死ぬって寝るときと一緒じゃない?←これ
「死ぬって、寝るときと一緒じゃない?」
死ぬことが怖い、と話したときに、たまにこう言われる。
たしかに、言いたいことは分かる。
眠っている間は、自分が何かを認識しているわけではない。自分の意思でその状態を解除することもできない。そして、眠ることそのものは人間なら誰にでも訪れる、ごく当たり前の現象だ。
そう考えると、睡眠と死にはいくつかの共通点がある。
どちらも通常の自己意識が失われる。
自分の意思だけでは、その状態を自由にコントロールできない。
そして、どちらも生きている人間にとって避けることのできない現象である。
だから、「死ぬことは眠ることに似ている」という考え自体は、間違っているとは思わない。
ただ、それでも自分にとっては、あまり慰めにはならない。
なぜなら、睡眠と死には決定的な違いがあるからだ。
眠りには、目覚めがある。
眠っている間、自分は何も認識していないかもしれない。それでも、眠る前の自分と、目覚めた後の自分はつながっている。
「今は眠っているだけで、そのうち自分はまた目を覚ます」
という前提がある。
ところが、死にはその前提がない。
死んだ後に「目覚める自分」はいない。
死ぬ前の自分と、死んだ後の自分をつなぐものもない。
ここが、どうしても「寝るのと一緒」とは思えないところだ。
そもそも、死について「その後どうなるのか」と考えるとき、無意識のうちに「その後も自分がいる」ことを前提にしてしまう。
しかし、その「自分がいる」という前提そのものが、死によって失われる。
これはかなり抽象的な話だけれど、たぶん重要な違いだと思う。
眠っているときは、「自分が存在している」という前提の上で意識だけが一時的に途切れている。
死は、その前提そのものがなくなる。
だから、自分が恐れているものを改めて考えてみると、「意識がなくなること」だけではないのだと思う。
意識がなくなることだけなら、睡眠は毎日経験している。
本当に怖いのは、その意識を持つ主体である「自分」が、その先には存在しなくなることなのではないか。
そう考えると、「死ぬって寝るときと一緒じゃない?」という言葉に対して、少なくとも自分はこう答えたくなる。
「意識がないという点では似ている。でも、俺が怖いのは意識がないことじゃなくて、その意識を持つ俺そのものがなくなることなんだよ。」
だから、この言葉は理屈としては分かる。
でも、慰めにはならない。
むしろ、睡眠と死の違いを考えれば考えるほど、その違いがはっきりしてしまう。
