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直江津祇園祭の陰の英雄!知られざる義民・福永十三郎の物語 🌊⚡

上越祇園祭が開催中の今、直江津の街を19台の屋台が練り歩く姿は圧巻ですよね!でも実は、その中の一つ「福永町」の屋台には、江戸時代に直江津の商業を救った一人の男の魂が込められているって知ってました?

私は生まれも育ちも直江津なのに、知り合いとの会話で「福永さん」の名前が出た時、恥ずかしながら「誰それ?」状態でした😅 これはいかん!と思って調べてみたら、なんと直江津の歴史を語る上で絶対に知っておくべき重要人物だったんです。

今回は、そんな福永十三郎という義民の知られざる物語をお届けします✨



福永十三郎って何者?江戸時代の正義のヒーロー 💪

福永十三郎(1721〜1774)は江戸時代の大肝煎(地方役人)で、直江津の魚類販売の自由化のために奮闘した義民なんです。

基本プロフィール

福永十三郎は、大肝煎(オオキモイリ 江戸時代の地方役人)を辞めて、高田でしか販売できなかった、魚類販売を直江津商人も販売できるよう、尽力した人物なんです。


江戸時代の理不尽なルール 😤

当時の直江津には、今では信じられないような不公平な制度がありました。

魚類販売の独占問題

当時の今町(直江津)の魚類の販売は、高田城下の商人に独占されていて今町の商人が直接的な商いが出来ずという状況だったんです。

つまり、直江津の海で獲れた新鮮な魚🐟を、直江津の商人たちは自由に売ることができなかったということ!これって現代で例えるなら、「直江津で作ったカニを、直江津では売っちゃダメ。一度高田を通してから売りなさい」みたいな理不尽なルールです。

そりゃあ漁師さんも商人さんも困りますよね💦


福永十三郎の大胆な挑戦 ⚔️

こんな不公平な制度に立ち向かったのが福永十三郎でした。

壮大な戦いの始まり

福永十三郎が高田奉行や江戸幕府に訴えて、一部の自由販売と干物等の製造解禁を勝ち取ったというのですから、その行動力たるや現代人も見習うべきレベル!

想像してみてください。江戸時代の身分制度の中で、地方の役人が幕府に直訴するなんて、現代で言えば市役所職員が霞が関に乗り込んで政府と直談判するようなもの。そのリスクと勇気、半端ないですよね😱

勝利の瞬間

長い戦いの末、福永十三郎は見事に勝利を収めました🎉

獲得した権利:

  • 魚類の一部自由販売権

  • 干物などの製造・販売解禁

この勝利により、直江津の商業に新しい風が吹き込まれ、地域経済が活性化したんです。まさに現代で言う「規制緩和」の先駆者だったんですね!

悲劇の結末と町民の想い 😢

しかし、物語にはつらい結末が待っていました。福永十三郎は、この勝利を十分に味わうことなく、係争の最中に急死してしまうのです。

その死をめぐっては、いくつかの言い伝えも残っています。直江津今町の魚売りたちは、「きっと高田藩の誰かに毒殺されたのではないか」と疑い、十三郎の遺灰をもらい受けて「灰塚地蔵」を建て、彼の魂を弔ったとされています。真偽は定かではありませんが、彼の死がいかに町民に衝撃を与えたかが伝わってきます。

それでも町の人々は、彼の功績を決して忘れませんでした。後に福永十三郎を祀る「福永神社」が建立され、直江津のために尽くした彼の想いは、今も町に息づいています。

町を想い、命を懸けた福永十三郎。その志を知ったとき、胸が熱くならずにはいられません。😭


現代に生きる福永十三郎の精神 🌸

上越市中央4丁目、海沿いに位置する町内。江戸時代の直江津の名士「福永十三郎」を祀る福永神社を祀る福永町では、今でも祇園祭でその精神を受け継いでいます。

直江津祇園祭での福永町

福永町の特色

  • 現在の屋台は平成18年(2006年)に造られた、白木の大型屋台

  • 御饌米奉納では、大漁旗が舞う

  • 御饌米奉納の順番は2番目(八幡町に続いて)

19:00より、八坂神社にて御饌米奉納が行われます。直江津の若衆が、米俵を担いで約100mの参道を走りますこの神事で、福永町の大漁旗が風にはためく姿は、きっと福永十三郎の魂も喜んでいることでしょう🎌


福永十三郎から学ぶ現代への教訓 💡

福永十三郎の生涯から、現代を生きる私たちが学べることがたくさんあります。

1. 諦めない心の大切さ

理不尽なルールに「仕方ない」と諦めず、「これはおかしい!」と声を上げ続けた福永十三郎。現代でも、職場や地域の問題に対して「自分一人が言ったところで...」と思いがちですが、一人の強い信念が大きな変化を生むことを教えてくれます。

2. 地域愛の力

個人の利益だけでなく、直江津全体の発展を願って行動した姿勢は、現代の地域活性化にも通じるものがあります。「誰かがやってくれる」ではなく、「自分が動く」という当事者意識の重要性を感じさせますね。

3. 歴史は人が作る

教科書に載るような大きな出来事だけが歴史じゃない。一人の地方役人の行動が、その地域の人々の生活を大きく変えることだってある。私たちの日常の選択や行動も、未来への歴史の一部なんだということを改めて感じます。

福永町の今 🏘️

現在の福永町は、上越市直江津地区の中央4丁目、海沿いに位置する町内として、福永十三郎の精神を受け継ぎながら地域コミュニティを大切にしています。住民同士のつながりや行事への参加を通じて、町の絆は今も息づいています。

祇園祭での活躍(2025年)

2025年現在、直江津祇園祭には19の町内が参加し、それぞれが伝統の屋台を引いて祭りを盛り上げています。今年の「くじ取り式」では、福永町は御饌米奉納の2番目という順番を引き当て、7月29日19時10分頃から奉納に臨む予定です。

フィナーレの幕開けを飾るこの役目は、町の誇りでもあり、地域への貢献としても大きな意味を持ちます。福永町は、今も変わらず祭りや行事を通じて地域の伝統と精神を守り続けているのです。

祇園祭の歴史的背景 📚

ちなみに、直江津祇園祭がいつ頃から始まったか、その正確な記録は残されていませんが、およそ平安時代中期(長元年中1028~1036年頃)には始まったのではないかと言われています

江戸時代、福島城(現在の古城小学校)を廃城し高田城開府(1614年)の際、直江津の殆どの寺社仏閣が高田へ移りましたが、八坂神社だけは初代高田城主である松平忠輝公にお願いし、直江津へ残るかわりに祇園祭の際は御神輿を高田へ出張させるようになったと言われています

つまり、福永十三郎が活躍した時代には、すでに祇園祭は長い歴史を持つ重要な祭りだったんですね。そんな伝統ある祭りの中で、彼の功績が今も讃えられているということに、より深い感動を覚えます✨

まとめ:直江津の誇り、福永十三郎 🏆

今回、福永十三郎について調べてみて、本当に驚きと感動の連続でした。江戸時代の理不尽な制度に立ち向かい、地域のために人生を捧げた彼の生き方は、現代の私たちにも多くのことを教えてくれます。

直江津祇園祭で福永町の屋台を見かけたら、ぜひ福永十三郎のことを思い浮かべてみてください。御饌米奉納では、大漁旗が舞うその瞬間に、250年以上前から続く直江津愛の精神を感じられるはずです。

来年の祇園祭では、きっと違った目で祭りを楽しめると思います。歴史を知ることで、地域への愛着もより深くなりますよね😊

そして何より、福永十三郎のような先人がいたからこそ、今の直江津があるということを忘れずに、私たちも次の世代に何を残せるか考えていきたいものです。

直江津っ子として、こんな立派な義民がいたことを誇りに思いつつ、現代の課題にも向き合っていこうじゃありませんか!🔥


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