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うちわの風が止まるまで

「熱帯夜」。

その言葉を聞くと、真っ先に思い出す景色があります。小学校三、四年生の頃、祖母の家で過ごした夏の夜のことです。

夏休みになると、私たち家族はよく祖母の家へ遊びに行きました。あれは、八月に入ったばかりの頃。連日よく晴れて、朝から容赦のない暑さが続いていました。

その日は、母の弟である叔父の家族も一緒でした。朝早くから車に乗り込み、祖母の家からすぐ近くの前浜へと向かいます。

目の前に広がるのは、夏の日差しを眩しく跳ね返す海。砂浜では大人たちが日よけのテントを張り、クーラーボックスから食材を取り出していました。その傍らで、私たち子どもは一目散に波打ち際へ駆けていきます。もう、遊ぶこと以外は頭にありません。

スイカ割りの真似事をして、ビーチボールを追いかけ、砂を掘って城を作る。身体が熱くなれば海へ飛び込み、火照りがおさまると砂浜へ戻って、また別の遊びを始める。遊んで、食べて飲んで、また遊ぶ。それを午後の三時か四時頃まで、飽きもせずに繰り返していました。

大人になった今では、午後三時や四時なんて、ほんの少し用事を済ませているうちに慌ただしくやってきます。子どもの頃も楽しい時間はあっあっという間だったはずですが、あの一日に詰まっていた発見や熱量の濃さは、今とはまるで違っていた気がするのです。

海に入り、砂浜へ戻り、また海へ向かう。そのたびに、肩や腕についた海水が強い日差しの下で乾いていきました。肌が少しずつ赤くなっていたことなど、夢中だった私は気にも留めていませんでした。海から上がったときにはまだ遊び足りない気がしていたけれど、身体のほうは、もう十分に遊びきっていたのでした。

祖母の家までは車で三十分ほど。その日の夕食に何が並んでいたのか、そこだけはきれいに抜け落ちています。けれど、久しぶりに集まった親戚たちの賑やかな声や、昼間から一緒にはしゃいでいた子どもたちの、たわいないおしゃべりは、今も耳の奥に優しく残っています。

そうしているうちに、いつの間にか夜も深まっていました。

昼間の猛暑はいくらか和らいでいたものの、重たい湿気は肌にまとわりついたまま。窓を開けても風は通らず、蚊取り線香の煙だけが、よどんだ部屋の空気の中をゆっくりと流れていました。

もう就寝の時間です。ところが布団へ入ると、私は自分の身体に起きている異変に気づいたのです。

首筋から肩、腕にかけて、肌が真っ赤に焼け上がっていました。昼間は何ともなかったはずなのに、夜が深まるにつれて、ひりひりとした痛みがじんわりと広がっていく。昼に浴びた太陽が、今になって肌の内側から熱を返してきているようでした。

どの向きに寝ても落ち着きません。寝返りを打つ。タオルケットが擦れるだけで、細かな火花が肌の上を走ります。ただでさえ蒸し暑い夜なのに、自分の身体だけが、まだ昼の海辺に取り残されているようでした。

一緒にはしゃいでいた子どもたちは、すでに夢の中。聞こえてくるのは静かな寝息と、窓の近くで話している母と叔母の声だけです。二人はみんなを起こさないように声を潜め、それでも楽しそうに話を続けていました。

私だけが、眠れません。
暑くて、痛くて、眠りたいのに眠れないのです。

とうとう半べそをかき始めた私を見かねて、二人が優しく声をかけてくれました。私は布団を抜け出し、母と叔母のそばへ行って横になりました。すると、どちらかがパタパタと手元でうちわを動かし、私の火照った腕を静かにあおぎ始めてくれたのです。

うちわが優しく揺れる。
そのたびに、かすかな風が腕の上を撫でていきます。風が触れている間だけ、ひりひりとした痛みがすっと遠のき、風が止まると、またじわじわと熱が戻ってくる。

母と叔母は、うちわを動かしながら話を続けていました。何について話していたのか、今となってはほとんど覚えていません。ただ、ときどき自分の名前が混じり、父のことも話題にのぼっていた気がします。

自分の名前が聞こえると、閉じかけた目を少しだけ開ける。けれど、何の話なのか確かめるところまではいきません。二人の声はすぐ近くにあるかと思えば、次の瞬間には遠くへ離れていく。うちわの風も、話し声も、まどろみの中でゆっくりと混ざり合っていきました。

いつ眠りについたのかは、わかりません。
うちわの風が止まったのが先だったのか、二人の声が途切れたのが先だったのか。

目を覚ますと、窓の外には白い霧がかかっていました。

昨夜より気温は下がっていたものの、しっとりとした湿気がまだ部屋に残っています。海に近いその町では、夏の朝になると、辺りが白いもやに包まれることがあるのです。

日焼けした腕には、まだほのかな熱がこもっている。
その腕の向こうにある窓からは、家も道も、朝の霧の中にぼんやりとかすんで見えていました。



シロクマ文芸部さんのこちらのお題に参加させて頂きました


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