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2025年8月15日 雑記

パソコンを整理していたら、去年書いた日記(のようなもの)が出て来た。
当時は、特段誰に見せる予定も無く書き連ねていたものだったと思うが。
政局が大きく変わった今読み返すと、我ながら随分呑気なものに感じられる。
どうなるか分からない未来への不安と、その違和感のままを、備忘録としてここに残しておこうと思う。





自分の数少ない特技の中に、視力が良い、というのがある。具体的に言うと、眼科の視力検査表にある全ての文字が余裕で判定出来るくらいの視力である。これを数値で表すと「2.0」となるらしい、が、それより上を計った事は無いから自分の実際の視力がどんな数値で表されるのかは分からない。
とにかく昔から視力検査をすると「すごーい、今時珍しいんですよ」という、褒めているのか気味悪がっているのか分からない言葉を投げかけられる。その度に、まるで自分を実験動物か何かのように感じていた。

そもそも他人に指摘されるまで、自分で特別視力が良いと感じた事は無かった。何故ならこれは恐らく父方の家系に引き継がれている一種の特殊能力、のようなもので、父も祖母も皆同様に視力が良かったし、誰もが当たり前にこのくらい見えているものだと思っていた。

事実、草むらからバッタを見つけるのは父の方が遥かに上手かったし、祖母は見えすぎてしまうが故に、時折人以外の何か、まで見えてしまっているようだった。私は、鬱蒼と茂る緑の大群から1センチにも満たない虫を次々に見つける事は出来ないし、当たり前だが、ユーレイも見えない。これを単なる「視力」と言ってよいのかは分からないが、とにかくこの「才能」が、私に引き継がれる数十年もの間にどんどん弱体化している事は明らかだった。今の私にあるのは「人よりちょっとだけ良く見える」程度の物で、遺伝形質について詳しい事は分からないが、この特殊能力は、少なくともこの三世代を掛けて急激な速度で劣化しているのである。

そして祖母も父も、人より早く老眼がやってきていた。つまりこれは「才能」というよりも、その「前借り」と言う方が近い。多くの人が一生を掛けて丁寧に使っていくであろう視力の消費サイクルを、私たちは無駄に速めて使っている。私も、後20年も経たないうちに老眼鏡が必要になり、あらゆるものが見えなくなるのだろう。


視力が良い事を話すと、羨ましいと言ってもらえる事があるが、「見えすぎる」という事は正直良い事ばかりでは無い。

私に出来る事といえば、人混みの中にいる知り合いをいち早く見つけられるとか、喫茶店の壁にかかっているフリーWi-Fi案内に、小さな文字で書かれているパスワードを席を立たずに読めるとか、せいぜいその程度なのであって。
好きなアイドルのライブで、双眼鏡を使わずとも「あ、今笑ったな」みたいな事が分かる時もあるけど、今の彼らはそんなのどうでも良くなるくらい大きな会場に行ってしまったし。(それでも、ドームの天井から米粒みたいな彼らを見るのはそれほど悪くは無かった)

ごちゃ混ぜになった中から必要な物を見つけるのも得意だったが、その効力は「注意欠陥・多動」というもう一つの大きすぎる才能(苦笑)のせいで、日常生活の中ではかなり相殺されてしまっている。



小学生の頃、担任の先生の口紅の色がいつもと違う事に気付いた私は、授業が終わるや否や意気揚々と本人に伝えに行った。確かにその日、先生は口紅を変えていたのだが、何より教室の一番後ろの席からそれに気付いた私を、多少なりとも気味悪がっているようだった。

中学生の頃、筆箱の中に大事に仕舞っておいたお気に入りのボールペンが失くなった次の日に、親しい同級生の筆箱の中にそのボールペンが入っているのを見つけた時も。たまたまその子も同じものを持っていたのかもしれないと思おうとして、そのボールペンに入った小さな亀裂が、私が使っていた時に付けてしまった亀裂と一致していると気付いた時も、こんな事には気付かない方が良かったのにと思った。

思春期の頃は、鏡に映る自分の毛穴や産毛の一本一本がとにかく気になって、なんとかしてその陥没を埋める事に躍起になっていた。


こんな事が多々あったので、視力の良さに対する有り難みを生活の中で実感する事は少なかった。


私は視力が良い事よりも、小学校の時、足が遅いといじめてきたサッカー部のあいつ____のように足が早くなりたかったし、(悲しきかな、球を追える動体視力がある事と、その球を正確に追いかけ、扱える身体能力がある事は全く別の問題なのだ)それはもう楽しそうに論文を書く先輩のように、この世のあらゆる事を、瑞々しく書き留めていく文才が欲しかった。

それに、この世のどんな「才能」よりも、皆と違わず「普通である」という事が、この社会では何にも勝る才能なのだという事を、思春期が終わる頃にはなんとなく理解していた。


恐らくは、普段あまり喋りかけて来ない生徒が突然自身の口紅の色味を指摘してきた事が怖かったのだろうし、毛穴が見えてしまう事よりも、「そもそも他人の毛穴は見えても愛おしいとさえ思うのに、何故自分のそれを愛せないのか?」という事こそ問題なのだ、と気付くのに、私は20年近くを費やしてしまったのだから仕方ない。

多分、「見えてしまう」事そのものよりも、その伝え方や使い方・捉え方こそが重要なのだ。それは誰もが時間をかけて身につけていく、「経験値」に基づく処世術の一つなのだと思う。



今日は、帰省のために実家に戻り、とあるビルの三階にあるレストランで母と昼食をとっていた。そのビルは大通りに面していて、私は窓際の席に座りながらぼんやりと外を見つめていた。

ビルが建っている大通りの反対側、道路を挟んだ向こうから歩いてくる一つの人影に見覚えがあった。目を凝らすと、それは徐々に確信に近づいていった。

マスクをしていて顔はよく見えないけど、その人は私のある友人によく似ていた。目を凝らすと細かいディテールがもっと見えてくる。その人はイヤホンで何かを聴きながら、通りを一人で歩いていた。何より、小刻みに頭を振って前髪を直す仕草だとか、身長に似合わない大きめの歩幅だとか、そういう細かい仕草の全てが、その予想を確信に変えた。


ここからその人の歩く通りまではかなりの距離があったし、声を出してもガラスに遮られて届かない。ガラス越しに大きく手を振っても、きっとその人は気付かないだろう。


そう、この「才能」の一番悲しいところは、必ずしも相手もそうであるとは限らない、という事だった。
口紅を変えた先生の教壇から、一番後ろの席の私はぼやけて見えていただろうし、あのボールペンを使っていた同級生は最後まで、私には気付かれていないと思っていただろう。目の前に居る人の毛穴なんて、気にする人の方がおかしい。私には見えているけど、そう思っているのは自分だけ、という事が、これまでもよくあったのだから。


あいにくその人と私は「今あの通りを歩いていたよね?」と気軽に連絡を出来る間柄、と言える程に親しいという訳では無かったし、その人に以前会った時、なんとなく次に会うのはかなり先の事になるのかも知れないという予感があったのでこの時も自分からは連絡せずにいた。

それに、久しく会っていない友人から突然「さっきあそこに居たでしょう?」と連絡が来たら、自分でもちょっと気味が悪いと思う。気味悪がられるのは嫌だ。私は基本的に、友人や家族をなるべく困らせたくはない。
その人が自分にとって大切な人であればある程、である。


そんな事を考えているうちに、友人(恐らく)は通りの先に歩いていった。その後ろ姿は木々に隠れてよく見えなかった。

一体どのくらいまで離れたら、私はその人が見えなくなってしまうのだろう。はたまた、どこまで近付いたら、私はその人をその人だ、とはっきり認識出来るのだろう。この時私は初めて、自分の視力を詳しく調べてみたいと思った。




この「才能」が、一体いつ頃から受け継がれている物なのか分からない。戦死した祖母の父の物なのか、はたまた、祖母の母から引き継がれている物なのか。

もしこれが曽祖父のものであったならば、遠い異国の地で、遙か彼方から向かってくる砲弾や軍勢をいち早く確認し、逃げおおせる事は出来なかったのだろうか。もしくは、荒れ果てた土地でわずかな食料を見つけ出し、戦争が終わるその時まで、どうにか持ち堪える事は出来なかったのだろうか。

もしこれが曽祖母のものであったならば、戦後、親戚に引き離された幼い祖母の背中を、彼女は何キロ先まで見送る事が出来たのだろうか。
そもそも戦争なんて、どうして。

今となっては二人ともこの世にいないのだから、確かめようもない。そもそも、確かめたところでなんになるのか。劣化していくだけのこの「才能」はなんの役にも立たない。今より医療技術が発達すれば、そう遠く無い未来、視力などいくらでも上げることが出来るだろう。

でも、彼らも今の私と同じように、遠くから歩いてくる知人の姿をいち早く見つけて、なんだかワクワクするような、ムズムズするような不思議な気持ちになった事があったのだろうか。私はもう決して会う事の叶わない、遠い過去にいる彼らに、そう聞いてみたかった。


窓の外を凝視する私を訝しげに観察していた母の前に、待っていたランチプレートが差し出される。今日は2025年の8月15日で、外には刺すような日差しが降り注いでいる。冷房の効いた店内は快適すぎるほどに快適で、その温度差が何故かひどくおかしかった。


80年前の夏の日と、今日の日差しが交差する。そのイメージは多重露光のように重なり合い、白く焼けた地平の向こうにあるまっさらな未来を指していた。私はきっと、80年前の彼らが想像もしなかった未来に生きていて、束の間の穏やかな夏の午後を過ごしている。暴力的なまでに輝いている太陽は、このまま東から西へと移動して、海の向こうの大陸を照らすのだろう。光は巡り続け、そしてまた新しい8月15日がやって来る。私はいつまで、こうして穏やかな夏を迎えられるのだろうか。
あまりのまぶしさに、私は思わず目を細めた。


いつでも近くに居たいけど、離れているから見えてくる事もあるよね。遠くにいるからこそ綺麗に見えるものもあるし、最初は気味が悪かったのに、近くでずっと見ていたら、いつの間にか愛おしくなっているものもあるよね。なんとか器用にやっていく方法が、いつか見つけられたら良いよね。


私は確かに、遠い未来の可能性を考えるのが好きだ。目の前に広がっている景色がどんなに辛く、荒れ果てた場所であっても、遠くに微かな可能性が残されているのなら、いつだってそれを信じていたい。遠くにあるそれらを見ようとして、目を凝らすその瞬間の身体の状態や心の動きを、私は多分、心底心地の良いものだと思っている。


少し遅めの昼食をとりながら、今度あの友人に会う時があったら尋ねてみようかと思った。半年後かも知れないし、何十年後かも知れない。もしかしたら、二度と訪れない未来なのかもしれない。それがいつになるのかは分からないけれど、今は遠い未来にいるその人に、いつか聞いてみようと思う。

「2025年の8月15日、あなたはあの並木道を歩いていましたか?」


曽祖母や曽祖父と違って私たちはまだ、会う事が出来る。8月15日がやって来る度に、考え、悩み、話し合う事が出来る。こうやって遠くの可能性を静かに信じる事が出来る。

この世のあらゆる役に立たない「才能」が、誰にも評価して貰えなくても、その使い方を考え悩み続けるこの時間はきっと、私自身に最後まで委ねられている束の間の自由なのだと思うから。



でもこれでもし赤の他人だったら、どうしよう。それはそれで面白いねと笑い合える関係性を、いつか来るかも分からないその日までに、私は、私たちは。築く事が出来るのだろうか?

ある夏の日の午後に、そんな事を思った。


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