誰かのために戦えて、自分の信念を貫ける、個性豊かな歴代主人公。
カリスマ性や独自の美学を持ち、突き抜けた思想が光る歴代ボス。
主人公を支える心強い仲間たちや、憎みきれない敵キャラクター。
それとも、候補に挙がることすらない
ちっぽけな存在?
出会いと衝撃
2016年、4部アニメが始まった。
当時わたしは間田敏和( はざまだとしかず )に魅了され、ジョジョシリーズに本格的に足を踏み入れていた。
その年、敏和経由で相互になった子が3部をお勧めしてくれた。鋼入りの( スティーリー )ダンというキャラが好きなんだそう。
「そのダンって人、どんなキャラなん?」
「本当にどうしようもないヤツだよ」
「ま?今度絶対3部見るわ」
夏頃、早々に3部アニメも観始めて、アヴドゥルさんのメロさにドキドキしたり、アンちゃんの魅力に釘付けだった。
彼女はジョジョシリーズの中で一番好きな女性キャラ。気が強くて行動力があって、家出と言ってもスケールがでかい。
優れたバイタリティの持ち主なんだけど、年相応に不器用で空回りしちゃうこともある女の子で……わたしはそのタイプにかなり弱い。『NARUTO』のサクラちゃんもかわいくて大好きだ。
その後、アヴドゥルさんがやられてアンちゃんもお家に帰って、( 基本的に箱推しとはいえ )わたしのガチ推しが立て続けに姿を消してしょもしょもしていた時、あの男が現れた。
損得!
逃避!
敗北!
逆少年ジャンプ三原則?
これがいわゆる、鋼入りのダン。
一般的な印象として──彼は卑劣な小悪党で、優勢時にはイキり倒し、劣勢になると即座に命乞いをする。
強さも信念もなく、金と保身のためならどんな手も使う「どうしようもないヤツ」。ジョジョの敵の中でもファンから嫌悪感を抱かれやすいタイプ。
ただ、嫌われるくらい性格のひどい小物キャラが好きなわたしにとって彼は心地よい刺激だったから、ファンアートを山ほど描いたし、同人イベントで本なども出した。
当初はわたしもダンを「一般的な印象」のキャンバスに収めていた。
ところが、時が経つにつれ、少しずつ枠からはみ出し始めて…
──そのことについて話す前に、ひとつだけ整理させてね。
本当に「再起不能」で済んだのか
「鋼入りのダンってあのあと結局どうなったの?」
と思ったこと、3部を読んだ( 観た )人なら一度はあるんじゃないかな。
3ページ分、アニメでは約30秒間ラッシュで殴られるから、生死不明と捉えられていてもおかしくない。実際わたしもこのテーマで少し悩んだことがある。
そんなわたしの悩みを打ち消したのは、2017年に発売された3部 Blu-ray BOXの特典ブックレット。
公式の制作資料にあたるこの冊子では、キャラクター設定を中心に、製作スタッフのコメントや対談、承太郎役の小野大輔さんへのインタビューなどが掲載されている。その中にあるダンの項目を確認してみると ──
パキスタンのカラチでケバブ売りに化けて承太郎たちを待ち伏せていたスタンド使い。口封じのためエンヤ婆に肉の芽を植えて殺害した。
人質をとって承太郎をこき使うが、返り討ちに遭い再起不能に。
生きてた!
いや、元から死んだとは思ってなかったけど。
でも公式側からの断定は正直嬉しかった。
当時、億泰が無事な姿で現れたときの仗助みたいになってた。大げさだね。
ちなみにわたしが「再起不能( =生きてる )」と判断してた材料のひとつは、死神13 ( デスサーティーン )その①でのセスナ搭乗前のポルナレフのセリフ。
上空を百キロものスピードで飛ぶセスナに「スタンド」をとどかすことのできる追手なんていないぜ
あの「恋人」だって砂漠上空のセスナを襲うのは無理さ
承太郎がダンとの決着についてメンバーに話していなかったとしても、メタ的に読めば作者がもしダンを死んだとして描いていたなら、名指しした上でこの言い回しをさせるかなあ…──そんな疑問があった。
あと、このセリフはダンが「来ない」とされているというより「来ようとしたとしてもさすがに今回は無理だろ」という文脈にも読めて、ポルナレフがダンのしぶとさや執念を割と高めに見積もっているのが個人的にちょっと微笑ましいんだよね。
とはいえ完治にはかなり時間が掛かると思うし、下手したら麻痺がどこかに残る可能性もある。
生きてはいるものの、肉体的・社会的に3部の刺客の中ではかなり重めの再起不能だと思う。
鋼入りのダンの再解釈
予習不足の男を復習していく
しているようでしていない「命乞い」
お家芸のように見えるダンの命乞い。
でも、もし彼が本気で生に執着するタイプなら
命乞いをあそこまで雑に切らない。
「黄の節制( イエローテンパランス )」のラバーソールも似た戦法を取るけど、彼の窮地での反応はどこか場当たり的で、ダンと少し質が違う。その詰めの甘さがラバソのかわいいところでもある。
ダンにとって命乞いはただのポーズであり、交渉術。相手の油断を誘い、隙を伺うためのエセ命乞い。本気で生に執着するタイプから見たら、怒られてもおかしくないね。
そもそもダンは、最後に切る決死のカードを既に持っていて──
それは、命より大事にしている「モノ」。
「悪あがき」ではなく「彼なりの誠意」
ディ… ディオから前金をもらってる……そっ それをやるよ
ラッシュを受ける直前のダンのセリフ。
読み手側が「上司を裏切った挙句お金なんかで解決しようとしている」と呆れ返るシーンで、一見すると悪手にしか見えない。
けどダンにとっては初めからこれが最終手段だったと思う。
比較として、お金至上主義の人物が窮地に陥った際に言いそうなセリフを挙げてみる。
「金か!?いくら欲しいんだ!?」
「いくらでも払う、命だけは助けてくれ!」
他の手段は使わず、第一声で。
この手のキャラはお金<自分の命。
ダンはその形式の真逆を行ってることに気がついた。
わたしが好きなお金至上主義キャラも、世の中お金さえあれば何でもできると思っているタイプだ。『ぜんまいざむらい』のなめざえもんは「お金ならいくらでもあるでやーんす」と小判を見せつけるけど、だからこそお金じゃどうにもならない場面では哀れで愛おしい。
こういう造形がお金系キャラには多いと思うけど、ダンは明らかに毛色が違う。
じゃあ、貧しさゆえに執着するタイプ?
それも、ちょっと違う。
裕福な出自ではなさそうだけど、少なくとも1部ディオのような、恵まれた環境にいる人への強大な憎悪や、果てなき野望を持っていそうな雰囲気ではない。
おそらくダンにとってのお金は、すべてのモノや命の価値を可視化できて、誠実さも表せる唯一の指針だったんじゃないかな。
自身の体や命より重い存在だからこそ、
お金を差し出すのは第一声ではなく「最後の最後」。
命乞いでも打算でもない、彼の世界の中ではいちばん真っ直ぐな選択だったのかもしれない。
システム化されたダンの処世術
「結果が読めない」「どこまで頑張ればいいかわからない」「勝つか負けるかわからない」
そういう「確証のなさ」って地味にしんどい。
わたしはたぶん完全な「自由」よりも、ルールや勝ち負けがあって、やればやった分だけ何かが返ってくる世界のほうが安心する。
ゲームってそうだよね。
ルールがあって、失敗してもすぐ結果が出て、何が悪かったかもだいたいわかる。
現実にそれをそのまま持ち込むことはできないけど「これはゲームだ」と割り切れば、ちょっとだけ楽になるときがある。
きっとダンは人生を「生身で生きる」のではなく、ゲームとして切り分け、操作する感覚でいるのかもしれない。
なぜなら「確証のなさ」を極端に嫌っている性質に見えるから。
彼の処世術は、
人間関係や戦いを「確証のない現実」から
管理可能な自分のゲームシステムに引きずり下ろすこと。
ただし、これには重大な欠陥があって、
「確証がなくても動く」「不利な状況でも引かない」といったシステムを超える存在が立ちはだかると、あっけなく破綻してしまう。
自分のシステムでうまく動かせない相手には
「恋人( ラバーズ )」を飛ばす。
さらに、それでもうまくいかない場合は……
「システムダウン」が起きる。
史上最弱が最「恐」なのはどうして?
フッフッフッ 史上最弱が…………
最も最も最も最も最も最も最も最も最も最も最も
最も最も最も最も最も最も最も最も最も最も
最も恐ろしィィ マギィーーーーーッ!!
ダンといえば、で大抵の人が思い出すのがたぶんこのセリフ。
わたしも、反復の勢いと「弱さを知ることが強さではなく恐ろしさなんだ?」という引っ掛かりのあるセリフとして強烈に印象に残った。
ちなみにここはアニメ公式の『オラオラジオ!第13回』で、ダン役の岸尾だいすけさんが「一息でいきたかった」と言っていた。とてもストイック。
アニメ版は岸尾さんの様々な声の演技がダンに詰まっていたし、『レミーのおいしいレストラン』のレミーの吹替と同じ人なことに気づけないくらい、演技の幅広さに圧倒された。
本題に戻るけど、どうして「弱さ」が「強さ」ではなく「恐ろしさ」なのか?
ここでジャンプ・コミックスに載っている荒木飛呂彦先生のコメントを引用するね。
ジョジョに対して、よくいただく意見に第4部になって『”敵”が弱くなった』というのがある。
「答え」は作品の中にあると思って、普通はあまり意見に対し、答えたりしないのであるが、編集部の中からもこういう意見がたまに来るので、しかたなく答えると第4部は「人の心の弱さ」をテーマに描いている。
『心の弱い部分』が追いつめられたり、ある方向から見ると『恐ろしさになる』ということをスタンドにしているのだ。
( 前略 )
それと世の中を見渡してみると本当に『強い』人っていうのは悪い事はしない事に気づく。
「悪い事をする敵」というものは「心に弱さ」を持った人であり、真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ。
このコメントを読んで、真っ先にダンのセリフを思い出した。
ジャンプ・コミックスのジョジョ45〜46巻は4部の終盤あたり。吉良吉影をはじめ、改めて4部の敵スタンド使いたちを思い返して、なるほどと思った。
そして、わたしが4部では間田敏和が大好きで、3部では鋼入りのダンだったのは、ごく自然な流れだったんだなと実感した。
おそらく、「強さ」とは自分の「弱さ」を受け入れた上で制御できる人。
すなわち善性を保てる人。
荒木先生は「自分の弱さ」を理解することだけが「強さ」ではないことを強調するために、「弱さを攻撃に変えた者」の持つエネルギーをあえて「恐ろしさ」と呼んだのかもしれない。
たぶんダンは、自分が「強い側じゃない」ことをちゃんとわかっていた。
だからこそ「弱さ」を「強さとは異なる力」として見ていたのかな。
承太郎への「つけ」の正体
わたしの中でダンは、合理性を追求した成れの果てって感じでかなり無機質寄りの印象がある。でも、感情が無いわけではない。
他者の精神で「遊んでいる」時は彼のサディズムが刺激されるのか、どこか楽しそうに見える。
逆に言えば、そういう状況じゃないと心がプラスに動かないのかもしれない。
もちろん、心がマイナスに動く時もある。
その引き金になった存在が、まさに承太郎だったんじゃないかと思う。
承太郎は「遊び」に持って来れなかったどころか、ダンからすれば「遊ばれている」。
しかも、承太郎が戦う理由は自分のためではなく、「肉親( 他者 )のため」。
合理性だけで生きてきたダンには理解できない価値観を持つ異物に見えてそうだし、他者に愛される側の人間へのルサンチマンも混ざってそう。
承太郎によってダンの余裕のメッキが剥がれていく描写は段階的だった。
まず序盤で承太郎が「おれはやるといったらやる男だぜ」と言った後のダンの表情には、動揺がうかがえた。
つけメモを見た後の表情には、焦りを感じているように見えた。
極め付けはその直後の「無言で平手打ち」。
言葉で処理できなかった感情が、手のひらから先に出た。
初見は面白すぎて「お嬢様ビンタじゃん」とだけ思っていたけど。
どんなに策を講じても優位に立てない相手はダンにとって「理解不能」。
承太郎への「つけ」は「理解不能」への恐れからくる反動。
そして、ダンが「つけ」として払わされたのは
肉体的ダメージではなく、自身の論理の敗北だったのかもね。
DIOがダンに前金を渡した理由
第3部に登場する刺客の多くは、「お金」か「忠誠心」を理由にDIOの配下となっていて、特に前者は、承太郎やその一行を倒した成功報酬として莫大な金額を約束されていた。
例えば、ラバーソールはこんな感じ。
おめーを殺せばDIOに一億ドルもらうことになってる………ヒヒ
たった数分の戦いでそれだけかせげるなんてよ
マイク・タイソン以上におれって幸運だと思わんかい〜〜〜〜〜!?
このタマナシヘナチンがァーーーーーっ
──しかし、ダンは違った。
おそらくDIOは、ダンが人を信用しない人間であることや、お金を価値指標としている性質を見抜いていて、それを踏まえてうまく動かすための、合理的判断だったのかなと思う。
DIOはダンより一枚上手だったけど、その判断が後々ダンにどう作用したかは、この時点ではまだ誰にもわからなかった。
肯定されてしまった価値観──呼び寄せた慢心、そして敗北
ダンがDIOに惹かれたのは金額だけじゃなくて、誰にも心を開かない姿勢へのシンパシーも含まれてるように感じる。
「共感性ではなく合理性」「相手の心は自分が握って操作する」という感覚が、「自分と同じやり方で世界を見ている存在」だと勝手に同一視してしまったのかも。
きっと、その瞬間からダンの中では
金で測れない人間が「例外」から「無価値」になった。
ダンにとって「無価値」の最たる例と言えるのがエンヤ婆。
彼女は忠誠心でDIOに仕えていたものの、ダン目線では安く買い叩かれただけの「ちっぽけな存在」だった。
それゆえDIOの命令でエンヤ婆を殺害した際、金で動いてないのだからいいように利用されたまで、という答え合わせとして彼女を嘲笑したのだと思う。
しかしその理解は、あくまでダン自身の価値観に基づいたものでしかない。
4部では、虹村兄弟の父親がDIOの配下となり大金をもらっていたけど、「肉の芽」を植えられていたために、DIOの死後それが暴走していたことが描かれた。
DIOは「金を払った相手」を無条件で信用していたわけではなく、善のタガが外れていない者に対しては、意志そのものを縛る手段を選んでいたことがわかる。
DIOにとって、金額の大きさと信用度はイコールじゃない。
お金はただの手段で、価値の指標にはしていない。
DIOの人心掌握──ダンに前金を渡した判断そのものは正解だったと思う。でも、その額は彼に“強さ”を与えるには充分すぎたみたい。
ダンはその金額を「仕事の対価」ではなく「自分自身の価値」として受け取ってしまった。
そして、それまでの計算高さを忘れ、慢心に至り、敗北した。
元ネタの「バンド名」を冠する意味
名前の元ネタであるロックバンド「Steely Dan」を聴いた時、耳触りのいい都会的な旋律のバンドだと思った。歌詞を見るまでは。
歌詞はそんな曲調の雰囲気とは裏腹に、人間の持つ危うさや不確かさが描かれている。とはいえ言語表現の余白も多く、あくまで聴き手に委ねられているのが面白い。
当時ラジオチューンとして迎合され、人気を博していたそう。高度なギター技術も評価に貢献していたと思う。だからこそ、大衆向けとは程遠い冷笑的な歌詞であることがギャップとして魅力的だったのかな。
でも、わたしは冷笑があまり好きじゃない。
冷笑って心の絆創膏だし、それを貼りっぱなしでいつまでも傷が癒えない人を見ると、
「なんでそれを早く剥がさないんだろう、膿むだけなのに」と、つい思ってしまう。
わたしのこの「寄り添えなさ」は正直あんま良くない。たまたまその世界を知らないで済んだだけなのに、無邪気に踏み歩いてるからね。
冷笑する人をさらに踏んだところで、世界はちっとも良くならない。
改めてSteely Danについて考えると、彼らは世間に「寄り添わない」ことで、冷笑しながら生きていかざるを得ない人に「寄り添っている」ような気がした。
Steely Danからの引用は他の部でも見られるけど、「バンド名」をわざわざキャラクターの名前に付けたことに、つい何かあるのではと思ってしまう。
元々3部のキャラはアーティストやバンド名の引用が多かったとはいえ、
それでも、この名付けだけは少し特別に感じてしまう。
見る人が思わず閉口する、徹底的な嫌われの美学
もう、「そういうデザイン」ってこと
ヘイトの盾で理解を阻止──良さを知る前に嫌わせる
まずはこの3つのセリフを見てみて。
だがな 物事というのは短所が すなわち長所になる
すべてはッ おのれの弱さを認めた時に始まる
一流ブランドのデザインもいいが まれに無名の逸品ってやつは こういう店で出会えるものさ
セリフだけを見れば頭にスッと入ってくる人も多いと思う。でも、この時見ている光景は「ジョセフを人質に取っているのをいいことに、承太郎をコケにしまくる卑劣なヤツ」なんだよね。
だから状況的にセリフが心に響きにくいし、それどころか行動とのギャップによって、言葉の正しさごと拒否したくなるほど不快に感じるかもしれない。
「生々しい嫌さ」は糖衣を施しても飲めない
さっき挙げたセリフから滲み出る思想に加えて、ルックスの良さなども含めればキャラクターとしての魅力は充分あるように思える。
しかし、それらを凌駕する人間くさいイヤさ──ずるくて、情けなくて、往生際が悪い──そういうのが何もかもチャラにしてしまう。
彼には驚くほど丁寧な内面の描写が与えられていたんだけど、
それでも、ね。
ド丁寧すぎる内面描写
3部の刺客は、モノローグ( 独白 )が最低限に抑えられているように感じる。
これは、どこにいるか、どんな能力を持っているかがわからない敵と戦う状況に没入しやすい舞台装置になっていて、戦いのテンポの良さにも一役買っていると思う。
逆に、刺客側にモノローグを出す時は効果的で、エンヤ婆、ホル・ホースなど作中のキーキャラクターや、オインゴ&ボインゴ兄弟のように相手の視点中心で動く特殊な展開で使われている。
また、心理戦がメインとなるダービー兄弟──ダニエルやテレンスの回では彼らのモノローグがなくてはならない存在として生きてくる。
でも、この中のどれでもないアプローチでモノローグを出されたキャラクターがいる。
それが鋼入りのダン。
彼のモノローグは2回あって、1回目はポルナレフが、人混みを避けるため花京院にテレビを購入するよう伝えたシーンの後。
ム〜〜〜〜っ
花京院の「法皇」とポルナレフの「戦車」…
なんと 小さくなってジョースターの体内へ侵入しているとは…
わたしと戦う気か
見える………… 血管の壁からわたしの「恋人」のいる脳幹に出てくるところが……フン!
この場面、もし状況説明だけが目的なら、本来はなくても成立する。
読み手側はもう、花京院とポルナレフがジョセフの脳に向かっていることは知ってるから。
じゃあ何なのかというと、おそらくダンが承太郎たちのペースに乱されていることの示唆。つまり、読み手にダンの「粗を見せている」んだと思う。
わざわざモノローグで言わせた上に「ム〜〜〜〜っ」とか「……フン!」とか明らかな苛立ちまで見え隠れしていて、余裕ではないことが伝わってくる。
さらに言うと、ダンのモノローグ直前で、承太郎はダンを見ているけど、ダンは承太郎を見ていない。承太郎が既にダンの心の揺れを察知しているのに、ダンはそれに気づかない。
2回目のモノローグは、
「エセ命乞い→隙を伺う→返り討ち」の、ほれ見ろコンボ確定演出シーン。
もうすぐだ!もうすぐで わたしの「恋人」がもどってくる!
この承太郎のアホタレは 今 そのことを知らない
今度はてめーの耳から脳に潜入してやるッ!
花京院は数百メートルも遠くにいる
見てろ〜〜 死ぬほどの苦しみを味わわせてやるぜ~~
き… 来たッ!
来た!
来た!
来た!来た!
今だッ!侵入してやるッ!
「き… 来たッ!」だけはフキダシで声として出ているんだけど、ダンが気づかずに言っている演出意図がありそうに思えてしまう。
ここでのモノローグは、ダンの優位性を自己暗示して打開を急ぐ様子が丸見え。言ってしまえば「黙って反撃してればもうちょっと強そうに見える」。
ちなみに、ここのシーンをアニメで見たとき、岸尾だいすけさんの演技がめちゃ素敵で鳥肌立った。ダンから「恋人」の声にじわじわ変わっていくように聞こえたんだよね。
まとめると、ダンによるこれらのモノローグは、どちらも展開的には無くても成立するけどあえて入れることで、彼の弱さが浮き彫りになっている。
そして、承太郎との残酷なまでの対比も。
わたし目線、鋼入りのダンは荒木先生の趣向が凝らされた嫌われキャラの黄金比だと思った。
どうしてわたしの脳に彼が10年も居座ってるのか
脳内家賃滞納すんのやめてね
胸をくすぐる「かわいい」なにか
わたしは「かわいい」ものが好き。
と言ってもその守備範囲が尋常でない自覚はある。
例えるなら宇宙かな。今も勝手に膨張してる。
子どもの頃から、好きになるキャラクターといえば恥ずかしさで目を背けたくなるくらいクセの強いキャラが好きだった。
忍たまの土井先生に初恋は奪われず、滝夜叉丸ばかり追っていた。
その時に感じていた気持ちも「かわいい」だった。
やがてクセ強キャラ好きが転じ、小物感の強いキャラや、コミカルで愛らしい悪役を好きになっていった。
そして最終的に──人によってはかわいくないかもしれない小物悪役の世界に、気づいたらなぜか、居た。
機能不全が美しい──無駄へのロマン
彼には価値観も、戦略も、ルックスもある。
なのに、それを全部踏み倒す「イヤさ」で印象が最悪に転ぶ。
そういう宝の持ち腐れ的な機能不全に、「無駄であることの美しさ」を感じた。
フライングタイガーコペンハーゲンや、日本撤退してしまったクレアーズのアイテムもそう。
文具や生活雑貨としての機能はあるけど、装飾的すぎるディテールや派手さによって機能性はほぼ失われていて、「かわいいけど、いつ使うんだろう?」と思われてしまうもの。
でも、わたしはそれ「が」好き。
さらに、この無駄さへの偏愛はダン自身の持つ「無くしたほうがいいもの」に対する気持ちでもある。
それは彼の「未熟さ」。
本来なら削ぎ落とされるべき部分。
ダンはすべてを見透かしているような態度をとるけど、実際はまだ“見透かしている段階”にいる人間。
例えるなら若手エリート社員みたいな雰囲気。
自分を賢いと思ってるし、実際ちゃんと賢い。
でもプライドがまだ発展途上。承太郎に刺されると感情が先に出る。
わたしがいちばん好きなのは、ダンがピキる瞬間だ。
理屈で武装しているはずなのに、じわじわと感情が顔や態度に滲む時。
あそこに彼の未完成な人間ぶりがうかがえる。
それを見て、わたしはキャッキャしている。
だから居座っているのかも。
「消費」のヴェールを引き裂いた
わたしがダンに強く影響を受けた部分は自己理解の重要性だと思う。
それまでは「自分を理解する」という発想自体なかった。他人も自分もよくわからないものとして扱い、問題が起きれば「たぶん自分のせい。原因はわかんないけど」と飲み込んでいた。
きっと人間の中身にあんま興味がなかったんだと思う。感覚的に「この子といると楽しいからいっしょにいる」みたいな軽さ。
ただ、ヒト以外の生き物には興味が強くて、生態を調べた時間は他者について考える時間より遥かに多かった。人間が嫌いなんじゃなくて、単に理解したい対象として選んでなかった。
自分に対しても内側より外側──おしゃれな服やメイクやかわいいモノで彩り、中身に関してはその場のノリと、尊重ひとつまみでなんとかしていた。
それでも大きな破綻は起きなかった。
表面が整っていると人間関係はそれなりに回る。
自分をサンディングして、その上にかわいいネイルチップをつければ大体のことは何とかなる。
そのぶん自分がすこし削れていることを除けば。
他人も自分も「消費」ベースだったと思うし、その構造にわたしは長いあいだ疑問を持たなかったんだよね。
フィクションにおいても、とりわけクズやゲスと言われているタイプを好きになった時の感覚は、紛れもなく「消費」のはずだった。
少なくとも、その時のわたしはそう思っていた。
小物悪役がわたしをエンパワメント?
強い存在は、人を惹きつける。
多くは善性、時には突き抜けた悪性がそうさせる。
惹かれるのはきっと、その人に「足りないもの」や「持てないもの」を与えてくれるから。
そんな中わたしをエンパワメントしたのは、
心揺さぶる曲を届ける歌手でも、苦労を重ねてきた俳優でもない。
強さや優しさの光るキャラクターでもなければ、憧れたくなるほど魅力的な悪に満ちたキャラクターでもない。
「かわいいけど、こうはなりたくないな」と思っていた、誠実さも信念も感じられない、しょーもない小物悪役。
これに気づいた時はさすがに意味不明だった。
しかし立ち止まって考えてみると、わたしは善であろうとする意識、愛情、素直さ、無条件に人を惹きつける「カリスマ性とも違った何か」を既に持っていて、そもそも強い存在への羨望がほとんど無かった。
ダンは、わたしに与えるどころか、むしろ削った。
浮上できず海底に留まっていたわたしに「それは本当にすべて必要か?」と、装着していたウエイトを少しだけ外させて、海上へ送り出した。
だから私は救われたんだと思う。
わからないけど、わかる
こっから割とマリアナ海溝
「意志を持たないモノ」に価値を委ねる
わたしは様々な「かわいいモノ」を愛している。
部屋もアメトイ屋さんみたいに「かわいいモノ」が詰まった空間になっている。
それらはわたしに元気をくれるし、贈れば誰かに喜んでもらえる。
素敵な思い出のドアを開ける鍵にもなる。
形ある以上壊れてしまうときもあるけど、扱い方を気をつけていれば大抵は応えてくれる。
でも、人間はそうもいかない。
こっちが好きでも相手は好きじゃないことだってあるし、良い関係性を築けてもそれがずっと続くとは限らない。
境界、尊重心、価値観、距離感、社会性、ノリ… 気をつけなきゃいけないことが山ほどある。
他の生命だと「わかりあえなくても美しい、ただそこにいることが良い」と思えるのに、わたしときたら人間に対しては勝手に「ままならなさ」を感じてしまう。
人に依存するくらいなら、せめて「モノ」に依存していたい。そんな風に思ってしまう日は正直ある。
モノには魂も心も無いけど、急に裏切ったりしないし、こちらの感情で傷つけてしまうこともない。
ダンにとって揺るがない価値も、モノ( お金 )だと思ってる。
人は流動的。だから信用できない。
もしかしたらそれは「正しい」のかもしれない。
ただ、わたしはその意識に抗いながら生きることを選択してる。
ダンはその逆を迷わずに選んでるみたいだ。
人間をシステムだと思いこむ危うさ
自分の期待した反応が返って来なかった時、一瞬困惑してしまうことがある。
でもこれ、わたしが相手を見極めきれなかった結果でしかない。
それに、相手を血の通った存在として見れてる?
なんとなくシステムだと思ってない?って。
そう感じて、この感覚危険だな、と静かに蓋をした。
ダンはこれを究極の合理性として、人生に組み込んでる。
そうしないと生きられなかったのかもしれないけど、人を人として扱わないと、自分がどんどん歪んでいく気がして怖いから、さすがにわたしはそこまで吹っ切れることはできない。
感情をそのまま出さない「選択」
わたしは感情をそのまま言葉にしたとき、うまくいかなかった経験が多い。
伝えたいことが正しく伝わらないまま、相手には不快感、わたしには徒労感。
だからわたしは感情が生まれたとき、そのまま言葉には出さずに、一旦理屈でスキャンして出力するように心がけている。
ダンはたぶんわたしよりずっと切実で、感情をそのまま出した瞬間、相手に支配されると感じている。逆に言うと「感情で動く人間はちょろい」と思っているかもね。
受け止め方は違っていても、「感情を理屈に通してからでないと外に出せない」という感覚そのものは理解できるから、嫌なヤツだな〜と思いつつも、どこか共感できてしまうのかな。
じゃあ、感情をそのまま出すのは悪なのか?というと、そんなことはなくて。
「理屈を通した判断」は、生き延びるために選択された態度のひとつでしかない。それは正しさとは限らないし、常に最善であるとも言えない。
時には、自分自身を抑圧するものに変わっちゃうときもある。
「自己理解一点集中」の穴
ダンは自分の性質や弱さを自覚している。
その自己理解の深さこそが、わたしがダンの深みにハマった最も大きな理由。
弱さを知らない人間より誠実に見えるし、わたしも自分自身の「弱さ」について考えるようになってから、だいぶ生きやすくなった。
そして自己理解と同じくらい大切なものが、他者理解。
これを意識しないと、どんなに自己理解を深めても機能しない。
まず、他者理解は単に自分を相手にミラーリングすることではない。
それだけで済ませるとズレる時がある。
例えば「私がしめじ好きなんだから、あなたも好きだよね?」なんて言われるのと一緒だ。
それは困る。わたしはしめじが苦手だ( でも、出されたらちゃんと食べる )。
他者理解について、わたしは漠然と「相手の好きなことや好きなものを覚える」ことだと思っていたけど、結局理解にまで至らなかった。
突き詰めていって、他者理解とは「相手の嫌なことや嫌なものを出来るだけ早く察知して、それを出来る限り尊重する」ことなのかなと思った。
ダンも、相手の嫌なことや嫌なもの──「弱さ」をいち早く察知できる。自分自身の弱さをよく理解しているから。
しかし、それを攻撃に変えている。ダンにとって他者理解は相手を「攻略」するためのシステムの一部。
しかし、承太郎たちの持つ忍耐力、仲間への信頼、覚悟などの「強さ」を読むことはできなかった。
ダンは「弱さ」だけを信じ、「強さ」を信じていなかったから、「強さ」が持つ力を認めたくなかったのかもしれない。
わたしにとって鋼入りのダンとは
ちょっときれいめにまとめておこう
手の中のスクイーズ
わたしが歪んだ途端、自分の価値はなくなるんじゃないかと思ってる。
なるべく善い人でいたいから、正しさと向き合っていたくて、人や他の命を尊重したくて、権力や構造に問う姿勢も崩したくなくて……強迫観念に近いくらいの気持ち。
だから、倫理観が欠けていたり、他責的になったり、欲に忠実すぎたりするようなことは今まで「絶対悪」として切り捨てたい価値観だった。
でも、それをダンはコラージュして身に纏っている。
そのためか、ときどき触れたくなる瞬間がある。負荷を感じた時、スクイーズを握れば落ち着くみたいなね。
自分を保つために、心の片隅にいつも持ち歩いている。
乱暴に握り潰して遊ぶ日もあれば、
ただ、優しく撫でてるだけの日もある。
わたしという像を分光させたプリズム
ダンは自己理解を説き、他者理解の必要性も( 反面教師的に )示した。
自分の性質に翻弄され、振り回され続けてきたわたしにとって、ダンによる自己理解の指針は、失敗の繰り返しを最小限にして、良い方法を探す手助けになっていると思う。
そして、わたしの中に存在している衝動性や、善性の崩壊への恐れなど、色々抱えている弱さを、否定せずに可視化した。今まで1色でしか捉えられなかった自分自身が、何色にも分けて見れるようになった。
人生にTPSの視点を増やしたエンジニア
それまでのわたしは、ApexみたいなFPS( 一人称視点 )で人生をやっていた。
目の前の出来事がすべてで、自分の行動と感情が同じレイヤーで、視界も広くはない。他者との距離感を間違えることもある。
ゲームでもFPSは苦手なほう。
今は、スプラトゥーンシリーズみたいなTPS( 第三者視点 )の、少し引いたカメラで自分自身を見られる瞬間がある。
現実でもスプラでも、自分の立ち回りを客観視して、「全体の俯瞰」「自分のキャパシティ」「相性」「境界」「状況」などを少しずつ同時に見られるようになった。
これはわたしがダンに影響され、
自己理解をきっかけに得られた新しい視点だと思う。
エピローグ
否定しているのに理解できて、
ざわつかせるのに落ち着けて、
救いたくないのに、殺せない。
懐中時計のブレゲ No.160みたいに複雑すぎて全体が見えなかった感情を、今になって少しだけ分解できた気がする。
約10年分の惚気話に、付き合ってくれてありがとう。
あとがき──わかった気にならないために
ふと自分の「好き」について振り返ると、誤解されやすい、されてきた存在が多かったように思う。
子どもの頃からサメが大好きで、作品に登場するサメが悪役ばかりなのが嫌だった。小学生の頃にはサメをかわいいマスコットキャラにしてよく描いていた。
中高生の頃はマリー・アントワネットが大好きで、世界史の授業を楽しみにしていた。けど先生の解釈が雑すぎて、その人の顔は好きだったけど一気に冷めた。勉強してるはずなのになぜその認識に?という怒りすら湧いてたかも。
大学生の時にはハイエナに興味を持った。子どもの頃に観たミュージカル版『ライオン・キング』で、シェンジが印象的だったからかな?ハイエナ好きの中ではおかしな入り口だったと思う。
国内外のブチハイエナに関する書籍や映像資料をかき集めているうちに、世間での認識や雑な語られ方にだんだん耐えられなくなっていった。
いつしか「わたしの作品を通して魅力を伝えたい」、そんな気持ちが生まれていた。
ちなみにキャラクターの好みも、( 悪役はさておき )ファンの間で意見が割れていて、アンチの声がやけに目立つキャラが多かった。
わたし自身、人から誤解される経験が多かったから、なんとなくそういう存在にシンパシーを感じてたのかな。
わかった気になられることの暴力性も、自分自身や好きな存在を通して刻まれていった。
それで、物事を雑に捉えて理解した気になることへの拒否感が強まっていったみたいだ。
じゃあ、ダンは?
うーん……少なくとも、誤解を解きたい対象ではない。
彼について考えてたら、浅瀬で素潜りしていたはずがいつの間にか海溝にいて、そのうちに自分や自分の「好き」とも重なっていた。
だから、この記事でダンへの認識を変えたいとかは特になくて、自分の思考の通り道として残しておきたかった。
とはいえ、もしあなたの中でダンの印象が少しでも変化したのなら、それはそれでとても嬉しい。
最後に、
物事のすべてをちゃんと理解する必要はない。
時には考えない選択をしてもいいし、雑に捉えることそのものがダメなわけでもない。
ただ、雑な理解でわかった気になっていると、考える力が少しずつ根腐れして、やがて枯れてしまうかもしれない。
わたしは自分の葦( あし )を枯れさせないために、知ったばかりのことにも、沢山考えたことにも「わかった気にならない」という栄養を、これからも与え続けていたい。
新しい視点ってかわいいものと同じくらい、ワクワクして楽しいから。
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