夏空をふたつにした水たまり
水たまり。
その言葉から思い出すのは、二十年ほど前に住んでいた、埼玉県のある街です。
当時の私は、自宅から最寄り駅まで歩き、電車に乗って仕事へ通っていました。住宅や店の前を通り、駅へ急ぐ人たちとすれ違う。普段なら、特に印象に残ることもない、いつもの通勤路でした。
台風の季節になると、その道の様子が一変します。大雨が降ったあと、駅へ向かう途中の低い場所に、大きな水たまりができてしまうのです。駅の周辺は、ほかの場所より土地が少し低くなっていたからでしょう。降り続いた雨が広くたまり、靴を濡らさずに通り抜けるのは難しくなりました。
簡単にまたいで越えられる大きさではありません。水の浅そうな場所を探しながら、少し勇気を出して進むしかありませんでした。
革靴のまま、そろそろと足を踏み出します。最初は靴の表面が濡れるくらいでも、もう一歩進むと、水が靴の中へじわりと染み込んでくる。靴下が水を吸い、歩くたびに、靴の中で水が動く不快な感触がしました。ズボンの裾まで濡れ、次第に重くなっていきます。
朝から、ついていないなあ。
濡れた靴のまま電車に揺られ、仕事場に着いても、靴や靴下は簡単には乾きません。
帰る頃になっても、まだ水が残っていることがありました。あの不快感をもう一度味わうのは、まっぴらごめんです。そんな日は、いつもとは違う道を選び、少し遠回りをして家へ帰りました。
ところが翌朝、その水たまりは、前日とはまったく違う表情を見せるのでした。
台風が通り過ぎたあとの空は、驚くほど澄み渡っていました。強い日差しのなか、濃い夏の匂いに、雨上がりのひんやりとした涼しさが混じっています。道の水は少しずつ引いたものの、駅へ向かう途中には、大きな水たまりがいくつか残っていました。
それを避けようと足元に目を向けたとき、思いがけない光景が飛び込んできました。水たまりの中に、もう一つの青空が広がっていたのです。
見上げれば、頭上には吸い込まれそうな青空と、もくもくと湧き上がる入道雲。そして足元にも、同じ空と雲が広がっています。水たまりの水面が、頭上の景色を鏡のようにくっきりと映し出していました。
本物の空と、水たまりの空。
どちらの青が深いのか。どちらの雲が、より夏らしく見えるのか。二つの空は、まるで夏らしさを競いながら、にらめっこをしているようでした。
この光景に出会ったのは、一度きりではありません。台風が去り、少し水の引いた道を歩くたびに、私は二つの夏空がつくり出す世界に見入っていました。前日には、私をあれほど困らせた水たまり。それが一晩たつだけで、もう一つの空をつくっているのです。
空って、本当に気まぐれです。
雨を降らせて私をさんざん困らせたかと思えば、翌朝には、水たまりに映ったもう一人の自分と、楽しそうににらめっこを始める。そんな無邪気ないたずらに、前日の「ついていない」という気持ちまで、いつの間にか洗い流されていました。
ある朝も、私はいつものように二つの空を眺めていました。頭上と足元に広がる青空。その間に立っていると、いつもの通勤路ではない場所へ迷い込んだような錯覚を覚えます。
現実には、これから満員電車に揺られて仕事へ向かわなければなりません。それなのに、その一瞬だけは時間がゆっくりと流れ、二つの夏空が向かい合う幻想の世界を歩いているようでした。
私はただの観客になったような気分で、その不思議なにらめっこを眺めていました。
そのとき、一匹の白黒のぶち猫が、突然、私の視界を横切りました。猫は二つの空の勝負など知るはずもなく、水たまりの縁を、ゆっくりと堂々と歩いていきます。急ぐ様子もなく、こちらのことなど気にも留めていません。
その悠然とした姿に、私は、はっと我に返りました。
そろそろ駅へ急がなければなりません。いつもの満員電車に乗り、いつもの仕事場へ向かう時間です。猫はそのまま、何事もなかったように、どこかへ歩いていきました。
私はもう一度だけ、足元に広がる青空を振り返り、それから駅へ向かって歩き出しました。
前日の朝、濡れた靴の中で「ついていないなあ」と思っていた私が、その翌朝には、同じ水たまりがつくった幻想の世界に立っていたのです。
映画の終わりは、やっぱりハッピーエンドがいい。
二つの夏空と、白黒のぶち猫。すべては、あの厄介だった水たまりが演出してくれたのでした。
シロクマ文芸部さんのこちらのお題に参加させて頂きました
