土佐国一宮(土佐神社)
秋晴れの気持ちいい週末、土佐神社へお参りに行ってきた。
高知市街の北東に一宮地区がある。一宮を「いっく」と読ませるようである。住宅街から山手に入った所、道が狭いが、どんどん進めば駐車場に到着。七五三詣での参拝者でそこそこの人出であった。
まず強い存在感を放つ神社の姿が印象的。周囲は森のようになっていて「しなねの森」というらしい。御神木や磐座とされる石など見応え十分、雰囲気が素晴らしい神社であった。かなりのパワースポットだと個人的には思った。何より気持ちが落ち着いたし、良いお参りであった気がする。






歴史の話を少しだけ。
かつて土佐は、「流刑」の地であった。島流しという言葉もあるが、都に住む者にとって流刑や島流しは、耐え難いものだったらしい。
通常、罪人が流刑になるのだが、土佐神社の御祭神ヒトコトヌシは神様であるにも関わらず、土佐に流刑されて当地に来たのだった。
ヒトコトヌシは、5世紀頃、奈良の葛城山で狩りをしていた雄略天皇にそっくりな姿をして現れ、最後は天皇が畏れ入ったほどの神である。しかし、その後、ヒトコトヌシは修験道でおなじみ役行者にこき使われる存在に落ちぶれたり、土佐に流されたり、またその恨みから今度は役行者をハメて伊豆に流刑にしてしまったりとハチャメチャなストーリー展開が起こる。
これは5世紀頃、突如として現れ没落していった葛城氏の存在にリンクしている。葛城氏は渡来人を従えてすごい勢いで権勢を得たが、あっという間に歴史から消えていく。やや複雑になるが、当時、葛城氏と同じエリアにいた豪族が賀茂氏であり、賀茂氏は没落することなく、渡来人を従えて奈良から京都へ移ったり、または全国各地へと広がっていった。(下鴨神社と上賀茂神社は、京都の一の宮である。)
ちなみに、ヒトコトヌシ(葛城氏)をこき使っていた役行者は、賀茂氏の末裔である。そして、賀茂氏の祖神がアジスキタカヒコネなのである。
勝手な想像だが、葛城氏のどなたかが調子に乗ってやらかしてしまい、都にいられなくなり土佐へ行った。葛城氏と賀茂氏の集団が一緒にやって来て、渡来人技術などを駆使して土佐の国土開発が進み地元で二柱の神が御祭神として祀られた。どうだろうか…(違うって?すいません)
ちなみに。の繰り返しだが、その後、ヒトコトヌシは、没落することなく存続した賀茂氏の奏上によって奈良に舞い戻っている。(一言主神社)
印象として、賀茂氏はこの辺り誠に世渡りがうまいし、器がでかい。
最後にお参りしたらお腹が減る。
高知といえば、モーニングである。これでもかというくらいのメニュー構成が面白い。あとは、高知といえば清流である。四万十川に仁淀川。あまごを食した。塩加減が絶妙で極めて美味であった。



