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製本工場

大学を卒業後、就職活動のために上京した。しばらくは友人宅に泊めてもらい、毎日求人雑誌に目を通す日々。当時はインターネットをまったく活用しておらず、ノートパソコンも持っていなかったと記憶している。おおらかな友人の「いつまでもいてくれていいから」という言葉にすっかり甘え、就職活動と並行して、生活費を稼ぐためのアルバイトを探した。

この時期、いくつかのアルバイトを経験した。その中でも、印象に残っているのが製本工場だ。本が好きだし、なるべく人と喋りたくないという動悸で決めた。面接に行くと、その場ですぐ採用された。文庫本を製本する工場での流れ作業。時間ごとに持ち場をローテーションするらしい。

初日、就業開始の20分前に工場に着くと、見た目がヤンチャな雰囲の男性が多くて焦った。女性たちも、どことなく影のありそうな人ばかり。ここでやっていけるのかと、正直、心配になった。けれど、その日のうちに、その心配は吹き飛んだ。仕事中はみんな黙々と作業し、ほとんど私語がない。わたしにとって、とても働きやすい環境だった。

初めて、製本の現場を目の当たりにした。まだ文字の印刷されていない、まっさらな紙の束が、機械から次々と流れてくる。手作業で向きを変えたり、糸状の栞がきちんと挟まっているかを、目視でチェックしたりする。「ここに文字が印刷されて、本になるんだな」と思い、ひとり胸が熱くなった。

昼休みには休憩室が開放され、お弁当を持ってきた人や、出前をとる人たちでいっぱいになる。食事が終わると、ゴロリと横になっている人も。わたしは毎日、簡単な弁当を持参し、工場から徒歩5分の東京ドームまで歩いて行って、そこで弁当を食べた。世間話をしなくていいし、休憩時間くらい、ひとりになりたかった。

父は野球が好きな人だった。「いつかドームで野球を見てみたい」というのが、口癖だった。ある日の昼休み、普段からよそよそしい関係だった父に、思い切って電話をかけたことがある。電話口の父も驚いたようで、携帯電話を介して、互いの緊張が伝わってくるようだった。

「いまバイトの休憩時間なんだけど、東京ドームにいるんよ」。「ほんとうね。そこで野球の試合を見れたら最高やろうね」。そんな会話を少しだけしたのを、鮮明に覚えている。左官職人だった父も昼休憩だったらしく、ほかの職人たちと、母手製の弁当を食べているところだった。「寒くなってきたけん、風邪ひかんごとね」。父はそう言って、電話を切った。これが、父と世間話をした最後の電話になった。

アルバイト先の男性たちは、見た目こそ怖いものの、みんなとても心根のやさしい人ばかりだった。製本した本をケースにまとめ、運ぶ作業があった。社員からは「女性は無理せず、2〜3人で運んでください」と言われていたけれど、男性たちが率先してやってくれた。重いものを持っている女性を見かけると、「代わるから」とすぐに声をかけてくれた。

3週間ほどの短期の仕事だったので、あっという間に最終日になった。最後の日、バイト代を手渡しで支給された。バイト代を受け取った人から、次々に帰っていく。誰も挨拶をしない。なんだか、それがうれしかった。みんな、やさしい人たちだった。でも友だちになるわけでもなく、あっさりと別れる。きっと、一生会うことはない人たち。それでも、あの場所で一緒に働いた時間は、忘れることがないだろう。

あのとき東京ドームで食べた弁当と、父との電話、機械から次々に流れてくる、まだ文字のない本の束のことを、いまでもときどき思い出す。




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