静かな喪失・愛の深さ|小池真理子『月夜の森の梟』
今回は、通信「詩のある暮らし」2号で少し触れた、小池真理子さんのエッセイ集『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)について、内容を加筆してご紹介します。

この本は、長年連れ添った夫を亡くした著者が、闘病を支えた日々や、その後に残された深い喪失感を静かに綴った一冊です。
「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」
亡くなる数週間前に妻にそう言った夫。生への執着とあきらめが重く伝わるこの言葉をかけられた哀しみはどれほどのものでしょう。
三十七年間、生活を共にしてきたが、百年も千年も一緒にいたような気がする。途方もなく長い歳月が、古木に空いた大きな洞の中、湿った真綿のごとく積み重ねられている。独りになった私は今、その洞のうす暗がりの中にじっと潜んでいる。
夫の闘病と死を経験している間に、自分の日常と、自分を取り囲んでいる外部の日常とがかみ合わなくなった。着ているもののボタンを掛け違えたまま外出し、直したいのに直せない時のような、背中に匕首を刺されたまま、笑顔で人と接しているかのような、そんな違和感が抜けない。
このような深い孤独のありようが記されているのに、それが「不幸」や「哀れみ」としてではなく、むしろ、そこまで深く喪失を感じていることそのものが「愛の深さ」なのだと伝わってきます。それが読み終えたあと生きていくことへの静かな意志へとつながるのかもしれません。
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この本と出会ったのは、入院されていた方から薦めていただいたのがきっかけでした。
余命宣告を受け、ベッドの上で過ごされていたその方は、数年前にご主人を亡くされていました。本を手に取りながら、こう語ってくださったのです。
「死ぬのは怖いけれど、あの人のいない日々が終わりになる……そんなふうに思う自分もいるの。一人になったとき、哀しくて哀しくてね。何を見ても食べても、それまでとは違っていた。そんなときこの本を知って、どれだけ救われたか。よかったら読んでみてね」
私はただ、うなずくだけでした。
今でもその方の落ち着いた声や、穏やかな表情を思い出します。
喪失はきわめて個人的な体験なのだ。他の誰とも真に共有することはできない。
たしかにそう。
誰かの悲しみに接したとき、生半可な「わかります」という言葉は、かえって距離を作ってしまう。
この本は、喪失を抱えて生きる人の孤独に、深く静かに沁み入る一冊です。
『月夜の森の梟』小池真理子(朝日新聞出版/2021年刊)
