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読み切り漫画「限りある私たちは…」とすこしふしぎな世界の必要性

noteにメインコンテンツがある先生がジャンプラでも反響がある!

閲覧初速が良さそうなのと概ね高評価コメントに溢れてはいるものの「ジャンプラで評価される面白さがあるマンガ」としてかなり別物感があるものを紹介しておきたい。面白かったので。

むぴー 先生 の読み切り漫画

限りある私たちは…

これだ。
公開は2026/06/11。無料。

派手さはないがちょっと不思議な要素があるという意味合いでSF作品と呼びたい本作は読み切り漫画で単話完結。パートナー探しがうまくいかない女性目線のお話なのだが、どこが「すこしふしぎ」な世界なのかは冒頭で明らかになる。さくっと読んでほしい。

それにしてもSFという2文字の連結アルファベットはかなり便利で、漫画界隈をはみだしてSF作品のルビが「すこしふしぎな作品」とあてられるのはどらえもんに代表される藤子作品群の影響にほかならない。

わたしにとってそうした「すこしふしぎ作品」は必要不可欠で、人生を通して好んできた作品ジャンル。これは漫画だけでなく小説映画ドラマアニメゲームなど媒体を選ばない。

今日はその「すこしふしぎな」と呼ばれる作品群の良さをむぴー先生の作品群を引き合いに語っておこうと思う。


むぴー先生について

創作の主戦場は日常エッセイで主にXとnoteに作品群がある。

すこしふしぎなあり得たかもしれない現実

どらえもんの未来道具は多くの人間があったらいいなと思うものばかりだが現実にはまだまだ技術レベルは追いつかない。どらえもんは現代の勉強机の引き出しから参上してくれない。まだ遠そうだ。

でもすこしふしぎな世界というのはなにも小道具がないと演出できない世界ではないし、純ファンタジーである必要もないし、異世界転生する必要もないし何なら舞台が日本だろうが外国だろうが紀元前だろうが江戸時代だろうが関係ない。

必要なのは「現実や常識とのズレ」だ
ありえなさともいえる。

たとえばむぴー先生の有名作品群に共通しているのは「他人には見えないキャラ」に焦点を当てていることだ。

心というのは基本的に閲覧不可能だ。それが見えたら?聞こえたら?というのがむぴー先生の作品群で扱うメインテーマであると私は感じます。

人生レベルの困難な難題に対して突き詰めた結論を探すと趣味を持とう、対話しようという面白みもない中庸な結論に落ち着くのは私がよくみるyoutubeコンテンツの積読チャンネルで展開されるオチでもあるのだが、結局はそれが回りまわって必要なのだ。その過程の演出を楽しむのが創作であると思う。行先は同じかもしれないけど道中を楽しめるかはコスパ・タイパ時代においては幾分つらいかもしれない。

思いやりは学べる?身につけられる?

話がちょっと飛躍してしまうが、わたしはこの「すこしふしぎな世界」が必要な理由として1こ語っておきたいのは「思いやりを学ぶ場」であることだ。

現実の対人関係にヒビが入る前に仮想空間でトレーニングできるといってもいい。「痛くないと覚えませぬ」という虎眼流武士のような言葉も漫画の世界にはあるのだが私はもっと手心がほしい。

思いやりは学べるし身についてほしい。見出しの質問への答えはYESでなければならないし、今後の社会でもこの答えはYESのままであってほしい。ただ「どこで学ぶ」かは人それぞれ。私にとっては対人関係より学ぶ場として先行したのが本の世界だった、というのが実体験だ。そうした場を与えてくれた作品群が「すこしふしぎな」作品群だったことをここで書いておきたい。

一方、現実では何事も優先順位が付与され、判断基準やフィルターに思いやりに代表される善性倫理が使用されにくいのが競争社会であり経済社会だ。どうしようもなさを抱えながら生きるのが我々だ。手元に抱えた瞬間があったのにいつか離れてしまう、忘れてしまう、あるいは捨てた感情というのを創作はふとした瞬間にまた掲示してくれる。だから私は本が好きなのだ。

終わりが見える世界を考える

話をむぴー先生の作品に戻そう。

ここまで記事を読んでくれた諸兄たちには作品設定を公開してもOKとしたい。読んだよね?

今回の「限りある私たちは…」の中では「寿命が可視化される」というエグイ設定だ。わたしにとってはすこしふしぎではななくだいぶエグイ世界だ。

しかもリテラシー的に公開すべき個人情報になってるのがかなり危うい。あまりにも合理性が先行した世界だ。主人公の小学生時点でクラスのみんなに公表する個人情報?!すごいなぁ…。私だったら不登校まったなし。

というかこの世界では親も子供の寿命を知るらしい?!だから教育も必ずしも学校に通うことのが最善ではないケースも生まれるし、世界全部が生き急ぐ空気感がある。

ともあれ、この世界の人間というのは寿命の公開を前提としている。金融名著で「DIE WITH ZERO」があるが、これに即した世界だ。
主人公の親友は長命判定で102歳、いうなれば人間版フリーレンだ。看取る数が他人よりも多い人間の精神性はうかがい知れない。当然短い側の人間だって…。というのが漫画の中で描かれた。

人生を考えさせられる、深みのある漫画だと思いました。
同時にひとつの答えが掲示されている気がしました。あなたが望む人間関係の方針に対して「一緒に考えてほしい」と思えるかどうか。目の前にいる人に対してそう思えるのかどうか。

あと偶然もある程度信用してもいいと思いました。パンを毎日こがす人と美しいトーストを焼ける人が出会える確率も「運命としてあり得る」

これこそ、すこしふしぎな結論であり、あってほしい未来であると私は思います。そういう未来があってもいいよね。人の出会いとして。

なんでも持ち込めるSFの懐の深さ

むぴー先生の絵柄はエッセイ専攻というかマンガっぽくない。
私は温かみがある絵柄だと思うし、この絵は好きです。嫌悪感無し。

私は漫画の画風というのはやりたいことに一致してるかというのが何よりも大事で、それが味になるという持論があるのだが、すこしふしぎはなんでもありだ。画風問わず、だれにでも常に門が開かれているジャンル。だから見たこと聞いたことないテーマや表現に触れる機会が増えやすい。ゲーマーでもある自分はこういう部分でもランダムを愛してるのかもしれない。

だからみんなすこしふしぎに来てくれよな!まってるぜ!

終わりに

むぴー先生の作品を引き合いに今日語ったことをまとめます。

読み切り漫画「限りある私たちは…」を読んで
①「すこしふしぎ」は現実や常識とのズレがあればなんでもOK
②すこしふしぎは「思いやりを学べる」だからこの世に必要という持論
③「終わりが見える世界」に対する私の感想
④すこしふしぎは誰にでも門を開いて待っている

ジャンププラス掲載 読み切り漫画「限りある私たち…」を読んで

最後に作者のむぴー先生にお手紙を書いて終わりたいと思います。

むぴー 先生

ジャンププラスにて読み切り漫画「限りある私たちは…」を読みました。すこしふしぎと類されるSF設定を持ち込んだ人間ドラマを描いた本作は考えられるものが多く感銘を受けました。作品を通して人類が終わりを見据えて生きるというのはかなりエグイと私は感じたのですが、あの世界ではより一層の思いやりとか目に見えない要素の重要性が高まっている気がします。現代でもそうした要素に飢えているのか、ジャンプラに掲載されて反響があることに私もこの世も捨てたもんじゃないなと思いつつも、この作品がジャンプラに掲載できることに価値があったと強く感じました。

等身大の日常や家族のエッセイというのものからはスマホ全盛の現代に失われがちな栄養素があり、私はむぴー先生の漫画をこれからももっと読みたいと思っています。同時に家族でマリオを遊べるというのも私が世界に願う幸福の一つであり、それが体現できている他者がいるというのがそことなく嬉しい木曜の朝でした。これからの創作活動を応援しております。

いちのじ
2026/06/11 7:50 初稿投稿


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