“好きなようにしなさい”しか言わなかった母のこと
(2026/9/7変更)
最近、母のことを少し考えていました。
以前の記事で、父のことには少し触れたことがあります。
父は、小さな町工場の金型職人でした。
大きな機械に囲まれ、ちょっと油断すれば大怪我をしてもおかしくないような現場です。
だからなのか、家に帰ると気が抜けたように酒を飲んで寝ていることも多かった。
勉強のことなんて、一度も言われた記憶がありません。
自由主義というか、
完全に放置プレイでした(笑)。
母から言われたこと
一方で、母はそんな父を心配しながら、僕と弟を育てていました。
でも、母からも勉強について言われた記憶は、ほとんどありません。
言われたことは、主に2つだけです。
「うちには、子供2人を私立高校へ行かせるお金はないからね。県立高校落ちたら就職だからね」
そして、
「よし君の好きなようにしなさい」
本当に、こればっかりでした。
周囲の環境
周りは、先祖代々農家をやっている家の子供たちが多い地域でした。
収穫の時期には、学校より農作業が優先され、人手が足りなければ学校を休むことも珍しくありませんでした。
周囲の子供たちにとっては、勉強より家の農業の方が、生活に直結する現実だったんです。
でも、うちは違いました。
畑もない。
父は危険な現場仕事。
もし怪我でもしたら、家の状況は一気に不安定になる。
子供ながらに、なんとなくその空気は感じていました。
自分で考えるしかなかった
だから、かなり早い段階から、
「自分の進路は、自分でなんとか考えないといけない」
という感覚がありました。
しかも、当時はインターネットもSNSもありません。
進路情報なんて、今みたいに簡単には手に入りません。
だから、数年先を歩いている近所の先輩に、
「その高校ってどんな感じなんですか?」
「大学って実際どうなんですか?」
と、自分から聞いていました。
少ない情報を、自分で拾い集めるしかなかったんです。
小さく考えて、少し試して、失敗して、また修正する。
たぶん、今の自分の原型って、あの頃にできたんだと思います。
大人になってから気づいたこと
大人になってから、ようやく気づいたことがあります。
母って、別に「勉強がすごくできる人」ではないと思います。
でも、
ものすごく好奇心旺盛なんです。
今でも新聞やテレビ、ラジオから、毎日いろんな情報を仕入れている。
政治も経済も、世の中のことを結構知っています。
忙しい会社員の僕より、よほど世間を見ています(笑)。
だから、今から思うんです。
「お母さんもお父さんも、勉強のことは学校を卒業するときに全部置いてきたから、何も分からないよ」
あれ、
たぶん嘘だったんですよね。
いや、正確には、「本当に何も知らなかった」わけじゃない。
たぶん、
「自分で考えなさい」
「自分で試しなさい」
「失敗も含めて、自分で責任を取りなさい」
そっちだったんだと思います。
ただ、これは今の僕からそう見えているだけで、母が本当にそこまで考えていたのかは分かりません(笑)。
親になってから分かったこと
でも、これ、今になって思うんですが、めちゃくちゃ難しい。
親になると、口を出したくなるんですよ。
「そっちじゃない方がいいんじゃない?」
「その進路、大丈夫?」
子供のことを思って、
“正しいアドバイス”をしてあげたくなる。
しかも仕事で忙しいと、
「短時間で、正しく、簡潔に伝えよう」
としてしまう。
でも、これが意外と裏目に出るんですよね。
完全に、
空気を読めない父親です(笑)。
子供のことを思って言ったひと言で、食卓の空気をすっと冷やしてしまう。
そんなことも結構ありました。
そういう時は、妻がうまくフォローしてくれていました。
「今日は言わない方がいい」
「このひと言は、今は本人に必要ない」
そんなふうに空気を読みながら、家のバランスを取ってくれていたんです。
でも、うちの母は、それをほとんど言わなかった。
高校も大学も就職先も、「ああしろ」「こうしろ」と言われた記憶がありません。
もちろん、妻と母では、時代も家庭環境も違います。
どちらが正しい、という話ではありません。
そもそも、母のやり方が「正しい子育て」だったと言いたいわけでもありません。
今、自分の子供たちも独立して、ようやく少し分かるんです。
あれ、
裏では、相当心配していたんじゃないかなって。
放置だったのか。
見守っていたのか。
正直、今でもよく分かりません(笑)。
でも、少なくとも一つだけ確かなのは、
僕はあの環境の中で、
「正解を教えてもらう人」ではなく、
「自分で考えて、試して、修正する人」
になったんだと思います。
登録マガジンはこちら
2026/9/7 100文字削減(重複削除、誤読回避のための表現調整、補足追記)
いいなと思ったら応援しよう!
この記事は、私自身の経験と思考をもとに、生成AIとの対話を通じて探索・再構成した記録です。いただいたお気持ちは、次の寄り道の燃料としながら、生成AIと人間の共創の研究をさらに深めていきたいと思います。