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【掌編小説】夜店の留守番

夜店から見る景色ってのも悪くない。
ガキ連れて疲れてる親。
ハメることしか考えてないカップル。
自分が一番可愛いと思っている女グループ。
女を品定めするだけの男ども。

どいつもこいつも自尊心ばかり肥大させて、中身が空っぽなのが見え見えだ。
ま、俺だって、あんなことさえなければ、夏祭りの夜店の中じゃなく、あっち側の参道をへらへら歩くバカの一人だったのかもしれない。
五十嵐貴博はそんなことを思いながら大きな鉄板の上で焼きそばを返していた。

すると、背後から声が飛んできた。
「留守番ご苦労。客はどうだ?」
貴博が振り向くと、休憩から戻ってきた香川隆斗さんだった。貴博は両手のテコの手を止めた。
「香川さん、見ての通りっすよ。なかなかシブいっすわ」

香川さんは人通りの少ない参道を一瞥すると、包丁でキャベツを刻み始めた。
貴博は固くこびり付いた焼きそばの麺をテコで鉄板から剥がしにかかった。
少しして、香川さんはキャベツを刻む手を止めた。
「そうだな……。ちょっと待ってろ」

香川さんが脇にあるチラシの裏に赤いマジックで「600円」と書いた。
それを、夜店の軒先に吊るされている「700円」と書かれている値段の上に張った。

すると、間もなくして嘘のように客が並び始めた。
貴博の焼きそばを焼くテンポが速まっていく。
香川さんは横で、客と会計をこなしていく。
「はい、400円のお釣りね」

少しひと段落したところで、貴博は感心したように息を吐いた。
「さすが香川さんっすね。たった百円の書き換えで、あいつらの流れをガラリと変えるんだから」
「よせよ。ほら、斜め向かいの焼きそば屋も慌てて600円に下げやがった。これからは少し暇になる」

香川さんの見立て通り、一時期の喧騒は静かになった。手持ち無沙汰に参道を眺めていると、そこに一組のカップルが近付いてきた。
貴博はその男の顔を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
自分の正体に気づかれないよう、思わず前髪を引っ張り、鉄板の熱気と湯気の向こうへ顔を伏せた。
「……いらっしゃいませ」

喉の奥から絞り出した貴博の声の震えを、香川さんは目ざとく聞きとがめた。
「おい貴博、疲れただろう。俺が代わる。タバコ一本吸ってこい」
さすが香川さんだ。この人には隠し事なんてできない。だから信用できるんだ。
「すみません、お言葉に甘えて」

貴博は͡テコを香川さんに渡して夜店から離れた。
最近のご時世で、喫煙所は少し離れたところにある。神社の境内を抜けて、夏祭りの熱気に浮き立つ客どもの間を足早にすり抜けていった。
喫煙所の中に入り、法被はっぴの下の腹掛けからライターと煙草を取り出した。

カチリと火をつけ、深く煙を吸い込む。紫煙の向こうに、さっきの男の顔が浮かんで消えた。忘れるはずがない。あいつは、あの夜の──。

三年前、高校の夏祭りだった。
花火も終わり、校則で決められた時間を過ぎているにも関わらず、同級生たちと夜店の前をブラブラ歩いていた。
そのとき、神社の社務所の裏から女性の悲鳴が聞こえた。
駆け寄ると、複数人の男に囲まれ、浴衣を肌脱はだけさせられた女性が地面に倒れていた。その中心でニヤついていたのが、さっきの男、梨田勇夫だ。
本能的に突っ込んだ。何発か殴り飛ばしたが、背後から棒で殴られたところで記憶が途切れた。

次に目が覚めたとき、激痛の中で俺を抱き起こしてくれたのが、夜店の片付けを終えて通りかかった香川さんだった。
それが香川さんとの出会いだった。
後から聞いた話だが、一緒にいた同級生は、俺が社務所の裏へ駆け出したとき、すぐ逃げるように帰ってしまったらしい。

相手の親が街の権力者だったせいで、事件は不良グループの揉め事にすり替えられた。母親には泣かれ、父親には殴られ、警察では犯人扱いされ、高校からは退学を言い渡された。

誰も俺の言葉を信じなかった。
それでも、香川さんだけは「お前は間違ってない」と、俺の横にいてくれた。

「泣き寝入りしろ。梨田の家には、ウチの組のオヤジさんも頭が上がらねえんだ」
親からも学校からも警察からも見捨てられた俺に、香川さんはそんな裏事情を悔しそうに吐き捨てた。

俺はそれから家にはあまり帰らなくなった。香川さんは、夜中に一人でうろつく俺を見つけるたび、「さっさと家に帰れ」と低い声で突き放したが、俺は頑として従わなかった。

そんなとき、香川さんは根負けしたような顔をして、自分の六畳一間のアパートに俺を泊めてくれた。
香川さんのアパートには小さいテーブルがあり、若い男の写真が飾られていた。
あの写真は、今でも同じ場所に置かれている。
「死んだ兄貴だよ。やってもいない罪を着せられてな……」

俺はあまり多くを語らない香川さんを格好良いと思うようになっていった。
しかし、当の本人からはよく苦い顔でこう言われた。
「この業界もしのぎをあげにくくなってる。お前は俺みたいになるなよ」

そんな付き合いも、もう三年になる。
といっても、その三年のうち、一度だけ香川さんは、数ヶ月間、塀の向こうに行くことになった。
「組の尻ぬぐいだ。留守番頼むぞ」
その間、俺は香川さんの家を律儀に留守番し続け、実家に帰る機会はめっきり減った。

昔のことを思い出していると、煙草の火はあっという間にフィルターまで差し掛かっていた。
そろそろ、あの男もウチの店から離れただろう。シケモクで山積みになった灰皿に煙草を押し付けた。

そのとき、悲鳴が聞こえた。
高校のときの嫌な思い出が肌感覚で蘇る。俺は心臓を激しく波打たせながら、声のする方へ駆け出した。声は社務所の裏じゃない。夜店が並んでいる参道からだ。

人ごみを強引にかき分けて輪の中心に飛び出すと、梨田が首から血を流して倒れていた。
その傍らで腰を抜かしている女の顔を見て、息が止まる。
あの夜、社務所の裏で肌脱はだけた浴衣のまま泣いていた、あの時の女だ。なぜ、あいつが梨田と一緒に歩いていたんだ?

ピクリとも動かない梨田の顔を伺う怯えた目だけは、あの時と何も変わっていない。
この女は、自分が生き残るために、あの権力に魂を売ったのだろうか。俺を犯人に仕立て上げた、あの汚い権力に──。

香川さんは、夜店の前に静かに立っていた。その目には怒りも後悔もなかった。
法被の胸元に、紅ショウガのそれとは明らかに違う、どす黒い赤を浴びていた。
手には、俺がさっき手渡したテコではない、キャベツを切るための包丁が握られていた。その手は震えていなかった。倒れた梨田を見つめているだけだった。

俺が唖然として立ち尽くしていると、香川さんと目が合った。香川さんは俺を見るなり、いつものぶっきらぼうな顔でこう言った。
「すまん。また留守番頼むわ。お前は俺みたいになるな」

遠くから、夜を引き裂くようなサイレンの音が近づいてきていた。



あとがき

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

本作は #シロクマ文芸部 さんの企画 #夜店から に参加させていただいております。
小牧幸助さま、お手間をおかけしますがよろしくお願いいたします。
素敵なお題を有難うございます。

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