【教育先進国】ニュージーランド教育省の一次資料から読む、AI時代の高校哲学【教育改革】
はじめに
世界の教育がこれからどこへ向かうのかを考えるとき、ニュージーランド(NZ)は無視できない国の一つである。
ニュージーランドは「教育先進国」と呼ばれることも多い。教育は国内の学校や大学だけで完結するものではなく、国を支える産業でもある。
政府機関Education New Zealandによると、2025年9月までの1年間における国際教育関連の輸出額は45億2,000万NZドル(およそ4000億円規模)。国際教育は同国の輸出分野で上位10位に入り、サービス輸出全体の13.6%を占めた。
つまりニュージーランドにとって、教育の質や国際的な信頼は、子どもの将来だけでなく国の経済にも関わる。その国が「これからの高校生に何を学ばせるのか」を決める一次資料には、世界の教育の少し先が現れやすい。
私が今回ニュージーランドを取り上げる理由は、そこにある。
2028年から始まる、ニュージーランド高校教育の大きな組み替え
そんなニュージーランドの教育システムが、2028年からさらなる改革期に入る。全国カリキュラムと高校段階の資格制度が、大きく組み替えられようとしている。
現行制度では、高校段階の3年間で「NCEA」という国際的にも認知された国家資格が使われている。ところが政府は2025年8月、そのNCEAを廃止し、新しい資格制度へ置き換える案を公表した。
意見収集を経て2026年3月に新制度の骨格を正式決定し、同年5月にはYear 12(高校2年生相当)の「NZCE」とYear 13(高校3年生相当)の「NZACE」を含む詳しい制度を発表している。
2028年から段階的に移行し、2030年には新制度が高校最終学年までそろう計画だ。
制度名だけを見ると、遠い国の教育行政の話に感じるかもしれない。
しかし面白いのは、資格の名前が変わることより、その資格と一体になる新カリキュラムの中身である。
NZ教育省によれば、今回の草案作成には教師、教科団体、各学習領域の専門家など300人を超える助言者・査読者が関わっている。掲げられているのは「knowledge-rich(知識重視)」の考え方だ。評価基準から逆算して授業内容を決めるのではなく、各学問で何を知り、何をできるようになるべきかを選び、学年をまたいで順序立てる。
その改革でYear 12〜13(高校2〜3年生)向けの新科目案として登場したのが、「Civics, Politics & Philosophy(市民、政治、哲学)」である。
名称だけを見ると、選挙制度や民主主義を学ぶ公民科目に、哲学が少し添えられたものにも見える。ところが教育省の草案を読むと、哲学部分はかなり本格的だ。
Year 12では、トロッコ問題、功利主義、カントの義務論、アリストテレスの徳倫理、儒教思想に加え、マオリの倫理観、Pacific Way(太平洋地域に根ざした、対話と合意形成を重んじる考え方)のようなニュージーランド独特の価値観についてまで比較する。
Year 13では、知識とは何かを問う認識論、デカルトの悪霊、水槽の脳、ゲティア問題、心身二元論、物理主義、クオリア、そして人工知能へ進む。
「哲学っぽく自由に話してみよう」という授業ではない。また、日本の高校の『倫理』で、哲学者や思想の概要をかじるのとも違う。
高校生が哲学の概念と論証を学び、それを使って現代の問題を説明し、比較し、評価するカリキュラムになっている。
新しい高校哲学に入った「中国語の部屋」
そのYear 13の草案に、はっきりと「中国語の部屋」が入っている。
哲学的なテーマに詳しくなければ、名前を聞いても何のことか分からないかもしれないが、いわゆる思考実験である。
(思考実験とは、架空の状況を設定して論理を推論する、思考ゲームのようなもの。有名なものでは「トロッコ問題」や「囚人のジレンマ」、「シュレディンガーの猫」などがある)
「中国語の部屋」とは、アメリカの哲学者ジョン・サールが1980年に提示した思考実験であり、このような問題だ。
中国語を一文字も理解できない男性が、一人で部屋に入れられている。
部屋の外からは、中国語で書かれた質問が紙で差し込まれる。しかし男性には、その文字が意味のない記号にしか見えない。
そこで男性には、自分の読める言語で書かれた膨大な説明書が渡される。
そこには、「この形の記号が来たら、この記号を選んで返しなさい」と細かな規則が書かれている。男性は意味を理解しないまま、説明書だけを頼りに記号を選び、回答として部屋の外へ差し出す。
説明書が十分に精密なら、外にいる中国語話者には、返ってくる回答が完璧な中国語に見える。まるで部屋の中に、中国語を理解している人がいるかのようだ。
しかし男性自身は、中国語を一言も理解していない。
それでも、この部屋は中国語を「理解している」と言えるのだろうか。
NZ教育省の草案は、この思考実験をYear 13の「形而上学・心の哲学・AI」に配置している。そして「プログラムに従って指示を実行することは、真正な理解と同じではない」「コンピュータは実際には理解していなくても、理解しているようにシミュレートできる可能性がある」という趣旨を、教える知識として明記した。
ここで、一気に現在の話になる。
人間らしい回答を返す生成AIは、言葉を理解しているのか。それとも、途方もなく高性能になった「中国語の部屋」にすぎないのか。
しかも草案は、中国語の部屋でAIを否定して終わらない。
そのすぐ後に、一見すると正反対の方向を向く「拡張された心」という考え方を置いている。
これは、スマートフォンやノートのような外部の道具も、使われ方によっては人間の「心の一部」とみなせるのではないか、という考え方だ。
AIは本当には理解していないのか。あるいは、人間とAIを組み合わせた全体が、一つの思考するシステムになるのか。
なぜ、ニュージーランド教育省はこの二つを高校生に学ばせようとしているのか。
NZ教育省は高校生に何をさせようとしているのか
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