思考実験87:「大人の脳」に「外国語」を入れる -2- 花壇作りのショートカット
コラムNo. 111, ”物質宇宙”と”精神宇宙”を1枚の紙に描く
「大人の脳」に「外国語」を入れる -2- 固い校庭に、どうやって花壇を作るのか
前回のコラムでは、大人が外国語を身につけるためには、既存の日本語の地形を壊すのではなく、その隣に新しい花壇を作っていく必要があり、その花壇は、どう耕し、どう種を撒くかという入力の側面と、実際に育てていく地形という出力の側面、二つの側面から成り立っていると考えました。
その基本的な方法は、もちろん反復です。では、長年踏み固められた大人のUPFに、新しい地形を作るとき、一回一回の経験を、もっと有効にする方法はないのでしょうか。今回は、そこを考えてみます。
1, まず、耕す場所を小さくFocusする
校庭全体を耕そうとすれば、どれだけ力を使っても足りません。そこで、最初から「英語をnativeのように話せるようになる」という大きな目標を狙わず、ポイントをフォーカスするという方法があります。
たとえば、
「th の音を、サ行・ザ行と区別する」
という一点に絞ってみたります。
狭い範囲に集中すれば、一つひとつの経験が同じ場所に積み重なり、他へ分散することなく、その谷を深くしていきます。
そして、もう一つ重要なのが、経験そのものの強度です。大人のUPFでは、一回の経験が与える影響は、長年の経験によって相対的に小さなものになっていきます。しかしそれは、一回の経験の重みが完全に固定されているという意味ではなく、強い驚きや感情を伴う経験なら、通常の経験より大きな変化をもたらす可能性があります。
自分自身で、強く心に刻める事実を並べる事で、「えっ、こんなに違う音だったのか」という記憶を刻むことも有効になります。
回数を増やすだけでなく、一回の経験の密度を上げるという考え方です。
2, 「違い」を目の前に並べる
「th」の音を聞き分ける場合、単に think を何度も聞き、sink を何度も聞けばいいとは限りません。むしろ、
think / sink
this / miss(のような音)
のように、違いの小さな二つを並べて聞かせる。
一つだけを聞いていると気づかなかった違いが、二つを並べることで突然違いが目立ってくるからです。
これは、入力の側面、つまり種の撒き方にとって重要な意味を持ちます。これまで一つにまとまっていた場所に、
「ここには二つの違いがある」
という差分を何度も与える。すると、平坦だった場所に境界が生まれ、「th」 とサ行・ザ行という二つの種を、別々の場所に撒き分けるきっかけになるかもしれません。
新しい情報を大量に入れるのではなく、必要な差分を強調する。これも、一回の経験の効率を高める方法です。
3, 両極から挟み込む
似た音を並べる方法とは別に、あえて正反対の極端な音を提示する、という方法も考えられます。
大人の固いUPFでは、thとサ行のように似すぎている音ほど、繊細な違いのまま提示しても、結局は同じ谷へすべり落ちてしまいがちです。
そこで、いきなり本物のthを聞かせるのではなく、極端に大げさに舌を歯で挟み込んだth、極端に大げさなサ行という、正反対の両極を先に提示します。
「ここからここまでが、この音の取りうる幅である」
という広い範囲を、対比としてまずUPFに刻んでしまう。両極の輪郭が先にくっきりと立ち上がれば、その中間にある本当のthとサ行の境界線も、対比によって相対的に浮かび上がりやすくなります。
これは、隣り合う小さな差分を強調する2番の方法とは逆に、大きく引き伸ばした両端から、内側の境界を彫り込んでいく方法だと言えます。
4, 固い土を、少し柔らかくする
もう一つ考えられるのが、経験を受け入れやすい状態を作ることです。
同じ英語を聞くとしても、興味のない教材を義務感だけで聞き続ける場合と、自分が興味を持っている内容を夢中になって聞く場合では、経験の入り方が違うかもしれません。
ガーデニングなら、乾ききった土にいきなりスコップを入れるより、先に水を含ませたほうが耕しやすい。UPFにとって、この水にあたるものが、関心や集中なのかもしれません。
そして、一度だけ大量に水を撒くより、乾かないように継続して触れ続けることも重要になります。関心を持つことと、途切れさせず触れ続けること。この二つが、地形を新しく刻むための環境を作ります。
5, 耳だけで勝負しない
もし、脳によるフィルターが、そもそもthとサ行の違いを拾ってくれないとしたら、「注意して聞こう」と思っても限界があります。
そこで、別の経路から差分を知らせるという方法も考えられます。
たとえば、音声をスペクトログラムで表示する。
耳では同じように聞こえてしまう二つの音が、視覚的には異なる形をしていることを、別の感覚器官で知覚させるという方法です。
舌先が歯のあいだから覗く口の形を、動画や鏡で見せるのも同じ発想です。
あるいは、同じ聴覚のままでも、差分そのものをフィルターが捉えやすい形に変える方法もあります。ネイティブの発音を意図的に誇張して聞かせる、あるいは、あえてスローモーションで再生する。本来なら一瞬で通り過ぎてしまう小さな差を、大きさの面でも、時間の面でも、あえて目立たせるのです。
これらはどれも、フィルターを入れ替えようとする行為ではありません。差分そのものを、フィルターが気づける形に変えて送り込む。一度その違いに応じて種が撒き分けられれば、その後は通常の速度でもその差を拾いやすくなる可能性があるということです。
6, 日本語を「邪魔者」にしてみる
さらに面白い方法があります。
英語を聞きながら、意味のある日本語の話し声を小さく重ねてみるのです。音楽や単純なノイズではなく、ニュースや会話のような、思わず意味を拾いたくなる日本語を使います。
ただし、日本語が大きすぎれば英語が聞こえなくなります。
狙うのは、
「日本語が聞こえている。しかし、英語に集中すれば日本語を無視できる」という状態です。
ここでは、日本語を消すことが目的ではありません。日本語に引っ張られながら、それでも英語を選択する。その経験を繰り返すことで、「何を聞くか」というフィルターそのものに負荷をかけるのです。
これは、単なる英語の聞き込みとは少し違います。「英語を聞く」という経験に、「日本語を抑えて英語を選ぶ」というもう一つの経験を重ねるわけです。
7, 入力の側面と出力の側面を、連動させる
発音についても同じです。
英語の音を聞くだけでは、身体の動きは変わりません。そこで、ネイティブの音声に合わせて発声するシャドーイングを行う。
聞いた音と、自分の舌や口の動きを、できるだけ近い時間で結びつけます。
さらに、自分の発音を録音して聞き返す、という練習です。
「自分では正しく発音しているつもりだったが、実際には違う」
という差が見えてきます。
この差を、今度は入力の側面に戻すという作業です。
聞く → 発音する → 録音する → 聞き返す → 修正する。そして、また発音するというフィードバックループを繰り返すことも有効です。
こうして、一つの花壇の中で、入力の側面と出力の側面が、たえず連動しながら育っていきます。
単純に「何度も話す」のではなく、一回の発声から得られる情報量を増やすという視点です。
8, 大人のUPFに花壇を作る、という作業
ここまでの方法をまとめると、特別な魔法があるわけではありません。大人のUPFを赤ちゃんのような状態に戻すことでもありません。そうではなく、
耕す場所を絞る。
一回の経験の強度を上げる。
小さな差分と、大きな両極、その両方を意識的に使い分ける。
別の感覚経路も使う。
関心を持って継続的に触れる。
入力の側面と出力の側面を連動させる。
こうして、一回一回の経験がUPFに与える影響を、少しでも大きくしていく、という試みです。
校庭全体を耕し直す必要はありません。固く踏み固められた校庭の片隅に、小さな花壇を作る。その花壇に新しい音の谷が一つできれば、そこから別の谷を作ることができる。やがてそれらがつながっていけば、そこには日本語とは異なる、新しい言語の景色が広がっていきます。
「大人の脳」に「外国語」を入れる とは、日本語の地形を捨てて作り直すものではありません。固くなったUPFの中に、新しい共振の地形を育てていくことなのです。
