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学校というシステムの疲労

「勉強って何でするの?」と聞かれ、「将来困るから」と言われて育った方は多いのではないでしょうか。


もともと戦後の教育が目指したものが「優秀で従順な部下の育成」や「工業化に適応できる人材の育成と選別」であったとするならば、今はもう、だいぶ時代が変わっています。もちろん教科学習がいらないとは思いませんし、必要だとも考えています。ただ、その「やり方」があまり良くないのではないか、と感じるのです。


人間は、感覚を楽しむ段階から、簡単なイメージや因果関係を考えられる段階、そして抽象的な思考ができる段階まで、順を追って発達していきます。さまざまな体験をすることで「経験値の引き出し」はどんどん増えていきますが、物事を概念的・抽象的に理解する段階にどの程度たどり着けるかは、教育の質によるところが大きいものです。


今後「教育」のあり方が変わっていく中で、学校というシステムは制度疲労を通り越し、老朽化していくでしょう。その先では、「勉強する」という意味自体も再定義されていかなければなりません。


おそらく小学生くらいまでは、遊びや自由な他者との付き合いを通して、安心・安全にたくさんの経験をすることが大切になります。そうして具体的な体験を十分に積み重ねて、はじめて「抽象的な概念」として理解していくプロセスに入ることができるのです。


今の教育カリキュラムは、少し急ぎすぎているように見受けられます。「具体の世界」を楽しむ段階にいる子どもに抽象的な課題を無理にやらせても、理解できないばかりか、「自分はできない」という思い込みを植え付け、将来伸びるはずだった芽を摘んでしまうことにもなりかねません。


「不登校」にせよ「療育」にせよ、今必要なのは「対策」ではなく「底上げ」なのではないでしょうか。

上を目指させるのではなく、底を上げる。

もっといえば、どこにたどり着いてほしいかよりも、今本当に必要なものに目を向けて「今」を積み重ねていくこと。

上を目指そうとすると地に足がつきにくくなりますが、底を上げれば「今」を見落とさずにいられます。


本当に「その子自身」を見て育てるということは、きっとそういうことなのだと思います。

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