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【医学部浪人の親】子どもの考えていることが分からないとき そんなに簡単じゃないよね…と思った話。

「子どものことが分からない」
と思ったとき。

これまで見えていたものが、
ふと見えなくなる。
見失うような感覚。
とても不安になりますよね。

先日、
筆者自身の考えを
こちらの記事で紹介しました。


ですが。

私自身も親としては手探りです。

今回は、
「記事ではああ書いたけれど、
現実はそんなに簡単じゃないよね」

という後日談をお届けします。


ある夜のこと。

中学1年の息子が、
寝る前に
独り言のようにこう言いました。

「もっと褒めてくれてもいいのに」


少し寂しそうな感じでした。

中学に入学して、
新しい環境で、
勉強も部活も人間関係も
頑張ろうとしている。

そんな姿は見ていたし、
応援もしていた。

でも。

家では違うんです。


水筒は出し忘れる。
制服はぐしゃぐしゃ。
門限には遅れる。
人の話は聞かない。

ある意味、いつもの彼です。
なんなら活動範囲が広がって、
調子に乗っているようにも見える。

つまり。

親からすると、
あまり褒める要素がない(笑)


我が家では、
中学に入ったら世界が広がる。
親の管理は少しずつ減らそうという
方針です。

「宿題やったの?」
「誰と出かけるの?」
「それ大丈夫?」

そうしたことは、
なるべく聞かないようにしていました。

とは言え、
毎日の生活はある。

洗濯物は出してほしい。
お風呂には入ってほしい。
そういった家事に関わることについては、

「早く出して!」
「早く入って!」

と言わざるを得ません。

私としては、
かなり頑張って
我慢しているつもりでした。

彼に対して
最低限の指摘に留めているつもりだったのです。

でも。
彼にとっては違ったようでした。
彼は、
外で頑張っている分、
家ではのんびりしたかった。

「こんなに頑張っているのに、
どうして細かいことをいちいち言われるのだろう」

そんな気持ちだったようです。

そして。

「こんなに頑張っているのに、
褒めてもらえないということは、
頑張りが足りないということだろうか」

そんな不安もあったのかもしれません。

正直。

自分なりの思いやりが、
彼には届いていなかった。

その事実に少し寂しさを覚えました。


そして、その原因を考えてみました。

子どもが赤ちゃんの頃。

親の役割のひとつは、
「察すること」です。

泣いている子どもが何を訴えているのか。
観察して推測する。

そして、
一緒に過ごす時間が長い分、
子どもの経験も観察することができます。

親にとって小さい子どもは、
「まぁ分かる」
存在だったのです。

それが大きくなるにつれて、
察することは減り、
子ども自身の世界は広がり、
親の知らないことが増えていく。

当然、察することは難しくなります。

でもどこかで、
赤ちゃんの頃の
「まぁ分かる」が
残っているのではないか。
そう思いました。


配偶者に対しても似たような
「まぁ分かる」という感覚はあります。

でも同時に、
「他人である」
という意識もあります。

しかし、赤ちゃんの頃から
一緒に過ごしてきた子どもには、
他人であって他人でないような感覚がある。

そこが、
「子どものことが分からない」

と感じた時の辛さに
つながっているのではないでしょうか。

まるで、
自分の一部を見失うような感覚です。

それは確かに辛いことです。
そして大きな不安につながります。

しかし、
これは親が通る道なのかもしれません。

「子どものことが分からない」

状態は、
子どもが必要とする親の助けが
減ってきている証拠なのかもしれません。

私は彼にこう言いました。

「あなたが頑張っていることは
理解していたつもり。
だからこそ、
勉強や友人関係に口を出さないようにしていた。
水筒やお風呂はどうしても家事をする上で必要だし、
ガミガミ言うのは当然くらいに思ってた。
もしあなたが、自分が外で頑張っている分、
家ではのんびりしたい。
という気持ちが『もっと褒めてくれてもいいのに』
という表現につながったなら。
確かにあなたの望むようにはなっていなかったね。
でもさ、これは言わせてほしい。
外で頑張ったからって、
家では好き放題させて欲しいと
家族が言ったら家は成り立たない。
お父さんが仕事を頑張ったから、
家では誰の言うことも聞かない。
私が疲れているから夕飯を作らない。
と言ったらどう?
みんな外では頑張っている。
それを前提として、
家が回るような役割を家でも担う。
それが家族だと思う。」

すると彼は、

「そうだね」

と言いました。

その「そうだね」は、

納得だったのか。
諦めだったのか。
正直なところ、
私には分かりませんでした。

むしろ後になって、
あの時の彼が本当に欲しかったのは、

「分かった。好き放題していいよ」

という許可ではなく、

「頑張っていることは見えているよ」

という言葉だったのかもしれない。
そんなことも考えました。

でも、
家事を回す私の言い分もある。
説教じみたことを言わざるを得ない
気持ちだった反面、
言い過ぎだかな?と反省もしました。


正直、
何かが解決したとは思えません。

私の考えが正しかったのか。
彼の気持ちを十分に受け取れたのか。
それも分かりません。

それでも。
明日もやってきて、
彼は学校へ行く。
私も仕事をする。

「子どもが分からない」
を抱えながら過ごす。

それが親の宿命なのかもしれません。


そして同時に思ったのは。

子どもが朝起きて学校へ行く。
部活動に参加する。
宿題をする。
水筒を流しに出す。

私はこれまで、
できて当たり前だと思っていました。
「偉いね!」
の対象ではない。
でも。

多くの人にとって当たり前なことと、
本人が頑張っているということ。
これらは
別なのかもしれません。

当然に見えることの中にも、
本人なりの努力がある。
それを見落としてしまったら、
頑張りを認める機会そのものを
失ってしまうのではないか。

そんなことを考えました。

とはいえ、
小さい子どもにするように、
「すごい!」
「偉い!」
と褒めるのも、
どこか違う気がします。

そこで私は、
こうすることにしました。

「お疲れさま」
「頑張っているね」
「ありがとう」

この言葉を、

「お帰りなさい」
に付け加える。

学校お疲れさま。
部活頑張っているね。
元気に帰ってきてくれてありがとう。

これならできるような気がしたのです。
嘘をついているわけでもありません。

まだまだ手探りです。
でも。
彼の一言のおかげで、
また一つ考えるきっかけをもらいました。

私も1人の親として。
日々イライラしながら、
反省しながら、
手探りで過ごしています。


子どもとの関わり。
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