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【ドラえもん】居酒屋で『ギガゾンビ論』を熱弁したら、見知らぬ女性に褒められた話

私は【新】日本誕生日に違和感があった。劇場で見た時からずっと。

※”新”も大スペクタクル映画に仕上がっているので、興味があれば見てね!


8年くらい前?

ある晩、新宿の安い中華居酒屋のテーブル。
私は友人と「ドラえもん映画ベストは何か」という話題で盛り上がっていた。

僕が即答したのは『のび太の日本誕生』。1989年公開、ドラ映画10周年記念作。藤子・F・不二雄先生が構成・脚本を手がけた完成度の高すぎる一本である。

さて、その『日本誕生』には黒幕がいる。
彼の名前はギガゾンビ

ギーガー!


未来の世界からタイムマシンで過去に逃げてきた「時空犯罪者」だ。
ドラえもんたちがタイムマシンで7万年前に家出してきたら、たまたまバチッと遭遇してしまい、なんやかんやで一戦交えることになる。

でも、このギガゾンビという男、妙に印象に残る。

というのも彼、直接戦わないのだ。
剣も銃も出てこないし、肉弾戦もない。
代わりに彼が使ってくるのは、土偶のような忠実なシモベ「ツチダマ」と、タイムパトロールすら破れないほどの強力な「バリア」。
そして「時空破壊装置」。

つまり彼は、“戦わないことで強さを保っている”という構造になっている。

「彼はね!弱い人間なんだ!」

酔っ払っていた私は、自説を唱えた。

「ギガゾンビは、自分より”弱い人間にしか威張れ無い“悲しい男なんだ!だから氷河期の日本を根城にしているんだ!」


酩酊状態の私は、彼の行動と武器が如何に一致しているかを力説する。

「新日本誕生のように戦える肉体があるのなら、彼はギガゾンビになってない!」


酔っ払い戯言である。
そんな熱いギガゾンビ論をぶちかましていると。
隣の席にいた見ず知らずの女性が、私たちの会話にふと振り向き、こう言ったのです。

「すみません、今のお話…聞いてしまいました。私、新日本誕生に何か違和感があったんですが、今ので腑に落ちました!」



え、今の? ギガゾンビ論が?
まさか見知らぬ誰かに共感されるとは。
そして女性は続ける。

「胸のモヤモヤが取れました。ありがとうございます」


酔っ払ってベラベラ喋ってお礼を言われたのは、後にも先にもこの晩しか無い。



作戦と人格の一致

僕は思う。ギガゾンビの真の姿は、フィジカルで勝負できない男なんじゃないかと。

タイムパトロールが到着したら、無抵抗で逮捕される。到着してから、わずか3カットしかない

容姿だってよくはない。
最後仮面が剥がれ落ちて現れたのは、出っ歯の老人だ。

技術はある。未来人だから当然だ。
けれど、直接ぶつかる勇気もなければ、正面から語り合う胆力もない。


だから彼はバリアを張って、強いフリをして、土偶みたいな中間管理職ロボを操作する。

要するに、卑怯な大人なのだ。


テクノロジーの力で、原始人に神のフリをする。
でもそれは、本当の意味で“強い”わけじゃない。
自分が傷つかない範囲でしか動けない、寂しい人間の象徴なのだ。

そんな彼が張る“バリア”というのは、物理的なものというより、心の壁のような気がしてならない。
「バリア」を張り、「ツチダマ」に攻撃させて、「時空破壊装置」であらゆるものを徹底的に拒む。

あれほどの力を持ちながら、あまりにあっけない幕切れ。そこにあるのは、「自分の手では、何も変えられなかった男」の哀しみではないかとすら思う。



スペクタクルに呑まれた「人間性」

翻って、リメイク版の違和感についてまとめてみよう。

2016年公開の『新・のび太の日本誕生』では、作画や演出が大幅にパワーアップし、ギガゾンビもより“アクション映え”する存在として描かる。

電撃を操り、直接戦い、仮面をはぎ取られ、時空破壊装置の作動を止めようとするのび太たちに立ちはだかる──いわば「ラスボス」的存在。

確かに面白いし、映像的にも盛り上がる。けれど、私はここでひとつの齟齬を感じてしまった。

ギガゾンビが“ここまで強い男”だったら、そもそも「23世紀で活躍してる」と思えてならないのだ。
わざわざ70000年前まで逃げ込んで、古代人相手に神ごっこなんて、する必要ないのではないか。

だからこそ、オリジナル版にあった「力なき者が力を持ち、弱者を支配して悦に浸る」という滑稽で哀しい構図が、あまりに生々しく感じられた。それが私の思う、ギガゾンビという男の“本質”だと思うのだ。



ギガゾンビにならない

私は、あのギガゾンビの姿に、どこか現代人の影を見てしまう。

SNSで、弱い人を寄ってたかって叩く人々。マスメディアだってそうだ。
言い返せない相手にだけ強く出る卑怯さ。
まるでギガゾンビの張ったバリアのように、自分だけ安全な場所から、ツチダマを使って投げる言葉の暴力。


だから、私は「ギガゾンビにならない」ことにした。


近所の草花、うまい中華屋、友達の新作舞台。
7万年前に行かなくても、美しいものはすぐ近くにある。

私は夢想する。
彼がその財力と行動力を“隣人に声をかける”事に使っていたら、きっと彼の人生はもう少し彩豊かなものになっていたかもしれない、と。


「ギガゾンビにならない」


──これこそが、“新“しい日本を誕生させる行動なのかもしれない、と思うのです。


記事:まるのすけ

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