子育てを頑張る全ての人に届けたい、小さな正直な気持ち。
こんばんは、香咲リノです。
前回の記事では、
仕事復帰後の“罪悪感”や、
帰り道の車内でふと香った消臭スプレーが
わたしを「まま」に戻す小さな儀式になっている、
そんなお話をしました。
今日はその続きを。
“ママとしてのわたし”の本音と限界、
そしてずっと見て見ぬふりをしていた
“ひとりのわたし”の声について、
少しだけお話しさせてください。
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「ちゃんと、わたしはママをできているのかな?」
ときどき胸の奥のほうから、
ふっと浮かんでくる言葉があります。
「わたし、ちゃんとママをしてあげられているのかな?」
シングルマザーになってからは特に、
「娘に寂しい思いだけはさせたくない」
「お金のせいで我慢させたくない」
その想いがずっとわたしを動かしてきました。
仕事を頑張って、
家に帰ったら娘が眠るまで寄り添って、
休みの日は思いきり遊んで、
寝る前には「ママはずっとそばにいるよ」
「愛してるよ」と伝える。
娘の寝顔を見ている時間は、
わたしの幸せそのものです。
けれど、
その裏側で静かに膨らんでいった気持ちがありました。
「1人の時間が、ほしい」
その声に気づかないふりを続けていたある日、
お風呂の中で突然、涙が止まらなくなりました。
「なんで、わたし泣いてるんだろう」
理由もわからないまま、
ただ、涙がぽろぽろと溢れ続ける。
そのときようやく気づきました。
「あ、わたし…もう限界なんだ」
そう思うまで、
自分の心がどれだけ擦り減っていたのか、
初めて自覚しました。
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🌙 娘のママはわたし1人。
「わたし」という人間も、わたし1人。
娘にとってのママはわたしだけ。
そして、
「仕事を頑張るわたし」
「娘を守るわたし」
「ひとりで息をつきたいわたし」
その全部を抱えている“わたし”だって
この世界にたった1人だけなんです。
頭ではわかっていたのに、
シングルマザーだからこそ、つい自分に厳しくしてしまっていました。
「もっと頑張らなきゃ」
「寂しい思いなんて絶対させちゃいけない」
そうやって自分を押し込め続けていたら、
気づいたころには、笑えなくなっていました。
娘が泣いているのに、
体が動かない瞬間も増えて、
「わたし、おかしい」と胸がざわつくように。
そしてある日とうとう、
娘の前で泣いてしまいました。
強く娘を抱きしめながら
「ごめんね、ママ泣いちゃってごめんね」
何度も繰り返したあの日。
いつもなら癒しの香りだった柔軟剤が、
その日だけは胸の奥が痛くなる
**“罪悪感の香り”**に変わっていました。
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🌱 救ってくれたのは、両親の言葉
ずっと前から、母は気づいていたんだと思います。
「休みの日でも、保育園にお願いして
息抜きしておいで?」
仕事復帰して1ヶ月ほど経った頃から、
何度もそう言ってくれていました。
でもそのたびにわたしは、
「娘との時間が足りないのに、そんなことできないよ」
と跳ね返していました。
わたしの限界を見た母は、そっと言いました。
「その姿を娘に見せてる方が、かわいそうなんだよ」
「心から笑ってくれる母親が、一番いいママなんだよ」
その言葉が胸に落ちた瞬間、
固まっていた心がすこしだけほどけていきました。
“頑張り続けること”だけが母親じゃない。
“我慢し続けること”が正解じゃない。
ほどほどに息抜きして、
娘と向き合う笑顔を守ること。
それこそが、
「ママとしてのわたし」と「ひとりのわたし」
どちらも大切にする生き方なんだ
と、やっと気づけました。
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🌿 いま、この文章を読んでくれている方へ
子育てを頑張っているみなさん。
今日も本当に、お疲れさまです。
ちゃんとご飯、食べられましたか?
すこしでも休めましたか?
どうか、
“自分の時間がほしい”という気持ちを
決して「甘え」だなんて思わないでくださいね。
あなたが笑っていられる時間は、
あなたのお子さんにとっても、
大切な、大切な宝物です。
だから、今日も良く頑張ったねって
自分で自分を褒めてあげてくださいね。
そして、ゆっくり眠りにつけますように。
わたしは今夜も、
加湿器にホワイトティーのアロマを数滴垂らして、
「今日もよく頑張ったね」と自分にそっと声をかけながら、
大切な娘の隣で眠りにつきます。
ママとしてのわたしも。
ひとりのわたしも。
どちらも、ちゃんと守ってあげられますように。
香咲リノ
