20年前『テニスの王子様』千石清純と福山雅治『ひまわり』の夢小説を書いていた作家さんへ
福山雅治の『ひまわり』をテーマに、
千石清純の夢小説を書いていた作家さんへ
あの頃、私は中学生だったのか高校生だったのかも、もう覚えていません。
中学一年生からパソコンを触り始めて、「夢小説」というものを知りました。自分でもサイトを持ってみたいと思っていたのですが、当時はやり方がよく分からなくて、私はずっと読む側でした。
せっかく第一志望の女子校に合格したのに、私はどうやらスタートダッシュを間違えてしまったらしく、うまくクラスに馴染めませんでした。
そんな中で、オタク女子たちの輪の中に居場所を見つけました。彼女たちが夢中になっていたのが、『テニスの王子様』でした。
共通の話題をつかむための課題読書のような気持ちで、私は最初、この作品を手に取りました。
本当を言えば、絵柄がものすごく好みだったわけではありません。
アニメを見て、一生懸命エンドロールを追いかけ、声優さんの名前を覚えたのもこの頃です。
最初は学校で生き残るための戦略だったはずなのに、だんだんキャラクターたちの濃さを面白がるようになり、気づけば友達とキャラソンまで聴き、そして何より夢小説を読み漁るようになっていました。
私は手塚くん推しでした。
それなのに、二十年以上経った今でも、夏が来るたびに、あなたが書いた小説を思い出します。
相手は、千石清純くんでした。
くわしい筋は、もうほとんど覚えていません。
主人公は大人になっていたはずです。千石くんも青年になっていて、二人はどこかで再会したのだと思います。そして、ひと夏を一緒に過ごします。
二人は、恋人同士ではなかったはずです。
昔付き合っていたわけでもなく、親友だったわけでもありません。ただ中学時代、少し気になっていた男の子。
そんな曖昧な距離にいた二人が、大人になって再会する。
たしか、そんなお話でした。
二人は夏の間、一緒に暮らしていたか、頻繁に会っていたと思います。笑ったり、話したり、夏祭りへ出かけたりしたのでしょう。
けれど、具体的に何をしていたのかは、もう思い出せません。
バス停。
白いガードレール。
ひまわり。
頭の中に残っているのは、ところどころ色の剥げた古い写真のような風景ばかりです。
そして、福山雅治さんの『ひまわり』。
あの小説は、テーマソングとしてこの曲が添えられていました。
今でもこの曲を聴くと、私は自分の記憶ではないはずの夏を思い出します。
私のイメージは、横浜か鎌倉の、海が見える街です。
強い日差しに、白いガードレール。
その向こうで揺れている、黄色い花。
彼のトレードマークであるオレンジ色の髪も、その中で揺れていたはずです。
そして千石くんは、ある日突然いなくなりました。主人公は心にぽっかりと穴を開け、彼を探したはずです。
どうして来ないのだろう。
どこへ行ってしまったのだろう。
そうして最後に知るのです。
千石清純は、数年前にすでに亡くなっていたのだと。
つまり主人公がひと夏を一緒に過ごした彼は、本当ならそこにいるはずのない人でした。
この結末を読んだとき、私は呆然としました。読者として読んでいたはずなのに、まるでヒロインと同じように、「嘘でしょう……?」とその事実を疑いました。
蝉時雨の中、晴れやかな空の下に立ちすくむ。夏の重い空気を、思い出すのです。
けれど、あなたの小説をもう一度読みたくても、探したくても、覚えていないことばかりです。
正確なタイトルを覚えていません。
サイト名も、作者さんのお名前も覚えていません。どんなデザインのサイトだったのかさえ思い出せません。
今となっては、小説の中に本当にバス停があったのか、白いガードレールがあったのか、それさえ私の記憶があとから作り上げた風景なのかもしれません。
それなのに。
読み終えたとき、胸の中に残ったものだけは、二十年以上経った今も覚えています。
ひょうきんな彼とのやりとりは軽やかで楽しく、きれいで、どうしようもなく切なかった。
たぶん、二人が恋人ではなかったこともよかったのだと思います。大恋愛の末に死に別れたわけではありません。
「愛している」と約束した二人でもありません。
ただ、昔少し気になっていたクラスの男の子。おばけになってまで出てきたのだから、千石くんにとっても、彼女は特別な思い入れがあったはずです。
けれど、もし人生がそのまま続いていたなら、そのうち名前さえ思い出さなくなったかもしれない。
そんな人と、大人になってもう一度会って、ひと夏を過ごした。
こうして書いていると、淡く思い出すものがありました。主人公はきっと、大人になって何かに落ち込んでいたのではなかったでしょうか。
そんな折に、千石くんがびっくり箱のように現れた。
『ひまわり』の歌詞が、あなたの物語を思い出すよすがになりました。
「乗り遅れたバス」
「ずっと歩いた海」
「肩を寄せた宵祭り」
嬉しくて 嬉しくて
なんどもあなたの名前呼んだ
物語の最後、千石くんの名前が何度も呼ばれていた気がします。
「キヨ」
彼の愛称を、彼女はそれまで一度も呼べなかったはずです。
キヨ、キヨ、キヨーー。
こんなに思いは深いのに、あなたが何を書いていたのか、正確には分かりません。
けれど私は、あの小説を読んで初めて知ったのかもしれません。
人と人との間にあるものは、必ずしも「恋人」「友人」「家族」のような名前を与えられるものばかりではないのだと。
ほんの少し好きだった人や、なぜか忘れられない人。
人生の途中ですれ違っただけなのに、あとから何度も思い出す人。
そういう、名前のつかない関係もあるのだと。
そして名前がないからこそ、きれいに終わることもできず、ずっと胸のどこかに残り続けることがあるのだと。
十代の私は、そんなことを言葉にできませんでした。
ただ、読み終えて、胸をやさしく締め付けられて、誰にも話せず、自分の中だけの宝石へ変わっていきました。
二十年経って、自分が文章を書くようになった今、あらためて思います。
あれは、とんでもないことだったのだと。
読者は、作品のすべてを覚えているわけではありません。
登場人物が何を言ったのかも忘れ、どこで何が起きたのかも忘れます。
私は、あなたの名前を覚えていません。
それでも、あなたが書いた小説を読んだときに生まれた感情だけは、二十年以上、私の中から消えませんでした。
夏が来ると、思い出すのです。
ひまわりは、私にとってただの夏の花ではありません。
福山雅治さんの『ひまわり』を聴けば、もう存在しないはずの、二人の夏へ連れていかれます。
そんな作品を、私は人生のかなり早い時期に読みました。
だから、もしあの小説を書いた方が、どこかでこの文章を見つけてくださったなら、伝えたいことがあります。
あなたはもう、あの頃のサイトを閉じてしまったかもしれません。
テニスの王子様の夢小説を書いていたことさえ、遠い昔の話になっているかもしれません。
「あんなものをよく公開していたな」と、恥ずかしく思っているでしょうか?もしかすると、忙しない生活の中で、ご自身でも作品のことを忘れてしまっているかもしれません。
それでも。
二十年前、あなたがインターネットの片隅に置いた物語を読んだ女の子がいました。
その子は、大人になりました。文章を書く仕事を選び、あなたと同じように、Webに小説を上げるようになりました。
そして三十六歳になった今でも、あなたが書いたひと夏を覚えています。
タイトルも、シナリオも、
あなたのお名前さえ忘れてしまったのに。
あの小説を読み終えたときの、胸の奥に残ったものだけは、ずっと忘れていません。
だから、もう一度会いたいです。
あの作品に、大人になった今、もう一度出会いたいです。
できることなら、あなたにも。
そして、お伝えしたいです。
二十年前にあなたが書いた千石くんは、今も私の中にいます。
あなたの小説を、私はずっと忘れませんでした。
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