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パソコンの中の青い空と砂浜

波の音。

そう聞いて、私が最初に思い出したのは、本物の海ではありませんでした。30年近く前、自宅で使っていたパソコンの画面です。

Windows95の時代だったと思います。

当時の私は、仕事柄、パソコンに関する新しい情報に触れる機会が多く、次々と登場する製品やサービスに、いつもアンテナを張っていました。インターネットは、今のように誰もが日常的に使うものではなく、画面の向こうには、まだ知らない世界が広がっているように感じられた頃です。

仕事は忙しく、会社を出るのは終電近くになることも珍しくありませんでした。帰宅して、食事や身支度を済ませれば、あとは眠るだけ。それでも私は、寝る前になるとパソコンの電源を入れていました。

その頃、偶然知ったのが「ボトルメール」というソフトです。

仕事には関係のないものでしたが、私は新しいものを見ると試してみたくなる性格。さっそく自分のパソコンにソフトをインストールし、どのようなものなのか、開いてみました。

画面の中には、青い空と砂浜が広がっていました。

寄せては返す、波の音。しばらく眺めていると、海の向こうから一つのガラス瓶が流れてきます。瓶の中には、どこかにいる知らない誰かが書いた、短い言葉が入っていました。

仕組みは、とても単純です。誰かが瓶にメッセージを入れて海へ流し、それを別の誰かが受け取る。送り先を指定することはできず、どこへ届くのかも分かりません。

最初のうち、私は受け取るばかりでした。

今日は何が届いているだろう。そんな気持ちで、夜遅く仕事から戻ると、寝る前に必ずボトルメールを開きました。パソコンから流れる波の音を聞きながら、ガラス瓶が現れるのを待っていたのです。

ところが、受け取っているだけでは、新しい瓶が届かなくなります。自分もメッセージを流さなければ、次の瓶を受け取れない仕組みになっていたのです。

そこで私も、Windowsのペイントを使って言葉を書くようになりました。

何を書いたのか、今ではほとんど覚えていません。ほんのひとこと、ふたこと。瓶を拾った誰かに、少しだけ勇気や希望や元気が湧いてくるような、そんな言葉だったと思います。

そのうち、文字だけではなく、デジタルカメラで撮った風景の写真も流すようになりました。旅先で見た景色です。どこで撮った、どのような風景だったのか。今ではそれも記憶から抜け落ちています。

自分が流した瓶が、誰のもとへ届いたのかは分かりません。

自分から瓶を流したからといって、すぐに次の瓶が届くわけではありませんでした。数日たち、送ったことさえ忘れた頃になって、ふいに別の瓶が流れ着く。今振り返れば、その不確かさこそ、ボトルメールの面白さだったのでしょう。

当時の私には、それを気長に待つことができませんでした。

ゲームを始めたときのように、何かをすれば、すぐに反応が返ってくると思っていたのかもしれません。慌ただしい仕事の中で、いつも新しい情報を追いかけていた私は、何日も先に訪れるかもしれない偶然を、じっと待つことができませんでした。

届くものが、いつも自分の期待に沿うとも限りません。

知らない土地の風景や、短い言葉が届くことを期待して瓶を開けると、何を表しているのか分からない、落書きのようなイラストが入っていることもありました。受け取る側の私が、勝手に心に残る何かを求めすぎていたのかもしれません。

いつしか、寝る前にパソコンを立ち上げても、ボトルメールを開く回数は減っていきました。

昨日は開かなかった。今日も開かなかった。それでも困ることはなく、やがてソフトが入っていることさえ、ほとんど意識しなくなったのです。

だからといって、ボトルメールをやめようと決めた記憶はありません。

おそらく、パソコンを新しく買い替えたときでしょう。必要なソフトを新しいパソコンへ移しながら、ボトルメールだけは入れ直しませんでした。

最後の一本を流したわけでもありません。海を閉じる前に、誰かへ別れの言葉を送ったわけでもない。ただ、古いパソコンの中に、あの海を残したまま、私は次のパソコンへ移っていきました。

30年近くがたちました。

自分が流した言葉は、もう思い出せません。受け取ったメッセージも、送った風景も、画面に流れ着いた瓶の中身も、ほとんど記憶から消えてしまいました。

それなのに、あのオープニングだけは覚えています。

暗い部屋の中で光っていたパソコンの画面。海の向こうから、ゆっくりと流れてくるガラス瓶。

寄せては返す、波の音。

耳を澄ませると、あの青い空と砂浜の向こうから、今も一つのガラス瓶が流れてきます。


#シロクマ文芸部  
#波の音


シロクマ文芸部さんのこちらのお題に参加させて頂きました